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『三元論』で世界を観る

岩瀬アキラさん翻訳の動画「三元論」で世界を見よう。より

いやー面白いですね!この動画。
スピリチュアル動画を観たり バシャール動画を観ていて ニュートラルな視点が大事。起こる出来事はすべて中立的(ポジティブな意味もネガティブな意味もない)だよ。という話は何回も聴いていたし 自分でも話をしていたのに全く分かっていませんでした。笑(全くは言い過ぎか。笑

最近 ようやくこうした視点を認識し始めたので この動画にも出会えたのでしょう。

以下 一部引用になります。

「三つに分かれる話ですか?」
それはシンプルに現実世界は「二元性」ではなく「三元性」だということです。いわゆる「ポジティブ」と「ネガティブ」という両極が存在しますが、必ずそこには「中性」という中心点、バランスポイントが存在するのです。あらゆるものは「三元性」です。「二元性」ではありません。
そして、あなた方の意識が上昇し拡大していく中で、その概念をより意識して活かしながら「中心点」に留まれるようになることで、あなたが好ましいことを「否定」せずに、あなたが好むことを選べるようになるのです。 
※引用にあたり句読点の部分的な変更あり

「三元論」世界を見よう(バシャール) 翻訳:岩瀬アキラ(you tube動画より)

この頃 何かを否定することは反対に否定していることの存在を強調することなのではないか?と強く感じるようになりました。例えばイジメ・戦争・新型コロナワクチンに関わる政府の対応・ノーマスクに反対する人たちなど。

以前から戦争反対という態度はある意味でもうひとつの戦争なのではないか?という漠然とした思いがありました。それは『望まないことにフォーカスする態度』が 逆説的に望まない現実を産み出しているのでは?と感じていたからです。イジメについても同様でイジメをゼロにしようという活動は一見 誰もが否定できない正しいことのような感じがしますが イジメをゼロにするためには逆説的にイジメが存在しないといけません。

自分ごととしては新型コロナワクチンを摂種した人や今に至ってもそれを勧めている人たちを どこか見下したり 話の分からないオカシイ人たちだと決めつけ 否定していました。しかし その態度こそがオカシイではないか?と最近思うようになってきました。

人それぞれの考えがあり 人それぞれの決断や選択がある。
自分はそれを選ばないけれど その選択肢を選ぶ人たちのことも認める。そういう態度が自分のホントウに望んでいる考え方のような氣がしています。なにか望むことや好むことを思い描くときに反対の出来事を「否定」せずに望むことだけにフォーカスすることです。

戦争であれば戦争反対ではなく「平和」を。
イジメであれば「調和」あるいはお互いを「認め合う」ことを。

こういった視点を持つようになったキッカケとして べべちゃんという日本に住むフランス人男性のyoutube動画があります。
「日本で外国人として扱われることが差別だと言う外国人に対する僕の意見。」という動画です。またこの動画についてもブログにしたいのですが この動画の内容は日本で外国人として扱われることが差別という話だけではなく 違う分野に飛び込んだときに誰もが経験しうる 普遍的な価値観の違いについて話をしているように思いました。

彼の話をキッカケに 僕も中立的な視点について想いを馳せるようになったのですが 日本神話には造化三神という中立的な神さまが出てきます。男女の間の中立的な神さま。あるいは何もしない神さまです。

そういった神が日本神話に存在するということも この現実世界が『三元性』であることの現れのような氣がしています。 

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