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重箱にナムル

東京の人はよく並ぶ。大晦日の朝、近所では年越し蕎麦を求めて行列が出来ている。

蕎麦を食べるのは好きだけど、自分で茹でるのは苦手だ。時間通りに茹でているのにふにゃふにゃになるし、大きな鍋やザルで洗い物が山になる。

蕎麦はもうインスタントでいいやと思った。年越し蕎麦の習慣も「みんながやってるから何となく」でしかない。

おせちやお雑煮に至ってはそれぞれの家庭で受け継がれる味があるだろう。ある年のお正月、かつての姑と義姉の静かなバトルに巻き込まれた。鶏肉VS豚肉。うま煮の話である。(北海道では煮しめと呼ばずうま煮と言う)

「うま煮に豚肉とか聞いた事ないですけどね」

義姉の先制パンチ。台所に戦慄が走る。

「あらぁ、でもうちはずっと豚肉なのよ」

姑のこだわりである。

「あー、私の口には合わないんで」

義姉の自己主張をもっと見習うべきだったと今は思う。

「ユキさんはどう?」

姑に話を振られて戸惑った。

「豚肉でも美味しいですよね」

内心どっちでもよかった。うちの母がうま煮を作った覚えがないので、自分の中で「こうでなきゃ」という型がない。

自慢ではないが母は料理が苦手だ。

「おばあちゃんも料理苦手だったから。ほら職業婦人だったし」

それが母の言い訳らしい。

台所に立つ母をあまり見たことがない。そのことを私自身も料理嫌いの言い訳にしている。

とはいっても、母がうま煮を作らないのは料理嫌いが原因ではない。元々隣の国の人だからだ。

両親が離婚するまでそのことを知らなかった。急に明かされても困る。私は自分のアイデンティティは未だに定まらない。

生まれてこのかた日本国籍、母語は日本語。母が帰化人というだけだ。私が生まれる前に母方の祖父母は亡くなっているので「◯国人としての誇りを持て!」とか言われて育った覚えもない。

向こうの言葉も文化もわからない一方で日本の風習にも疎いところがある。お彼岸とかお盆とかお正月とか。

小さい頃は親戚が集まることもあった。父方の田舎に行けば食卓を埋め尽くすおせちやお雑煮やお屠蘇が朱塗りの器に並べられた。その後父が行方をくらましたので純和風のお正月はそれきりだ。

母方の親戚が集まると食卓がおかしなことになる。味は美味しいのだけれど取り合わせが何とも言えない。

まずはお雑煮の餅が薄っぺらい楕円形をしている。米粉で作られていて歯応えがある。出汁は鶏ガラだ。うまい。

それから謎のお吸い物が出てくる。これはホッキ貝から出汁を取り、ひき肉が少しだけ入っている。これは絶品。

極め付けは重箱。おせちのつもりだろうが、開けるとナムルやら味をつけた牛肉やらが詰められている。まずいものは一つもない。

向こうの法事で作るような料理なのだろうが恐ろしくテキトーな親族たちは祖父母の法事をたったの一度しかしたことがない。それも日本式で。

伝統ってなんだ。私は何を受け継いで、何を残せばいいんだ。

無性にチヂミが食べたくなった。料理下手の母が作った、べちゃべちゃで水っぽい、ニラしか入ってない貧乏チヂミ。パスタで言えば唐辛子しか入ってないペペロンチーノだ。

今はそのチヂミを食べたら泣いてしまいそうで。今夜はお湯を注いでいつもの蕎麦をすするつもりだ。

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