2024.1.21 つきものがおちる

友人が子ども2人を連れて来訪。会うたびにそれぞれの心身の成長を感じる。同じ種類の生き物だけど、おもしろい存在だと思う。
昨日の代金間違いの件で、相手の人に電話をする。代金を間違えた経緯を説明して、近日中に忘れ物と一緒に差額を届けたいと伝えるが、それはいいと言われる。「お母さんに伝えちゃったの?傷つけたくないから伝えないで」「お母さんに優しくしてあげてな。みんなおかしくなってくんだからよ」と率直なことばから、まっすぐな優しさだけがびゅんと飛び込んできて、はっとさせられる。つきものがおちたみたいな気分になり、「優しくしたい」、久しぶりにそういう気持ちを思い出した。
一昨日の人も、今日の人も、根本的には「お母さんに優しくしろ」というメッセージのはずなんだけど、自分の受け止め方の大きな違いに驚いた。
たぶん、一昨日の人のことばには余計なものがくっついていたせいもあるし、そもそもの相手の人に対する私の感情も大きく影響しているのだと思う。
夜、夫に話したら、相手に対する好悪の感情と発言内容の善し悪しは切り分けられる強さを体得できるといいよね、となったが、かなりの修行が必要だ。発言者とテキストの分離、生きてる間にできるかどうか。
夕方、母のカットとパーマ。
最近読んだインタビュー記事の話から、晩年の父の思い出話に。認知症を患っていた父のエピソードの数々は何度思い出してもおかしく、懐かしい。
父は病を得てからも、かつての日課のウォーキングを私との散歩に形を変えて続けていた。「まだ行かないの?」と私を迎えに来るくらいだったから、てっきり毎日の楽しみにしているのかと思っていた。ある日、どういうつもりで続けているのかと聞いたら「僕の使命だから」と答えるので認識を改めたのだった。父は、自分の健康を保つことが家族に対する使命だと思って、何十年もウォーキングを続けて来ていたのだった。
その思い出話をして、室内での簡単な運動をすることを母に提案すると「それならやる」との返事。プールに行くより面倒じゃないらしい。
父は死んでからも母を笑顔にし、励ましていて、えらいな。
夕飯の後、先日の大豆の茹で汁、大豆、えのき、青菜でスープを作る。

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