「スーパーマリオメーカー」が見据える未来

 「スーパーマリオメーカー」というソフトが持つ意味について、最近、いろいろと考えていました。

 ご存知ない方のために説明しますと、これは「スーパーマリオ」シリーズのマップ(ステージ)を、自分の手で設計できるようになるソフトです。自分だけのオリジナルステージを作成できるわけです。

 つまり「ゲームを作る」ためのソフトですね。

 そうなんです。これからは、誰もがゲームを作れるようになるのです。全世界でもっともヒットした「マリオ」の新作を、いくらでも自分の手で作れるようなものですから、いやはや、なんとも凄い時代になったものです。



 そんなことを考えているうちに、ふと、任天堂社長だった故・岩田聡さんについて語りたくなりました。

 「スーパーマリオメーカー」は、岩田さんの遺作だと位置づけていいんじゃないか――と、そんなことを思ったからです。

 岩田さんは、若き日には、天才プログラマとして知られた人物であり、10年ほど前に、勢いに陰りがあった任天堂の社長に抜擢されると、その手腕で任天堂を業界トップランナーに引き戻すことに成功。凄腕の経営者としての顔も見せました。

 ほんと、正反対の仕事で超トップレベルの実績を残した、ゲーム業界でも稀有な人物でした。スーパーマンです。

 でも、岩田さんの逸話を読んだり、一緒に仕事をされた方から話を聞いたり、あるいは直接会ってお話を聞いた経験からすると(わたしは二度ほど、お会いしたことがあります)、それは不思議なことではないよな、とも思うのです。

 なぜなら、岩田さんの凄さは、たぶん、あらゆる問題を「根っこのところから考え、解決していく」という思考法にあるからです。プログラマのときも、経営者のときも、そんな思考をした結果、つねに最善の、そして最短ルートの選択肢を選んで実行しただけなのでしょう。

 だからこそ、あらためて思うのですよ。

 「スーパーマリオメーカー」こそが、岩田さんの遺作なんじゃないかと。いまのゲーム産業が抱える問題点を解決するため、岩田さんが遺したメッセージなんじゃないかなと、そう思えてくるのです。



 ゲームとは何か?

 という根源的な問いについて、考えてみましょう。

 その解答のひとつが、「ゲームとは、努力した結果として、ご褒美がもらえる遊びである」というものです。プレイヤーは「ご褒美」をもらいたいから、ゲームに夢中になるのだ、という考え方です。

 人々がギャンブルに夢中になるのは、うまくいくと「お金が儲かる」という「ご褒美」があるからですし、スポーツに夢中になるのは勝利という栄誉を得られるという「ご褒美」があるからです。恋愛がゲームにたとえられることがあるのは、うまくいけば素敵な異性(いや、異性とはかぎりませんが)と恋人になれるという「ご褒美」があるからだ――という考え方ですね。

 テレビゲームも同じです。

 テレビゲームという娯楽では、がんばってゲームを進めていくと「いい気持ち」になれることが用意されています。ステージクリア時に格好いいデモシーンが流れるのも、大事なポイントでムービーが流れるのも、プレイヤーをいい気持ちにさせるための「ご褒美」だ、と考えることができます。

 ゲームを作るというのは、プレイヤーに「どんなご褒美を与えるといいか?」、「どのように、いい気持ちにさせるといいか?」、そのための設計図を作る作業だ、と言い換えてもいいのかもしれません。



 岩田さんは、そんなゲーム内における「ご褒美」の形を、密かに、しかし劇的に変えた人物です。

 根っこのところに立ち戻って、考えてみましょう。

 たとえば、ご飯を作ってくれた人を「いい気持ち」にさせるには、どうすればいいでしょう? かんたんです。「美味しかったよ。ありがとう」と感謝の言葉を伝えればいい。

 労力を費やした行為に対して、ねぎらいの言葉をかけてもらうのは、誰だって嬉しいことですからね。よし、次もおいしいご飯を作ろう! というモチベーションも湧いてくるわけです。

 だから、Facebookには「いいね」ボタンがあります。Twitterには「ファボ」ボタンがあります。「ありがとう」「面白かったよ」の気持ちを伝えるための仕組みが、SNSには必ず実装されているのです。みんなが声をかけてくれたから、もっとがんばろう――と、そんな気持ちになるよう、SNSは、ちゃんと設計されているのですね。



 だけど、従来のゲームは、そのための仕組みがなかった。

 プレイヤーに対して、「ありがとう」と、誰も言ってくれなかったんです。ゲーム内のキャラが、プレイヤーに向かってダイレクトに「ありがとう」と声をかけることが、ほんのりとルール違反とされていたからです。

 かつてのゲームは、ゲームの登場キャラが、プレイヤーに向かって「プレイヤーさん、ありがとう!」とは言わない約束になっていました。小説の登場人物が読者に向かって話しかけず、映画の登場人物が観客に向かって話しかけないのと、同じことですね。

「ついに、世界に平和が戻ってきた!」

「勇者さま、ありがとうございます!」

 RPGなどで表示される、街の人々からの感謝の言葉は、あくまでもゲーム内の主人公に向けられた言葉であり、プレイヤーに向けられたものではありません。



 これは、ゲーム機がどんどんパワーアップしたことによる副作用のひとつ。

 ゲーム機が新しくなるたび、作り手は、ゲーム機のパワーを「世界観を充実させること」に注ぎ込みました。グラフィックを進化させることを筆頭に、「あたかも、ゲームの中に確固たる架空世界がある」かのように感じさせるための努力を、ゲーム業界全体で行ったんです。

 だけど、確固たる架空世界を作れば作るほど、その世界の中にいる登場人物たちは、モニターの前でコントローラーを握っているプレイヤーの存在を認識していない――という設定が強まっていったんですよ。

 だって、リアルに描かれた世界の中で、リアルに描かれたキャラが、「自分はゲームのキャラだ。誰かに操作されているだけだ」いう立場から発言したら、世界設定がメタになってしまいますからね。それはゲーム世界に没入したいプレイヤーの気持ちを削ぎかねません。

 かくして、ゲームキャラがプレイヤーに声をかけることは、ほんのりとルール違反になっていき、それがゲームソフトの王道フォーマットになった――という次第です。



 でも、これって、がんばってご飯を作ったのに、誰も言葉をかけてくれない、みたいなもんですよね。

 たしかに、言葉なんかいらない! 相手のことが大好きなんだから、ごはんを作るぜ! と思っている人は、相手が無言だろうがなんだろうが、嬉々としてごはんを作るでしょう。無償の愛ですね。あるいは、もともと料理をするのが大好きだ、料理そのものが楽しいんだ、という人も、毎日ごはんを作るでしょう。

 でも、一般的には、いつまでも無言でいられたら、ごはんを作るぜ! というモチベーションは下がります。何も言ってくれないなら、最初からごはんなんか作らない! という人も出てくるでしょう。

 ゲームも、同じです。

 それまでのゲームは、この面白さがわかる人だけが遊んでくれ! という娯楽でした。ゲームには、さまざまな「ご褒美」が用意されているのだから、それらの「ご褒美」で満足できる人だけが遊んでくれればいい、という娯楽だったんです。つまりは「ゲームに愛がある人」「もともとゲームが好きな人」だけをターゲットにした商品だった、といってもいい。

 ゲーム愛のない人たちのことを、それまでのゲーム業界は、ばっさりと切り捨てていたのです。世の中、みんながゲーム愛を持っているわけじゃないですから、とてつもない人数を切り捨てていたわけで、大きな機会損失をしていたんです。



 だから、岩田さんは、このルールを破壊しました。

 ゲーム愛のない人に、ゲームをプレイしてもらうには、どうすればいい?

 人間は、労力を費やした行為に対して、言葉をかけてもらうと「いい気持ち」になる。もっと続けようという気持ちになる。だったら、ゲームにその仕組みを組み込めばいい。

 任天堂社長に就任した岩田さんは、2004年にニンテンドーDSを、そして2006年にWiiを世に送り出します。それらのゲーム機の主力ソフトである「脳トレ」「Wii Fit」を体験した人は、よくご存知だと思いますが、これらのゲームは、

「がんばって!」

「さあ、もうすこし!」

「はい。よくできました!」

 そんなメッセージを、次々にプレイヤーに向かってダイレクトに発するゲームでした。ゲーム内のキャラが、モニターの前にいるプレイヤーの存在を認識し、声をかけてくる。そんな仕組みを持っていたんです。



 こうして、岩田さんは、ゲームにおける「ご褒美」を変えました。

 プレイヤーが頑張ると、ゲームの側から声をかける――という「ご褒美」を、ゲームの中に大々的に取り込んだのです。

 岩田さんは、これまでゲームに親しんでこなかった人にも「ゲームで頑張ったら、声をかけてくれた。うれしいな」と感じさせ、「じゃあ、もっと続けてみよう」という気分にさせることに成功しました。これにより、ニンテンドーDSやWiiは、それまでゲームに親しんでなかった人にまで愛されるようになったのです。

 だからこそ、あのタイミングで、一気にゲーム人口は拡大したんですね。

 これまでのゲームでは「メタになっちゃうから、ご法度」だった手法を使ったゲームを、任天堂(つまりはゲーム産業のリーディングカンパニー)の主力商品と位置づけ、全世界に、大アピールとともに販売したことは、とてつもない改革だったといっていいでしょう。



 もちろん、従来型のゲームも、任天堂は同時に作っています。

 確固たる架空世界を構築するタイプのゲーム――たとえば「ゼルダの伝説」では、主人公のリンクは、プレイヤーの存在を意識しません。昔ながらのフォーマットを守っています。

 だけど、そうでないゲームも、岩田さんは精力的に世の中に送り込んできた、ということです。

 興味深いのは、それらの「声をかけてくるゲーム」では、キャラクターの姿が明快には描かれないことです。明快に描いてしまうと、前述したように、世界設定がメタになってしまうからでしょう。「Wii Fit」のインストラクターの顔が、ぼんやりとしか描かれないのは、そのためでしょう。

 さらにはMiiという存在を作り、つまり「デフォルメされた自分(や家族、友達)」がゲーム内に登場できるようにして、ゲーム内の世界と、リアル世界を地続きにしました。これもまた、直接声をかけても違和感がなくなるようにするための、ひとつのアイディアといえるかもしれません。



 さて。

「プレイヤーに向けて、感謝のメッセージをダイレクトに伝える」

 そんな仕組みが主力ソフトに取り入れられ、大々的に発売されるようになったことは、ゲームの歴史を語る上での、大事なポイントのひとつです。

 およそ10年前に起きた、この変化こそが、2015年発売の「スーパーマリオメーカー」というソフトの意義に、きわめて密接に繋がっていく……のですが、さすがに、ちょっと文章が長くなってしまいました。いったん、ここでコラムを切らせていただきます。

 このコラム、次回へと続きます。



※「スーパーマリオメーカー」公式サイトはhttp://www.nintendo.co.jp/wiiu/amaj/



 以降は、補足です。

 ゲームの歴史を作ってきた先人たちの名誉のために記しておきますと、「プレイヤーに、ダイレクトに話しかけるゲーム」は、けして岩田さんの発明ではありません。細々とではありますが、大昔からあります。

 たとえば、脱衣麻雀がそうです。

 プレイヤーが勝利すると、女の子たちが脱いでいきます。恥ずかしげなセリフを言ったりします。それらの言葉は、プレイヤーに向かってダイレクトに語られるものでした。

 この流れを汲んでいるのが、いわゆる恋愛ゲーム(エロゲーも含む)と呼ばれる作品です。そこには主人公と呼ばれる存在はあるものの、それは無色透明であるかのように存在感が薄められています。ゲーム内のキャラクターたちは、画面のこっち側にいるプレイヤーの目を見て(いるようなアングルで)、いろいろな言葉を発するのです。

 このように、プレイヤーにダイレクトに語りかけてくる構造のゲームは、昔から存在していました。しかし、それらは王道ゲームと位置づけられることなく、特定のジャンルでのみ定着していた、ややマイナーな手法だったということです。

 岩田さんの功績は、そのようなマイナーな手法を、ゲームビジネスのメインストリームに持ってきたことだ、とご理解ください。

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野安ゆきお

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