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対人関係で悩んでる件

対人関係で小さく小さく悩んでいるのだが、『他人は自分を映し出す鏡』とか言われると、自分が反映されているのかと思ってどこにぶつけて良いのやら分からない怒りがこみあげて来る。
とにかく問題を起こす事が好きな人間が多いのはなぜだろう。
小さな事を盛りに盛って大きくしたり、仮想敵を作り上げて巻き込んで来たりとこっちも胸中穏やかじゃない。
最近思うが、自分が凄いと小さなコミュニティの中で発言・発信している人を散見するが、本当にこれは良くないと思う。

道徳心の欠片も存在していない気がする。
大切な『心根』が、欠如していると思うのだ。
そんな話

とにもかくにも『自慢話』は人にするものじゃない。
マウントなのかなんだか分からないが、人の話に聞く耳を持たないならまず話かけないでもらいたいものだ。
非常に絡みづらい。

自分の話がしたいだけで、他人の話を聞く気も無いってのはどうかしている。
気持ちは分かるが会話になってないじゃんか(∵)
会話のキャッチボールじゃなくて、壁当てだよこれ。

仕事のディスカッションをすると言う時に、聞かれたから現状を答えたとして…。

『自分の方が大変だよ。』
『自分の方が忙しい。』

とか、そんなマウントを取って来るんじゃないよと思ってしまうのだ。

それはディスカッションじゃなくて、愚痴を聞く場になっているだけだ。
呼ばれた自分としては壮大に時間の無駄に感じてしまう。
まるで会話になってないし、仕事に関して言えば1ミリも話が前に進んで居ないし一体なんなんだろうと、思う。
だったら愚痴聞いてくれとか、悩み聞いてくれで良いじゃないか。

古の日本では、『苦労は買ってでもしろ』とか、言われていた。
仮にそれが正解の形であれば、苦労を買って出たのは自分である。
その選択肢を与え、進んだのは自分であるにも関わらず苦労話を他人に話すのは、苦労する場所を間違えているだけに過ぎない。

努力する場所を誤った効率が悪い人だと思う。

自分が好きでやっているんだから、そんな事を他人に話すものじゃない。
それは、聞かれたら答えるものだし、自ら話をするとか愚の骨頂も良い所である。
1ミリも比較にもならないから黙って目の前の事に励むか、今のやり方を変える努力をしろと、思う◎

・他人への説教
・過去の自慢話
・過去の栄光話

これを言い出す人は大概ふんだんに器が小さいか、老害一歩手前だから、本当に気を付けよう(∵)
相手にすると貴重な自分の人生の時間が無駄になる。

他人の過去の栄光話は聞かれたらするものであって、自分から話すものでは無い。
くだらないし、みっともないと思う。

マウントと言えば、いつまでも腹立ってしょうがないのが、自分が長く生きたから(年上だから)知識や経験が豊富だと過信している人だ。
知識があっても知恵が足りないとはまさにこの事だ。
そんな事を思っている時点で既に成長する事を自分から降りているに過ぎないのだ。

それを平然と話す人が周りには多いが、それがブーメランだとなれば、何も発言・発信をしたくなくなるよね(∵)
話が逸れたが、もう放っておくしかないのだろう。
放置と言うか無視と言うか、引き続き興味関心を失くす意識を持ち、情報を入れないように無視をし続ける事が大切である。

悩みではあるが、愚痴とか怒ってる訳では無くて、単純に目の当たりにすると、世の中色んな人が居て面白いなと改めて思う。

本人は発言している限りは気づけないんだよなーと思いつつ、自分もそうなんだろうなーと思うから、気を付けている。
他人の事よりもまず自分の事からである。

貧乏神が巣食う人とは一緒に居ないに限る。
貧乏神が憑くと、金が無くなって貧乏になる訳では無い。
どんどん心が貧しくなってしまうのだ。

この記事でも伝えているが、これまで食らった愚痴や悩みだと、大きく分けて2つ存在する。

・金の話(儲かってる話・金が無い話・儲け話等)
・他人の文句・悪口・陰口

これは本当に疲れてしまうし、聞いてるだけでもカロリー消費が半端じゃない。
言いたい気持ちも分かるし、言いたくなるのも理解はできる。
一人で抱え込まずに吐き出す場所があるのも素晴らしい事だ。
ただ、聞いてる側はどれだけ疲弊しているかと言う事を理解して頂きたい。
1ミリも前に進んで居ない、不健全で不健康で何も解決に糸口は見つけられないのだ。
こんな事して誰が得してるかと言えば、誰も得を生んで無い。

そして、ぜ疲れるかと言うと、会話が成立していないからだ。
エネルギーを込めた言葉を一方的に送られて来たら疲れるのは当然である。
自分の話をしたい時は、過去の話を擦り続けて居ないで、新たなエピソードトークができるように常にアンテナを張り続けないとならない。

過去の苦労話は棺に入る前で良いんじゃないかなと最近思うようになっている。
そうじゃないと、頑張って居た過去の自分が可哀そうで不憫でならない。
自分の選択肢で選んだ人生だから、その選択をした自分を否定しているような気がするのだ。

仮にその試練の道を乗り越えた上で、過去の自分を受け入れているならその大変だった苦労話とかしないはずだ。
ましてや他人と比較をして自分の方が大変とか、自分の方が経験豊富とか口が裂けても言ってはいけない台詞である。

そして、他人を卑下してはならないし、それは勘違いも甚だしいのだ。
デリカシーの無い人間はシャットするに限る。
付き合い続けるのであれば、それは自分に責任があるのだ。
意味不明なマウントを取っている限り、もうその時点で自分に対して負けを認めているようなものだ。

人と人は繋がりが大切だが、環境を変化させなければそろそろ身が持たない。
日々こんな事ばかり数年続いている状態で、正直言えば、精神的にとても疲れている。
限界なんてとっくに超えているのは事実だ。

それも自分で選択をした道であるから、誰のせいでも無いのも悲しき事実。
その上で、自分で防御し続けなければならないのだ。
デリカシーが無いと言うか、モラルの欠片も無い人間が居ると、嫌悪感しか生まれないからせめて近づかないに越した事は無い。

相手にするから付けあがるから、一切を無視する事こそが最大の防御であり、攻撃だと思うのだ。
興味関心が薄れたら、それは道ですれ違う人間と一緒。
他人とはそのレベルであり、誰も責任も取れないし、無責任なのだ。
だからこそ、合う人間と一緒に居たいし、笑い合って冗談を言い合って居たいと思う。

対して仲良くも無い人間から言いたい放題言われて、挙句の果てには友人面されてもはや慣れ慣れしいにも程がある。
他人様は所詮無責任であり、付き合う人の精査は自分自身でしっかりやらないとならないのだ。
言ったところで変わる訳も無ければ、変わる気等、更々無いのだ。

だからこそ、そこにばかり目を向けていては仕方が無いのだ。
その時間すらも勿体ない。
楽しい事や頑張って居る事が無駄に感じてしまったり、すごく台無しな気持ちになって悲しい気持ちになる。
色々と成長の為の勉強時間と捉えて居る。
しかし、人生でこんなにも堪忍袋が切れた事が無いので、ここまで怒れるものなのかと、未だに驚いている。
一刻も早く、1秒でも早く今の環境を変えて、状況を良い方向にもって行きたい。
その為にも今は変わる為の準備が必要なのだ。

とにかく、入りの部分で人の話聞きますよう的な姿勢で来る割には自分の話をし出して、こっちの話なんて聞いてやしないパターンの人間とは心底相容れないと感じている。
相当な関係性が無いと許される事では無い気がする。
とにかくその時間は最高におもんない。
話を聞いててそんなに魅力的なのかと言えば、人の話を聞かないならそうでも無いよねーって話。

聞いても無いのに苦労話と自慢話する人間の言う事は1ミリも心に響かない◎

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