野安の電子遊戯工房 ~「Tik Tok」の流行は興味深いよなぁ、という話~


 ふむふむ。「Tik Tok」ってのは、なんか面白いなぁ。

 自分で使っているわけではなく、最新情報をチェックしているわけではないのですが、ごく日常的にネットに接しているだけでも「Tik Tok」というアプリ名は目にするし、これが撮影した動画を簡単に共有できるサービスだ、といった軽~いレベルの知識しかないのですが、うん、これは流行って当然だよね――と、いろいろな動画を見ていて、素直に思います。

 だってさ、正直なこと言うけど、動画を見ていても、なにがなんだかわからないんですよ。バズってる作品(というのかな?)を見ても、なにが面白いのか、うまく理解できない。

 でもね、だからこそ、これは流行って当然だよな、と確信したのです。50歳の男性が面白さを理解できちゃうようなサービスが、若者に流行るわけがありません。世の中で流行るための条件のひとつは「わたしのような者には、まるで理解できないものであること」です。「Tik Tok」は、その条件を楽々とクリアしているんですね。

 そして、まるで理解できないんだけど、なんか気になってしまう。妙な違和感を感じてしまうインパクトがある。

 自分の経験上、こういうサービスは流行ります。

 よーするに、世の中の大人が理解できないようなものこそが、次の時代を作るサービスになるってことですね。「Tik Tok」には、そんな匂いがぷんぷん漂っています。




 で、きわめて個人的なことを言いますと、バーチャル・チューバ―よりも、こっちのほうが個人的には好きです。

 バーチャル・ユーチューバーって、流行り始めたときから、優れた才能の持ち主たちに脚光が当たりすぎたと思っています。「才能ある人たちを、みんなで注目する」という形になってしまった。エリートがムーブメントをっ張る構造になってしまったように思えるのです。

 でも、ネットというのは、できるかぎり雑多であるべきだと、わたしは思うのですよ。参加するハードルが低く、あらゆる人が気軽に参加できる条件が整ってこそ、そこに玉石混合の世界が誕生して、新しい時代を生み出すダイナミズムが生まれるんじゃないかなあと。エリートが牽引する形は、あまりよろしくないんですね。

 とすると、スマホがあれば、誰でも動画をアップできて、世間一般に面白いと評価されるかどうか? なんてことを考えたりせず、がんがん発信できてしまう「Tik Tok」のほうが、なんか見ていて楽しいし、未来的だなぁと思うんです。その雑多っぷりが素晴らしいなぁと。




 「わけがわかんない」「ぜんぜん面白ない」「こんなもん、誰が楽しむんだ」という声があることは承知しています。

 でも、そういった苦言は、新しいサービスが出たときの定型句のようなもの。あまり気にしなくていいのです。紀元前の時代から「今の若いもんは~」という言葉が使われていた、みたいなことと同じです。年長者ってのは、つねに年少者に苦言を呈するものなんですね。

 インターネットが普及しはじめた頃にも、ネットに個人の日記をアップするのが流行った時代がありまして、そのときも「ふつうの人の日記なんか誰が楽しむんだよ。わけがわからないし、ぜんぜん面白くないのに」なんてことが言われたりしたものです。とりわけ活字媒体に親しんでいた人たちは、そんな苦言を口にしていました。

 でも、いまは、SNSで世界中の人が自分の日常をテキストにして発信している時代になりました。玉石混合が許容されていたからこそ、ここまで流行ったんです。文化として定着したんです。よーするに、ありがちな苦言なんか真に受けちゃいけないってことですね(笑)。




 というわけで、しばらくは「Tik Tok」に、ゆるーく注目していこうかなと思っております。今後、どうなっていくか、ちょっと気になっています。

 これが5年、10年と続く世界的なサービスになるかどうかはわかりません。華々しく注目されたものの短命なサービスで終わってしまう可能性もあるでしょう。でも、いずれにせよ、なんか新しい時代を切り開くような気がするんですよ。

 うまく説明できないのですが、「動画における新しい文法」のようなものが、ここから誕生するかもしれないなぁと、そんな予感がするんですよね。

 それにしても、長いこと生きていると、どんどん面白いサービスに出会えるものだなぁ。テクノロジーの進化というのは、ほんと、素晴らしいことだらけですね。

(2018/08/09)

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