野安の電子遊戯工房 ~ガチの競技会であるテレビゲーム競技会だけをeSportsと位置付けるのは危険な傾向だ、という話~


 eSportsというのは、優れた技能を持つプレイヤーによる競技なのであって、気軽に楽しめるゲーム大会はeSportsとは別物であり、同ジャンルのイベントだと見做してはいけない――といった論が、ときどき目につくようになりました。

 これ、ものすごーく、よくない傾向だなぁ。

 ガチで行う競技会を「より優れている存在」と位置付けていくのは、長期的に見たとき、ムーブメントを先細りさせていく悪手です。eSportsを巡る言論が、そのような方向に進みそうならば、eSportsに関わる人たちは、それを全力で阻止しなくてはいけません。

 かぶりものを着た市民ランナーたちも大勢参加するような巨大なマラソン大会も、オリンピック出場者を決めるようなマラソン大会も、すべてが「陸上を愛する人たちの大会」であり、そこには優劣をつけてはいけないのです。ましてや「かぶりものを着て気軽に走るような大会は、スポーツとは別物だ」なんてことは、口が裂けても言ってはいけません。

 テレビゲームも同じです。eSportsの発展を願うのであれば、どのようなレベルのゲーム競技会・大会であれ、どのような内容のゲーム競技会・大会であれ、すべてを等しく「ゲームを愛する人たちが参加し、競い合うイベント」と位置づけるべきです。




 なぜならば、スポーツが健全に発展するための条件のひとつは、「レベルが高い大会が、必ずしも多くの注目を集めないこと」だからです。

 高校野球がわかりやすい例ですよね。もっともっとレベルの高い野球の試合は、大学でも、社会人野球でも山ほど行われているけれど、それらよりも甲子園大会は抜群の人気を誇ります。

 日本中で、トップの競技者を決めるダンス大会はたくさん行われていますが、イベントとしてもっとも盛り上がるのは、誰でも参加できる「よさこい祭」のような祭りなんです。

 全世界でもっとも注目を集めるスポーツイベントである、サッカーのワールドカップですら同様です。試合のレベルだけを比較するなら、欧州チャンピオンズリーグの試合のほうが、あきらかに上なんです。それでもワールドカップのほうが盛り上がるんですね。

 eSportsの発展を願うならば、これらの先例に倣わなくては入れません。頂点を決めるガチの競技会ではなく、それよりもレベルの低いイベントが、むしろ最大の人気を得るような未来を目指すべきなんです。そのためにも、あらゆるテレビゲームの競技会・大会を、すべて等しく「eSportsを楽しむ仲間たちによるイベント」だと、声を大にして言うべきです。そして、その逆の方向性の発言は、けして口にしてはいけないのですよ。




 わたしは、テレビゲームの競技会が、スポーツである(あるいは、スポーツと同じようなものである)と世間一般に思われるようになる未来を期待しています。

 なぜならば、それがテレビゲームが風営法の呪縛から逃れるための、たぶん最短ルートだからです。

 かつてビリヤードは「遊戯」であり、ビリヤード場は風営法に縛られていましたが、法改正によって外されたという歴史があります。そして現在、ビリヤードはれっきとしたスポーツ競技であり、健全な娯楽であると認知されるようになりました。

 わたしは、テレビゲームもそうなってほしい。すでに健全な娯楽であることは日本中で認識されているのに、いまなお風営法に縛られているのはおかしいじゃないですか。ならば、この呪縛から脱出するには、「これはスポーツである」という旗印を掲げるのが、たぶん最短の突破口だと思うのですよ。

 だからこそ、eSports界の人たちには、テレビゲームがスポーツであることを世間に広めるためにがんばってほしいと願っています。今後、より巨大なムーブメントにしてほしいなぁと。




 だからこそ、eSportsは優れた技能を持つプレイヤーによる競技なのであって、気軽に楽しめるゲーム大会はeSportsとは別物であり、同ジャンルのイベントだと見做してはいけない――といった論に対し、わたしは全力で反対意見を述べる立場に立ちます。

 それはムーブメントを先細りさせてしまう悪手です。こういった意見が、万が一にもマスメディアなどに広まってしまう前に、はやく火消ししたほうがいいと思います。

(2018/08/23)

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