ニュークリアエアリア9

インターホンを押しながら、「おはようございます」と外から挨拶をする。客でもなければ、事業所から派遣された介護者でもない。友達というのも躊躇いはある。肇は長屋のドアの前に立たされた時、いつも初めて考えるようにして創さんとの関係に直面する。
介護に来る人はインターホンは押さず、挨拶しながら勝手にドアを開けて部屋に入ってくる。肇が部屋の中にいるときに、何度もそういう場面に出くわしたことがある。客やそのほかの業者なら、よほど親しくもなければインターホンを押すだろう。ドアを開けるのは、中の介護者がやることだ。
肇は創さんとは親しいので、ドアをあけながら挨拶して入っていけばいいと思ってはいるが、ノックをする代わりのようにインターホンを押してしまう。創さんも気づいてはいると思うが、肇はいつもそこが始まりのように、思っている。
壁に立てかけられている描きかけの絵が飛び込んでくる。先月何度も修正しながら描いた女性の顔がほとんど消されていた。
「なんかな、違うんや。説明的というか、もっとこうダイナミックといおうかな」
創さんはマッサージを受けながら横たわって、肇の方を見上げるように、ベットの上方へ向かって言った。
「はあ、そうですね」
肇は生返事でもなければ、相槌とも、楔ともいいようのない、いつもの返事をした。マッサージをしている介護者と目が合って、会釈をしながらその人の名前を思い出そうとしていた。
「外山くんだよ」
「ああ、とやまさんでしたね」
創さんはいい絵を描く。といっても、筆を握って自分で描くわけではない。肇が最初に創さんの絵を見たときの感想は、上手いがこれはやはり筆を持っている人の技量だろうと思った。でも、ただ上手いだけでない。見いだせないほどの歪さがあって、その歪さが絵全体を包括している。それで絵のサイズ以上に迫ってくる一体感やダイナミズムがあった。
「今日はどうしましょうか」
どうやったらそんな絵が描けるのか、創さんが絵を描く前から肇は知り合いではあったが、再び関心をもったのはその絵を見たからであった。
「笹塚くん今日はな。うん、そうやな。この曲どうや、強烈やろ」
創さんは音楽を文字通り頭上でずっと流している。ベットの上方にBOSEの小型スピーカーがあって、ipadからbluetoothという変な名前のついた電波を飛ばして音楽を流している。BGM、バックグランドではない。創さんは、絵を描くときも肇と話す時も、ずっと正面から音楽を聴いている。創さんが強烈だと言ったその曲は、「何もない」という言葉をリズムやメロディーや音色を少しづつ変えながら女性が連呼している所だった。
「ここだけ聴いても、、まあ強烈ですけど」
創さんにとって音楽はとても大事だ。たぶん、創さんにとって音楽は絵よりも大事なものなのかもしれない。創さんにとって音楽は逃げ場であり、安全地帯であり、家であり、居心地よく安心できる時間を形にしたものなのかもしれない。創さんと肇の音楽の好みは、似てはいたが微妙に違った。それは例えばビートルズとローリングストーンズのように、対になるようなことがあったり、一括りにされるようなこともある、程よい違いだと肇は思っていた。
「理解はできても、分からないか」
それは肇の口癖であった。肇が創さんの代わりに筆をもって絵を描くときに、創さんの言っていることがよく分からない時に肇はそのようにつぶやくことがあった。それを面白がって肇がつぶやく前に創さんが言うことも最近はよくあったのだ。

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