元花屋の娘

確認作業を繰り返す。夫とのこと多め。 ああだこうだと夫婦でしつこくやってます。

元花屋の娘

確認作業を繰り返す。夫とのこと多め。 ああだこうだと夫婦でしつこくやってます。

最近の記事

よかった、まだわたしたちは、

未だに、物音や特定の音が苦手で、音に対しての恐怖や不快感、嫌悪感のざわざわがたまらなく苦しいときがある。家族との生活の中でも困ることが多い。集合住宅で生活していれば誰かの生活音は耳に入って来るし、蝉の声や葉っぱの擦れる音、すべての音が気になってしまうわけでもない。 日常の中で自然と聞こえる生活音の中で、わたしは誰かが階段を上がる音や扉が開く音、誰かがこちらに向かって歩いてくるような 迫ってくる音がいやなのだと。ここ数年で知った。 家の中でも、特に布団に入っているときに聞こえて

    • LOVE LIFE

      少し前に、観に行くのをずっと楽しみにしていた「ウーマン・トーキング」を、夫と一緒に観に行った。 素晴らしい映画に私は胸を打たれ、泣きじゃくり、映画が終わっても涙が止まらず、その足で受付でパンフレットを買った。パンフレットを買ったのは何十年ぶりだったと思う。 本当はもう一度観に行こうと思っていたし、同じ劇場で「ぼくたちの哲学教室」を観るのも楽しみにしていたのに 突然の、手術・入院となってしまった。 私は今まで、夫と映画を観た後「そのために音楽があるのかもしれないね。だから人

      • 自分で磨かなくちゃね、

        文字の感触に安心している。 これはあの場所の、あの感覚だ、と、今ここにいる自分にこんな風に過去が、関与するなんて、至極不思議に思える。 小学生の私は、夏休みになると大好きな祖父母の家に泊まりに行っていた。 一週間くらいだったかもしれない、そこには恐怖はなく、ただただ少し埃っぽい、あたたかな日差しの部屋で、ひたすら本を読んでいた。 祖父がつけている映画のチャンネル、具は二種類のシンプルなお味噌汁。 祖母がむいてくれるグレープフルーツのかおり。 すべてが少しずつ軋んだ音のする

        • 好きの解像度

          わたしは自分の好き嫌いを楽しんでる。 過去に何度か、あなたは変態だねって言われた時 「それは違うと思う。好き嫌いがハッキリしているだけで、自分の好きなものを知っているだけだよ~」って言ってた。 何が詳しいとか長けているとか、どんな相談にも応えてあげられるとか、 そんなんじゃない。自分の好き嫌いを知っているだけ。 いや、分からないから考え続けている分を自分の範囲で応えられるってだけ。そこに変態も何もないね?って。 (相手が全部ひっくるめて私に変態って言っていた可能性は、、分か

        よかった、まだわたしたちは、

          感情に名前をつける。

          二年前の写真を見ていたら今よりしゅっとした顔の自分がいた。 ・・・と書き出したまま年を跨ぎ、新年度も始まり、蝉が鳴いている。 去年は今まででダントツに早い一年で。間違いなく私たち家族にとっての変化の年だった。気が付けば長男が生まれてから干支も一周した。ここまでのたうち回ってやってきたことが、ある意味での一区切りを迎えた亥の年。 考えてみると、私は二、三年前はまだペアレンツプログラムに通っており、春先にプログラムを終了。まだついこの間のことなのだ。そこから本格的にトラウマ治

          感情に名前をつける。

          痛みのワーキングメモリ

          知ると感じるの間には凄まじいほどの差がある。 少し前までお好み焼きブームだった我が家。我が家というより、私と夫がちょっぴりはまっていたのだが。大きなホットプレートの用意と匂いをつけても構わない環境が整うなら、毎日お昼ご飯にあれを食べたい。正確に言うと、私は夫が焼くお好み焼きを、毎日食べたいのだ。 とはいえ、何よりお出汁が肝心。お好み焼きはお出汁と焼き方がすべてだ。しっかりと丁寧に出汁を取る。そのままごくごくのめるその美味しい出汁を用意するのは私の役目である。あとはたまごは多

          痛みのワーキングメモリ

          子どもが体現していくこと。

          ちょこちょこtwitterにも書いていたけれど、まとめて書いておきたい。 それは「呼び方」に関してから始まる話で、子どもに対して私達夫婦がとても気を付けている大人の振る舞い。言い方を変えれば、教育の話であり 子ども達が大事な土台をつくっていく過程で、理屈ではなく感覚として私達が伝えられること。 ・・・と言いますか、本来伝えられるなんて大そうなもんでもなく、 彼らには否応なしに伝わってしまう。それはとにかく良くも悪くもなので、 これは虐待の話にも繋がります。 先ず、我が家は

          子どもが体現していくこと。

          おいしいごはん

           この季節は南瓜好きの私にはたまらない。毎年こんなことを繰り返し言っている。特にハロウィンに向けての10月は町が南瓜だらけになるからね。パン屋さんには南瓜のパンが。ケーキ屋さんには南瓜のモンブランなんかが出てくる。並んでいるのを見るだけで嬉しくて、とにかく私はあのオレンジ色が大好きなのだ。  よし、書くかと、noteを眺めていたら一番最初にかぼちゃのポタージュという文字に心を奪われた。読んでみるとそれは本当に美味しそうなかぼちゃのポタージュのレシピで、書いている人を見たら有

          おいしいごはん

          はじめに。

          書きなさいな。 夫は事あるごとに私に、そう言ってくれていた。 私達家族は、私達夫婦は、とても特殊な生活のかたちの中で言葉を交わす。必要なだけ、山ほど。本当に山ほど。 目まぐるしく勉強し続けたこの5年間、物理的には家族はバラバラである。現在一緒に生活しているのは私と次男のみ。 言葉を交わす、なんて生易しいものじゃなく、私達は言葉をたたかわせ、ひたすら丁寧にしつこくやり続けてきたのだ。その確認作業は本当にお互い血まみれという感じで。生活を共にする家族や夫婦も真っ青なくらい

          はじめに。