ヤモリの告別式
ペスチェレットは帰らぬヤモリとなった。
あの痛ましい事故のことを、コランジェは呟く。
「なぜ、あんなところに……」
「おいコランジェ。もうペスのことは忘れろ」
「だってあなた。あの子はまだ幼かったのよ」
「ああ、分かってる」
コランジェの第一子だったペスチェレットは、網戸に引っ掛かって亡くなった。アシナガ警察では、これを事件と事故の両面から捜査、レアなケースの殺ヤモリ事件との見方を強めている。
調べによると、ぺスチェレットは自宅1階のリビングの窓の隙間から侵入したところを、家の主に見つかって逃走中、巻き取り方式の網戸(ロールスクリーン方式)の最上部、ロール上になった網戸の隙間へ誤って入りこんだとのこと。
ことの顛末はこうだ。
朝6時頃、この家の夫妻はリビングで朝の支度をしていた。
主がリビングの奥の机でキーボードを叩き、その妻が窓を開けようとしたその時。
「うわぁっ!!」
トーンの低い妻の悲鳴で、主は顔を上げる。
「いる……いる」
「ゴキブリ?」
「ヤモリ」
「どこ?」
「そこ!!」
両目1.5の視力と、眼輪筋その他を駆使して、主は真向かいの窓枠上部に目を凝らした。
「あいつは……ゆうべ俺の風呂を覗いていたヤツじゃないか」
半身になってカウンターキッチンへ逃げ込んだ妻の視線の先に、故・ペスチェレットはいた。
体長およそ7センチ。色は肌色~薄い茶褐色に近く、手足の5本指は人間のように器用そうに見える。
noteを更新したい気持ちをおさえ、やや重たい腰を上げた主は、のそのそと窓枠に近づいていった。
180センチを越える主が顔を上げ、視線の斜め上にヤモリ。それでも50センチほどの距離がある。
(か、かわいい……)
逆さまにペタリと張り付いた、その愛くるしくキュルンとした“ヤモリアイ”に、主は心を奪われそうになった。
主の動揺が少なかったのには理由がある。
この家では主が風呂に入るときだけ、浴室の窓にヤモリが現れるのだ。
それを、主は決まって歓迎した。
防水タブレットで写真、あるときは動画。Twitterに上げたり、自分の妻にLINEで送信したこともある。妻にはあまり歓迎されなかったようだったが。
それらは必ずしもペスチェレットではなかったが、主はどのヤモリにも分け隔てなかった。
しかし、この日は決定的な違いがあった。
家宅侵入罪である。ペスチェレットは室内へと入り、柱にステイしていたのだ。主は観賞用ヤモリは愛していたが、生活圏を犯されることはひどく嫌った。
ペスチェレットが、そばにあった柱へと移り、相変わらず下向きのまま、主を見つめていると、主がビニール袋を持ってやってきた。
どうやら「ここに入れ」という意味らしい。
下向きに張り付いていたペスは、ヒュルッと身をひるがえして上にのぼり、柱の裏を回って、事故現場となった網戸設置部分へとやってきた。
ペスの小さな脳内に、両親の言葉がよぎる。
「家の人が起きるまでに帰ってくるのよ」
「くれぐれも、気を付けるんだぞ」
厳重な注意を両親から受け、朝の散歩に来たペスチェレットは後悔していた。
(あんなに注意されたのに……)
ペスチェレットは混乱していた。
(ぼく、どこから来たんだっけ、とにかくどこかへ逃げなきゃ。あ!!)
次の瞬間、彼は無我夢中でロール上に巻き取られた網戸の隙間へと頭を突っ込み、スルスルと薄い体を滑り込ませていた。
「やば、入ったわ」
「どうするの」
「引き出すしかなかろう」
主は静かに網戸を下ろすための紐を手に取った。
ジー……。灰色の太い紐が、窓枠上部についた滑車を滑る音がする。
シュッ。
ペスチェレットは巻き戻された。
が、しかし。
どう頑張ってもその顔だけが網戸から抜け出せないのである。
「やば、引っ掛かったわ」
「へぇ!!」
ジー……。
主はとにかく最後まで網戸を下ろしてみることにした。
パタパタ、パタパタ。
ジー……。
パタパタ。パタパタ。
ピタッ。
「あ」
「死んだん」
「っぽい」
「あーあ」
ペスチェレットは帰らぬヤモリとなった。
「こちらアシナガ警察。この家の主を、アシナガハウス無断撤去および、ペスチェレット殺害の容疑で引き続き徹底マークする」
その筋の情報によると、主は罪を全面的に認め、反省しているという。
「割り箸でつまみ出したこと、網戸を不用意に動かしたことを反省しています」
事件の詳細について尋ねられた主は、首から下がちょん切れたヤモリを、山際の草むらへ葬り、家の中から手を合わせたことを明かした。
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