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Noism「R.O.O.M.」を観劇した感想

 まずはNoismの活動期間が更新されたことを喜びたい。
 R.O.O.M.公演中も活動更新がされるかどうかわからない状態だったのでこちらもヤキモキしておりました。3月3日に開催された出演者全員による質問コーナーが開催された時も明らかにはされておらず、3月5日の新潟日報朝刊に美術評論家の大倉宏さんの文化政策の必要性についての寄稿が掲載された矢先の活動期間更新発表でした。

狭い空間

 Noismの公演を全部みているわけでもなく、舞踏に関して一家言あるわけでもない感想です。

 1月27日と2月16日の2回観に行きました。画像は2回目のチケット、予約できず当日券狙いで行きましたがその当日券もギリギリ取れたという状況で注目度が高いんだなと実感しました。無事にチケットが取れて一安心!

 会場に入って驚いたのはステージ上に天井が作られていたことでした。
 長方体の部屋を外側から見ている感じですが、壁、天井、床が光を反射して眩しいくらいに照らされていてちょっと奥行きが掴めず深視力が試されているような空間でした。
(後で知りましたがアルミホイルを張り付けていたそうです)
 その部屋を見たとき、ロラン・バルトの「明るい部屋」を思い出していました。 ”狂気をとるか分別か?
 まぁ、明るい部屋だなと、そのまんまなんですけどね。しかし、だとしたら部屋の外はいったい何が、どのような世界が広がっているんだろうと想像してしまいました。映画「CUBE」も思い出し、いよいよ「脱出しなければならないのでは・・・」などと強迫観念をいだきつつ暗転。

 そいうえば今回は「実験舞踏」という新シリーズなんだそうです。
 個人的なイメージと今までの少ない経験から「実験は東京の専売特許」だと感じていました。
 東京は、人が多くお金も動く、何かを行える、活動できる場所も沢山あり、失敗をある程度スルーしてくれる。目の前で起きていることを「性質」ではなく「データ」として扱ってくれる。余裕もなんとなくありそう。田舎は東京のおこぼれを頂戴するしかないという感じで。なので「実験舞踏」というネーミングはちょっと嬉しい気持ちになりました。ようやく、こちらから新しい価値感を発信できるんじゃないかと期待します。

 「R.O.O.M.」は出演者が壁、天井のあちこちから出たり入ったりしていました。出演者が頻繁に出たり入ったりするのを見ていると、なんだか演劇鑑賞しているような気分になってきました。出演者が舞台上から入ったり、出たりするだけで物語が紡がれるのかもしれないなあと思ってみたり。この部屋に入ってきた人たちは、出て行った人たちは何処から来て何処へ行ったんだろうか、と考えてしまう。輪唱するように動く群像を見ながら、でもそこから浮いてしまう群像劇を感じつつ。

 「鏡の中の鏡」は金森穣さんと井関佐和子さんのデュオ。
 R.O.O.M.の壁の一部が「鏡」のようなものに差し替えられた部屋の中での舞踏でした。印象的だったのは壁を強打すると「鏡」の表面が水面のように揺らめいていたことでした。劇中、金森さんが鏡を覗くと金森さんの姿は映らず、井関さんが表れる演出もありました。水鏡の揺らめきや二人の表情を見ていると何となく切ない気持ちにもなりました。
 あんまり関係ないですけど最近ハッとしたことがあって、鏡や水面に移ったものを見ているときは、鏡や水面自体を見てない(意識していない)と気付いたことでした。みんな映ったものしか見ていない。


 2020年8月までの活動更新なのですが、いままでは3年ごとに更新されていました。今回の更新は1年なのです。遅まきながら「文化」についての「結果」とは一体なんなんだろうかと考えたりもしています。
 そんな感想。

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