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あたらしく

今日はふつうの日記を。

年末年始のバイトの日々を終えて、

数日前から実家に来ています。

久しぶりの帰省で、最初はテンション高めだったものの

段々と疲れて一人の部屋に戻りたくなってくる…

随分と勝手な子どもですね、私は。


忙しくて食べられていなかったお蕎麦やお雑煮を

母に用意してもらい、無事に心にも正月が来ました。

一緒に紅白なますや伊達巻をつくって

遅めの正月に家族を巻き込む。

母が抹茶をたててくれて

私が土産に買ってきた和菓子と一緒にいただく。

父は相変わらず家事はあまり手伝わないけど

以前よりずっとやさしくなった。

兄も相変わらずよく食べよく寝ている。

自閉症と知的障害を持っている、と説明して

どれほどの人がピンとくるのか分からないけれど

私は兄のことが好きだし、言葉でやり取りをしない分、嘘がなくて安らぐ。

誕生日の近い私たち、兄はもうすぐ26に、私は24になる。(年女ですね)

お互いに、変わらずに変わっていければいいなと思う。


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穏やかに毎日を過ごすことを

ふつうに望んでいいのだ。

何とも闘わず、何かを目指さず、何かを打ち破ったり乗り越えようと躍起にならず、

ただ毎日、心穏やかに生きることを、私は私にゆるしていいのだ。

高い壁を乗り越えたら、何かが見えて、それが自信をくれて、もっと強くなれると思っていたのです。

最終的には、そう言うことも可能かもしれないけれど、

そんな分かりやすく簡単なことではなかったのでした。

受け容れる。

このことの方がよほど、私には大事なことでした。


実家の庭はとても広くて、いわゆる田舎の農家の庭で、

土も草も木も虫も鳥も近いです。

庭に出て、ただ雑草を眺めていたら、何かが解放されたようでした。

冬でも地面はけっこうカラフルなんだなと

ホトケノザの紫色を見つけて思いました。

先日、雪がたくさん降った時は、

庭の木々が全部、白木蓮になったみたいでした。

枯れている姿も美しい、と

この季節はよく思います。

ありのままで、けれど、瞬間、一生懸命に。

すべての生命は美しい、と心から思える時、

なんといったらいいのか、ただ、うれしく。


それぞれにそれぞれの時間を、生命を、絶えず繋ぎながら、

いつか終わるところまで、自分の意志で、足で、歩けたらいいなあ。

先に進むあの子が、あの人が、眩しくて、その背中から元気をもらう。

泣いていても前を見ている。私もそうでありたいなと思う。


あれ、ふつうの日記のつもりが、また何だかふわふわ日記に…

文章はどうも自由に走りがち、です。

明日、東京の部屋に戻ります。

ひとり、ぽつん、と部屋に佇んで

寂しくなったら、珈琲を淹れようと思います。

読みかけの本を開いて、誰かの言葉を追いかけるのもよいですね。

きっと大丈夫。

あたらしく、私の生活を続けます。


おわり。

読んでくださり、ありがとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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