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Nikon Z9からX1DⅡに乗り換えた。

なんでも撮れるNikon Z9。感じる不自由。

Nikon・SONY・Canon・Fujifilmなどなど、数あるカメラメーカー。
それぞれ進む進化の中で激しい競争が繰り広げられる昨今のカメラ界隈。
その中で私は2019年に発売したミラーレスフラッグシップ機「Nikon Z9」を購入し、ポートレートや前撮りなどの人物撮影を中心に風景やスナップなど広く撮影を行なってきた。

Nikon Z9+Nikkor Z50mmf1.2

写る画は素晴らしく、まるで写真が上手くなったかのような錯覚さえ覚えてしまうものだった。
正直、手放すなんて全くもって考えていなかったのである。では、なぜ手放すに至ったのか。心の動きを追って記載していきたいと思う。

「撮っている」から「撮れている」に。

さて、前項で褒めに褒めたZ9だが、私にとってはまるで特級呪物であった。
何を撮っても画になり、フォーカスも速くそして外れない。構図や露出さえ決めて仕舞えば満足のいく写真がそこには出来上がっていた。
しばらくはそれでいいと思っていた。
しかし、続けていく内に自分の写真が好きでなくなってきたのだ。

「この機材を使ってこの程度しか撮れない」
「撮れた写真が軽く見える」

例えばポートレートでも連写で撮る。そうすることで目や髪の動きが理想のタイミングを切り取ることができる。が、私はこれで1枚への想いが軽くなってしまっていると感じた。
SNS全盛期の今、Xやinstagramにはどこをみても素晴らしい写真達で溢れている。そして比べてしまう。
技術・知識・経験が足りないことは火を見るより明らかであるが、機材である程度カバーされていることで上手くなったと錯覚していた。
そう。私は身の丈に合わないZ9の奴隷と化していた。

スランプと呼ばれる何か。

そう感じてからは早かった。Z9を持ち出す頻度は減り、日を追うごとに写真から離れ始めていたのだ。前は気にもしなかった重さも、大きさも、気になるようになった。

なんでも撮れるカメラで常に考えながら撮り続ければ上手くなるだろう。
しかし、撮らなくなってしまえば元も子もない。
そうして私はZ9を手放すことにした。

次回、X1DⅡとの出会いについて触れていこうと思う。



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