経過観察・初めての医師にあたる(術後37ヶ月)/『セールスマンの死』のこと

土曜日から3連休にして、最終日となった今朝は、なかなか起きられず10時近くまで布団の中で過ごす。
昨日、横浜で一人で芝居を観た後、夫や友人たちと遅くまで会食し、珍しい中国の酒を飲み、仕上げにラーメンまで食べて帰り、そのまま水も飲まず、風呂にも入らずに寝たせいだ。だるくて動けない。

湯船につかり、洗濯をし、布団をあげて、掃除機をかける。だんだんと体が動き始める。ラジオを聴きながらヨガの動きをする。

12:30に家を出て、地元のHクリニックへ。舌の状態と噛み合わせのチェック、歯の掃除をしてもらう。マウスピースに穴が空いてきたので新調する。歯石をとってる間に新しいものができていた。初回の歯型があるのだろうか。ぴかぴかで嬉しい。

近くの喫茶店でホットサンドのランチセット。フランチャイズのオーナーか何からしい男性店員(話ぶりから決裁権があることが伺われる)と近所で飲み屋をやっているという男性客の会話が耳に入ってくる。飲み屋のアルバイトが見つからず困っているらしく、喫茶店の男性はどこも同じだと応じる。狭い世界の中で人を見下す価値観が無意識に共振しあうような話ぶりで、嫌な気持ちになる。女性の店員たちがてきぱきと立働く側で延々しゃべり続ける無神経さも気になる。あの2人のどちらとも一緒に働きたくない。

近くの書店で雑誌を買う。昨日観た芝居の存在を教えてくれた知人が長いインタビューを受けている。おもしろい。

午後は大学病院の経過観察。道すがら、気になっていたサロンをのぞく。誰もいない。
診察はこれまでのM医師とは別の医師(グループでの診察だから次も違う医師かもしれないらしい)。名札を見せて「はじめまして、Sといいます」と自己紹介をされた。関西弁(京都あたりの印象)の柔和な印象の男性医師。出した舌をひっぱられる感覚や口の中を触られる感覚が柔らかく、医師の指先と口の中の粘膜がぴたっと添うような感覚。これまで何人もの医師に口の中を触られているが、この感覚は初めてのことだ。何が違うのだろう。
視診、触診は5分もかからずに終わり、2月の造影CT検査、診察の予約をとり、採血をして会計へ。

昨日観た「セールスマンの死」のことをずっと考えている。
1949年の戯曲で、70年前のアメリカが舞台の作品。アーサー・ミラーという劇作家のことも、この作品が名作とされることも何も知らずに、知人の熱っぽい劇評に惹かれて観にいったのだった。
実のところ、序盤はうとうとしてしまったのだが、じきにひきこまれ、終盤の父子の対峙する場面では胸がつまるようで、舞台をじっと見つめていた。劇場中が集中しているみたいだった。
強い思い込みと妄想と共に生き、仕事を失いつつ、かつ、壊れつつある父の姿は痛々しくも見苦しくもあり、その父からの過度な期待につぶされて逸脱行為を重ねた末に「俺の実像を見てくれ」と対峙する長男の姿は苦しくもあり、ある種の諦念と解放感も感じられた。長男のようには関心を向けてもらえない女好きの次男、夫からないがしろに扱われながらなんとか家庭内の均衡を保とうと努める母、家族のそれぞれに苦しさと寂しさがある。
時空を超えてこれだけ痛切に苦しさややりきれなさをきざみつける戯曲の力、「演劇」という仕組みの力に思いあたる。

帰りに商店で買い物。閉店が近く、安売りしている。

朝/りんご、ルイボスティー
昼/ホットサンド、サラダ、コーヒーゼリー、コーヒー
夕/厚揚げ焼き、にんじんラペ

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