続・日本人がネットで本名を名乗らない理由

ここから【後編】です。日本人に「ネット上本名を名乗らない人が多い」のは、それが日本の歴史・文化に沿った行為だからであり、責任感があるかどうかとは、まったく無関係だよん、という話の続きです。

わたしたちは、俳句を詠むときに「俳号」を使うように、何かを発信するときに、よく「雅名」を使います。そんな歴史を受け継いでいるから、雑誌やテレビ、ラジオへの投稿のときはペンネームを使うし、ネットに書き込むときも「本名じゃない名前」を使う人が多いわけですね。

こういった匿名文化(あるいは雅名文化)は、ネット上に、いろいろと面白いエンタテインメントを生み落しました。その代表が「2ちゃんねる」などの匿名掲示板文化です。匿名ゆえのカオスっぷりと、それゆえのダイナミズムが、日本の掲示板文化として生まれたわけですね。

「ニコニコ動画」もそうですよね。動画に対して、さまざまなコメントが流れるけれど、そのコメントは、誰が発したものはわからない。特定の誰かの意見ではなく、それを「世間一般の声」のようにとらえて、わたしたちは「動画+コメント」というコンテンツを眺めて楽しんでいると。

こういった文化(というかネットの楽しみ方)が、日本から生まれたのは、日本が非キリスト教文化圏であり、みんなが本名を名乗らずに意見を発信する文化を持っていたからこそ。これは、日本が誇るべき資質なんですね。


2ちゃんねるやニコニコ動画の隆盛を見てもわかるように、日本人は、自分の名前を主張しないまま、オンライン空間を楽しむもうとします。「とくに名乗るほどのものじゃないです」みたいなスタンスで、交流の場に加わろうとします。そういう傾向が強いのです。

だから日本では、「オンライン世界に参加して、キャラの上に名前を表示されながら、そこで行動する」ようなタイプのオンラインゲームは、海外ほどにはヒットしないのでしょう。だから大作ゲームが、そうやってオンライン化されると、日本ではユーザー数が大きく減ったりする。

もっとも、たとえユーザーが減っても、継続的にプレイする人が増えるのならばビジネス的にはOKなんだけど、それでも欧米の大作ゲームの中には、オンライン化したことを契機に、むしろユーザー数を増やしているものがあるのと比べると、なんとも対照的だなぁと思います。

かといって、交流が嫌いなわけじゃない。日本にも巨大なムーブメントを起こした交流型ゲームは存在します。たとえば「ドラゴンクエスト9 星空の守り人」のすれ違い通信ですね。「宝の地図を、どこかの誰かからもらう」という形でのコミュニケーション。爆発的に愛されました。

当時、秋葉原のヨドバシカメラの前には、すれ違い通信用の空間が用意され(いまでもあります)、つねに100人を越える人たちが通信のために集ったものです。なんとも面白かったのは、そこでは「互いに話しかけないこと」が暗黙のマナーとなっていたことでしょう。

秋葉原を訪れる外国人観光客にとっては「奇異な光景」に見えたようです。ゲームの通信のために集うことも不思議ですが、それ以上に、交流のために集まっているのに「どうして互いに名乗らないのか?」が不思議でしょうがなかったのだと思われます。

でも、こういうのが日本人の資質なんだから、あとは諸外国の人たちにも「こういうものなんだ」と理解してもらうしかありません。ネットが世界中に広がったいま、少しずつではあるものの、「日本は、そういう文化なんだ」と理解されつつあるのだろうな、と思います。


日本人は本名を名乗らない。「とくに名乗るほどのものじゃないです」とばかりに世間の空気の一部になり、だけど世間の空気を動かしながら、いろいろな交流方法を楽しみます。そういった気質というか、歴史や文化に裏打ちされた行動様式を、日本人は持っているんですね。

残念だったのは、テレビゲーム業界は、この気質を、うまくビジネスに結び付けられなかったことだよなぁ……と、わたしは思っています。ほんと、なんでオンラインゲームの多くを、「キャラの上に名前が表示され、行動する」みたいなものにしちゃったんだろうなぁと。

前編に書きましたが、キリスト教文化では、すべてのものと、すべての名前が、「神様という巨大サーバ」に一元管理されている、みたいに考え方をします。オンラインゲームで、つねに「名前というIDを誇示」するってのは、そんな彼らの宗教観に沿った仕組みなんだよね。

でも、それはキリスト教文化の考え方であって、本来は世界共通のものじゃないんです。たとえば日本人は、世間があったら、そこに「空気のように混ざりたい」と考えるわけでね。そうやって、日本はオンライン空間を楽しんできました。2ちゃんねるやニコニコ動画がそうであるように。

だけど「キリスト教文化圏の世界の在り方に沿ったオンラインゲームの仕組み」を、そのまま日本に持ち込んだものが多かった。だから、欧米の据え置きゲーム機市場は、オンライン化することで勢いをつけたのに対し、日本の据え置きゲーム機市場は冷えちゃったのかもしれません。

大衆は素直です。自分たちの気質に合わないタイプのオンラインの楽しみには、あっさりと背を向けた。そして「気軽に参加」「ちょっとだけ交流」といった、スマホアプリが大人気になりました! ……というのが、ここ数年のゲーム市場の姿なのかなぁ、と思うのですよ。


でも、こういった「みんなで空気のように参加する」「ちょっとだけ参加していく」という、日本ならではのオンラインの楽しみ方は、ゲームじゃないところでは、ものすごーくうまく活用されている。その典型がボーカロイドかなぁ。

ご存知の方も多いでしょうが、ボーカロイドで曲を作ると、その作り手は「ボカロP」という独特の名前を名乗ることが多いです。俳句を詠むときに「俳号」を名乗るのと同じようなもの、と考えるといいでしょう。日本の歴史・文化に沿った行動様式です。

個人的なことをいうと、わたしも「ボカロP」としての名前を持っています。あまり有名なPではないですが、曲によっては、再生数が10000回あったりするので、まったくの無名でもないです。ボカロ曲を作っている人たち全員の中の、上位10%には入るかな? くらいのポジション。

面白いのは、いったん曲を作ると、その曲は自分ではコントロール不能になっていくこと。だって、いろいろな人が参加してくるんだもん。その曲を「歌ってみた」りする人がいるし、PVを作る人もいるし、動画のBGMとして使用する人も出てくる。自分の曲は、勝手に広がっていく。

でも、勝手に自分の作品が広がっていくのを、わたしは怒らない。他のボカロPの多くも怒らないんです。むしろ、こうしていろいろな人の手で作品が雪玉のように転がり、世間の空気に押され、巨大化していくことが、ボーカロイド文化の面白いところだよなぁ、と楽しんでいる。

さきほど、わたしの曲は10000再生くらいと書きましたが、こうやって他の人がアップしている動画も多々あるので、「実際に曲が聴かれた回数」は、もっと多いです。海外動画サイトへの無断転載も多々あるので、実際に聴かれた総数は、わたし自身も、まったく把握できていません。

まあ、100000再生するような大ヒット曲になと、それが印税を生み始めたりするので、「勝手に広まる」ことを抑制す必要があったりするけど、それは上位1%くらいの人の話。大半の人は、世間の空気によって転がっていく、そんなムーブメントを楽しんでいるんですよね。

こうやって、無数の作品が、世間の風を受けて勝手に広がっていく。だからボーカロイドの人気は高まり続け、海外にも伝播し、この春には、ついにはレディー・  ガガのライブツアーの前座にも抜擢されました。初音ミクは、レディ・ガガと同じステージに立つまでになりました。凄いなぁ。


というわけで「名前」に関する文章は、これでおしまいにします。関連した話を、いずれ別のテーマとして書きます。

でもまあ、ボーカロイドが世界に飛び出ていって、親しまれているという現象を見ると、さまざまな形で「非キリスト教な価値観があるがゆえの面白さ」みたいなものが拡大し、ネット全体を侵食しつつあるよなぁ、この流れは止まらないだろうなぁ、と思っています。

いまでは、アメリカでも「4chan」などもありますしね。2ちゃんねるに似た匿名掲示板。正しくは「ふたば☆ちゃんねる」に影響されて生まれた掲示板で、匿名であるがゆえの、2ちゃんねるにも似たダイナミズムがここにある。そんな掲示板を楽しむ人も生まれている。

そんな流れを見ていると、ネットの世界で普遍化していた「キリスト教文化圏の価値観に沿ったルール・マナー」は、いずれワールドスタンダードではなくなるんだろうな、と考える次第です。

余談です。自分の国籍に関わらず、名前を名乗るのも、名乗らないのも自由だと、わたしは考えます。それぞれが好きなようにすればいい。ただ日本人は、名乗らないほうが安全じゃないかなぁとは思います。日本人は苗字と名前のバリエーションが圧倒的に多いから。

日本人は、フルネームを名乗るだけで「住所・年齢・職業」までをピンポイントで解析されかねないんですよね。セキュリティー面を考えるなら、おいそれと名前なんか名乗らないほうがいい。欧米の人たちは、名前のバリエーションが少ないから、あまり気にしなくていいんだけどね。


 このテキストは、有料テキストに指定してありますが、購入していただいても、お礼の言葉以外の新規テキストは出てきません。ここまでの文章が面白かったからお金を払ってもいいや、と思った奇特な方だけ、購入していただければと思います。

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 とうてい100円の価値はないとは思っていますが、20円くらいの価値があるかな、くらいに感じる方はいるかもなぁと期待しています。そのような方は、たとえば4~5本のテキストを読み終えたところで、ひとつのテキストを購入していただければと思います。

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