野安の電子遊戯工房 ~「キムタクが如く」は日本芸能史な大きな転換点なのでは?~


 『キムタクが如く』。

 ――とネット上で呼ばれているゲームのことを、このコラムを読みに来ているような方は、すでにご存知でしょう。正式名称は『JUDGE EYES:死神の遺言』。現役の国民的アイドル・木村拓哉さんを主人公としたゲームです。さまざまな芸能人を、そのままの姿形で登場させることで知られる、龍が如くスタジオの最新作です。

 これ、すごく面白いですよね。

 実績のある開発チームの最新作ですから、ゲームとしての面白さは保証されているようなものであり、だから、そういった意味での「おもしろさ」について語るっているのではありません。

 わたしが語りたいのは、このソフト、日本芸能史という視点から見たとき、とてつもなく面白いんじゃね? ということです。いまなお日本の芸能界に残っているくだらない不文律は、これによって消滅するかもしれないなぁ、それって興味深いことだよなぁ、とわたしは思うのです。


 


 みなさんもご存知なように、ジャニーズ所属タレントの姿を、ネット上で見かけることは少ないです。

 これは事務所側がネットにおける肖像権を厳しく規制し、ネット上に所属タレントの姿が掲載されないよう管理しているためです。映画やドラマの記者発表会が行われるとき、まずは紙媒体用に全出演者のフォトセッション(写真撮影用の時間のこと)をして、その後、あらためてジャニーズ事務所所属タレントが退出させてからネット媒体用のフォトセッションをするといった、馬鹿馬鹿しいほどの二度手間が行われることもあったりします。

 このような徹底した管理により、web上の映画ポスターにはジャニーズ所属タレントがいないバージョンが掲示され、テレビドラマの公式サイトにはジャニーズ所属タレントの顔写真だけがシルエットになり、いまでは雑誌などの紙媒体をwebで読むこともできるのに、web上で読もうとするとジャニーズ所属タレントの写真が誌面から消し去られます。どうしてそこまで神経質に規制しているのかは疑問ですが、それが事務所の方針というヤツであり、あらゆる大手メディアが、それを暗黙のうちに了解しているという現実があるわけです。

 居住地によっては近くに書店がない人もいるでしょうし、あるいは海外で暮らすとwebでしか情報を得られないことも多々ありますし、webに厳しい規制をかけるということは、それらの人たちに著しいまでの情報遮断が行われていることとイコールであり、「そんな馬鹿げた規制をしているのは大問題だ!」と本来ならば大手メディアが声を上げるべきなのですが、大手メディア側は、これまでそういうアクションは起こしませんでした。昨今はスポーツの各種団体の不透明さ、とりわけ力を持つものに対する忖度などが行われていることを厳しく糾弾する番組も多いのに、当の大手メディアは自分たちの仕事上では力ある者に忖度しまくっているという現状があったのです。

 この点について論評するのは、今回のコラムの趣旨ではありませんのでここで止めますが、このように、日本の芸能界には、他国ではあまり見られない、ちょっと歪なルールがあったわけですね。




 だからこそ、この『キムタクが如く』は、すごく面白いと思うんです。

 現在、木村拓哉さんの顔写真は、ネット上にほとんど存在しません。厳しい規制があり、ほぼすべてのメディアがその規制を守っていたからです。

 にもかかわらず、このソフトが発表された今、世の中で、ものすごーく変な現象が起きていることに、多くの人が気付いているかと思います。

 まだ気づいていない人は、ネットで検索してみてください。いま、木村拓哉さんの顔をそっくりそのままモデリングしたキャラクターの画像が、山のようにネット上にあふれ出ているのですね。ゲームユーザーが、自分の手で、木村拓哉さそっくりのキャラクターの画像・映像を、どんどん発信しているからです。

 これ、すごく面白いですよね。だって、ネット上で本物の木村拓哉さんの画像は公式にはほぼ存在しないにもかかわらず、本物そっくりに描かれた木村拓哉さんのゲーム内の姿ならば、数えきれないほどネット上に存在するようになったという、なんとも不思議で、ちょっと哲学的(そうなのか?)な状態が発生してしまっているのですから。


 


 これ、よくよく考えていくと、いろいろと興味深いことが起きる可能性があるんですよね。

 というのも、現在の『キムタクが如く』にまつわるネット状況を見ているかぎり、どうやら「本人を撮影した写真のweb掲載はNG」という従来のルールは原則として守られているものの、でも「ゲーム画面に登場する、本人そっくりのキャラクターの画像掲載はOK」というルールが適応されているようなのですよ。現状は、そのようになっているように観察されます。

 とすると、たとえば雑誌などで木村拓哉さんのインタビュー記事が掲載されたとして、そこで主演作である『キムタクが如く』が、画面写真とともに紹介されたとき、この雑誌のweb版では、誌面にある木村昨夜さん写真は消され、でもゲーム画面の中にいる木村拓哉さんとそっくりなキャラクターが描かれている画像はそのままは残る――という、なんとも不思議な処理がほどこされることになりそうなんですが、どうなんでしょう? 本人の写真はNGだけど、本人そっくりにレンダリングされた画像はOK、というルールが適応されるなら、そうなるしかないように思うのです。

 上記の例は、けして極端なケースではありません。実際問題として、現在のネット上では「木村拓哉さん本人の写真」は見ることができないけれど、「木村拓哉さんそのままのキャラクターの画像」は見放題になっていて、本物の顔を見ることはできないけど本物そっくりの顔なら見られるから楽しいなぁ――という気分になるという、なんとも不可思議な状況になっているわけですからね。

 ほんと、こうなってくると、そもそも写真とはなんなのか? 本人の顔とはなんなのか? それはどう定義されるものなのか? という、哲学的な問題すら浮かび上がってきそうです。

 日本芸能界における大手事務所が、「web上での肖像権を厳しすぎ寝るほどに規制し続けた」という歴史を持っていたために、いま、わたしたちは「本人の顔とはなんなのか?」という根源的な問いに向き合うことになってしまったわけですね。『キムタクが如く』というゲームの存在は、なんとも面白い議論を巻き起こすことになるだろうなぁ――と、わたしは思っているのです。




 でもまあ、これで日本の芸能史は、大きな転換点を迎えるかもしれませんね。

 これまで映画産業とか、テレビ産業とか、出版産業とか、そのあたりの業界の人も、きっと「web上で写真を使うことを禁ずる」というルールに不満を持っていたとは思うんですよ。でも、あらゆる業界関係者全員が同じルールに従っているからしょうがないか、と諦めていた。

 そしたら、いま、これまで芸能界とさほど接点がなかったゲーム産業が乗り込んできて、「本人そっくりの画像を、ユーザーの手によって、ネットにじゃんじゃん拡散しちゃうよん」という方法で、でっかい風穴を開けちゃったわけですよ。

 これを機に、日本の芸能界でも、「webでのプロモーションにタレントの顔写真を使うのは当然!」というルールが、ついに定着するようになるのかもしれませんね。一気に進むかどうかはともかく、ゆっくりと動き出す可能性があるんじゃないかなぁと。

 もし、そうなったならば、『キムタクが如く』は、日本芸能史を変えたソフトとして、きわめて大きな意味を持つかもしれないなぁ――と、そんなことを考えている昨今です。

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