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『さよならTSUTAYA西新井店』 3.Manic Street Preachers 『Journal For Plague Lovers』

失ったり、また取り戻したり。
自分は事あるごとにCDや本をそうしてきた。
物持ちの悪い人生なのだろう。なくしたものは数知れない。
CDプレーヤー、CD、本、ゲームソフト、ゲーム本体。
壊れるまで使い、ということはあまりなくいつのまにかなくなっていて、
それを買い戻したり、忘れたことを気づいた時には、捜索願いを出しても戻ってこなかったりする。
「なくす」、あるいは「なくなる」ことと、「死ぬ」こと。これは似てるようでどこか違う。
天才かつ奇矯な数学者エルデシュも、「死ぬ」ことをわざわざ「去る」と言い換えていたが、
なにか理由があるのだろうか。


今回紹介するCDはリリックを書いた作詞家が「いなく」なってしまったアルバムだ。バンドの名前は、
マニック・ストリート・プリーチャーズ。イギリスではかなり有名なバンドだが、簡単に説明しとこう。
結成は1986年。
「30曲入り2枚組1stアルバムを作って世界中でヒットさせ、解散する」
というとんでもない大風呂敷を広げてアルバムをリリースし、
それを揶揄したインタビュアーに「4 REAL(マジっす)」と、
カミソリの刃で自らの腕に文字を入れて、見せつけ、17針を縫う大怪我。
結局1stアルバムはイギリスで13位くらいだったのだが、解散宣言を撤回してとりあえず順調にバンドとして歩を進めていた。
しかし、カミソリで腕を自ら傷つけちゃった、リッチー・エドワースが精神を病み、ホテルから失踪。
その後政府から死亡宣言がだされるまでずっと失踪しっぱなしである。
「いなくなった」のだ。
メンバーの失踪によって、逆にバンドは有名になり、国民的バンドになる。それも皮肉なことだ。
ついには世界的成功から、西側のバンドで初めて、カストロ政権下のキューバでライブをすることにもなった。

リッチーはバンドの歌詞担当の一人でもあった。
そのリッチーが書き残して歌詞を元に制作されたのが、2009年に発表されたアルバムであり、
俺がさりげなく好きな2nd「Gold Against The Soul」と同じくらい好きなアルバム、「Jornal For Plague Lovers」だ。

リッチーの歌詞は様々な文学から影響を受けた詩作、と言えると思う。そこにいない人間の言葉を、
ヴォーカリスト(はニッキー・ワイアー)が歌う。まあ、ありがちな話だと「人は死んでも歌詞は残り、永遠である」
みたいな話になると思うんだろうが、どうも…なんかそう思わない。
リッチーの歌詞の内容にもよるんだと思う。ホーキングやマーロン・ブランドなど、固有名詞を何度も出し、
だからといってそれの直接の糾弾ではない。頭でっかちで、精神を病むほどこんがらがったリッチー。その言葉は、
俺から言わせれば「複雑」だ。そう簡単に歌詞の真意を「読ませない」ような感覚もある。

「なくなる」というのは、既にあったものが消える、という感覚だ。
しかし「死ぬ」、いやもっといえば「死んだ者」というものは、もっと、空虚な、なんの意味もない穴のようなものな、気がする。
リッチーが何を思い、このリリックを書いたのか。それはもうわからない。「死んだ」ものだ。
その真意をしゃべる者はもういない。だから俺からすると、このアルバムに流れるリリックは、ある種「死んだ情報」といえる。
だってその情報の真意を、誰も知らないんだもの。
「なくなった」ものを悼むことは簡単だ。悼む対象はその「なくなった」ものを知っている。
それはこんな姿をして、こんな食べ物が好きで、自分にこう言ってくれた…それは「自分勝手」ではあるが、悼むその人にとっては、
明確に既知の情報なのである。追悼、なんてものは、各々がその亡くなったものの情報を思い出しあい、呼び起こしあい、
そこにあるものが、あったものが、今、ない。という感覚を悲しんでいるのだ。

しかし、「死んだもの」にはそれ自体は何もない、「知られない情報」である。誰も見ていないところで倒れた老木だ。
ゼーバルトの小説、「アウステルリッツ」に出てくる幾多の写真のように。
そこに何を入れてもいい容器のようなものだ。
だから、マニックスのメンバーは、そこにギターとドラムとベースを、
自由に打ち込んだ。
勿論、在りし日のリッチー・エドワーズを思い出して、悼む、という聞き方も可能である。
だが、既に死(失踪)の年、1995年からは、14年たった。僕のように、リアルタイムでリッチーを知らない人もいるのだ。
そんな人間にとってはこのアルバムの言葉は不思議なものだ。ぽっかりとした穴を覗き込むような、感覚。
もちろん、「大きい穴だねー」とか「わりとくっきり円形になってるねー」みたいなことは言えるだろう。だが、
何かもっと語ることがあるはずなのに、口からは出てこない。
いや、おそらくリアルタイムでリッチーの死に触れた人も。僕たちと同じような感覚を覚えるのかもしれない。
だって、人は、結構簡単に忘れてしまうから。
でも、それはきっと悪いことだけではないと思う。悼むことは、ある時はとっても疲れてしまう気がするから。

TSUTAYA西新井店で「jornal for plague lovers」を、2009年に買っていつのまにかなくしていて、
もう一度買い戻した俺。しかし俺はふと気づく。もうspotifyがあり、
このアルバムだって普通にスマートフォンで聞けるのだ。
買った意味がない?いや、俺はライナーノーツをじっと見つめる。
児島由紀子が訳したリッチーの歌詞に目を通してみる。

・・・今、これを書いているのは2019年の1月。
そう、この投稿はこの一連noteの連作を終わらせようとした最後の投稿だ。草稿は大分前にできていたが、
バンドの紹介のところらへんで力尽きていたし、きっと書き始めた当時も、なぜこのアルバムを選んだのか、ひっかかったのかは、
今よりかけなかったのではないか。
TSUTAYA西新井店は、勿論、もう存在しない。

TSUTAYA西新井店どころか、それが入っていた、西新井の駅ビル、そこに入っていたショッピングモール、TOSCA西館自体が、
2018年7月をもって業務を終了した。
神保町ではジャニスが閉店し、自分の音楽のインプット先が、
いよいよインターネット上、スマートフォン上を中心に行うしか
なくなってきていた。そんな年だった。2018年は。

俺はこの西新井に10年以上住んでしまっている。
生きているのだから、日々の記憶は貯まり、
それがこんなnoteを書かせてもいる。
しかし、いよいよ死が訪れ、なくなっていく店や建築物をいくら見ても、
なにか、少しずつ感情が冷め切っていくのを感じる。
わかりきっていることなのだが、そしてこれは自分の言葉でもないのだが、
人は、必ず消滅や死の時を迎えるが、全く何かしらに影響を及ぼさず死を迎えることもできない。
今、きっとどこかのSNSのアカウントで人知れず偲ばれている、この空間の死を、何かしらに昇華すること。
そんな誰も頼まれてもいないことをやっている自分がいた。
そんな自分の目は、中古屋で曲のサンプルとなるフレーズを求めてレコードを漁る男の目と同じだろうか。
それはわからない。

2019年7月をもってトスカの西館は取り壊しを予定している。



ありがとう。TSUTAYA西新井店。


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