野安の電子遊戯工房 ~ゲーム史に記載されることの少ない「キッズコンピュータPICO」~


 「ゲンロン8 ゲームの時代」において、おまりにも大雑把な、しかも事実誤認が多いと指摘されまくったゲームの歴史が語られたことが、ゲームファンの間で話題になりました。

 この書籍、いろいろな大きな問題があったのですが、すべてが悪いことだったかというとそんなことはなくて、いくつかのポジティブな面もありました。その中のひとつが、各方面にいた「寝た子を起こした」ことにあるんだと思います。

 テレビゲームの歴史を、すべて網羅できるような知識を持つ人は、この世には存在しません。あまりにも膨大なソフトが発売され、全世界で2億人ものプレイヤーがそれぞれ自分の好きなようにゲームに親しんでいるという現状があるため、「ゲームは、このように楽しまれている文化だ」などと軽々と語れるようなシロモノてはなくなっているからです。

 そのかわり、「この限られた分野なら、圧倒的に詳しいぜ」という知識を持つ者が、たくさんいます。「ポケモンの歴史ならまかせとけ」とか、「格闘ゲーム黎明期のムーブメントは知悉している」とか、「家庭用ゲーム機搭乗前のPCゲームの機微なら、すべてわかるぞ」とか、そういう人たちです。

 スポーツ全般の歴史を網羅している人はいなくとも、「高校野球の現状についてならまかしとけ」とか、「ドイツサッカーの流れなら理解しているよ」とか、そういった人たちと同じですね。

 これらの人たちは、ふだんはその知識を表に出すことなく静かにしているのですが、「ゲンロン8 ゲームの時代」が、あまりに大雑把なゲームの歴史を語ったことを知り、自分の知識とのあまりに食い違いに怒り、あるいは呆れたことにより、一斉に飛び出してきました。「あ。野生のゲーム知識人が現れた!」みたいな感じですね。

 「ゲンロン8 ゲームの時代」は、そこに書かれていることが酷かったがために、せっかくの知識を持ちながらも眠っていた人たちを、「そんなテキトーなゲーム史を定着させてなるものか!」と目覚めさせる効果を生んだのです。

 これ、すごくポジティブなことだと思うんですよ。いろんな知識の持ち主か世の中に出てくるのは、少なくとも悪いことでありません。




 なので、わたしも、ふだんは眠らせている知識を開陳することにしましょう。

 テレビゲームの歴史が語られるとき、多くの場合、それは日本では家庭用ゲーム機の歴史が中心になります。そこにアーケードゲーム(ゲームセンターのゲーム)、そしてPCゲームの歴史が付加されて語られる、くらいのバランスになる。昨今では、そこにスマホアプリも加わります。

 でも、そこからはキッズ向けのゲームの歴史が、ごっそりと抜け落ちることが多いのです。

 その代表格が、キッズコンピュータPICOでしょう。

 これは1993年から10年以上にわたって販売され続けた、ロングランヒットのゲーム機。ぱかっ、とフタを開けると上にゲーム画面、下にタッチパネルがあるという構成。ノードパソコンに似た形状と大きさではありますが、ニンテンドーDSを巨大化したようなハードウェアだ、と説明するほうが理解しやすいかもしれません。

 いろいろな互換機が発売されているため、ハードの総売り上げ台数が把握しきれない部分はあるのですが、300~500万台くらいが売れていると思われます。

 特筆すべき台数じゃないな――と思う方もいるでしょう。でも、このゲーム機の特徴は、小さな子供のための玩具として扱われる側面が強く、「子供が大きくなると、赤ちゃんが生まれた親戚の家、あるいは近所の友達の家にプレゼントされていく」という点にあります。また幼稚園・保育園などに置かれ、みんなでプレイされていたこともあったようです。このため、1台のハードあたりのプレイ人数が、通常のゲーム機よりもはるかに多いと推測されています。

 一般的な家庭用ゲーム機の場合、1台のハードあたりのユーザー数は2人+αくらいになると言われていますが、それよりは間違いなく多いでしょう。仮に平均で3人のユーザーが触れたとすると、現在の日本には、キッズコンピュータPICOに触れたことのある人は、優に1000万人を越える計算になりますね。けして無視していい数字ではないのです。




 にもかかわらず、一般的なゲームの歴史が語られるとき、キッズコンピュータPICOは、ほとんど触れられることがありません。

 ここ10年くらいは、一般誌などでゲームについて記載する記事が多々ありますが、それ以前は、ゲームに関わる文章の多くはゲーム雑誌というメディアに偏重していました。このためゲーム雑誌の読者の興味の範囲外にあるハードは、ほとんど記事として扱われることがなく、だから文章として残っていないのですね。

 またロングラン商品であったため、どこかで爆発的なムーブメントになったことがありません。別の家庭に譲られていくときも、ソフトごと譲られることになるため、ソフトが新規に買われることが少なく、爆発的なヒットになることもありませんでした。このため、ビジネス誌などで「玩具界のトレンド!」的な視点で取り上げられることもなく、そちらにも記録として残っていないのです。

 そして何より、プレイ経験者の多くが、その思い出を記憶していないことが大きいでしょう。1000万人のユーザーといえば、つまり人口の約10%です。いま、この文章を読んでいる方の中にも、間違いなくキッズコンピュータPICOに触れたことのある人が多数いるはずです。にもかかわらず、みんなこのゲーム機の記憶を語れないんですよ。幼稚園・保育園で、どのような遊戯をして遊んだかを覚えていないように、幼児期に触れたゲーム機のことも覚えていないのかもしれません。

 紙媒体に記録として残らず、プレイヤー自身の記憶としても残っていない。このため、キッズコンピュータPICOは、ゲームの歴史が語られるとき、そこに存在しなかったかのように消えてしまうことが多いのですね。ちょっともったいないですよね。




 わたしは、この分野について取材したことがあり、キッズコンピュータPICOについて多少は知っているので、今回、「寝た子が起こされた」ついでに、こうして語ってみた次第です。

 キッズコンピュータPICOは、幼児向けの玩具でもあったため、ゲーム機の性能アップ競争とは無縁の存在であり、ゆえにロングラン商品として市場に生き残り続けるのですが、2005年にソフトの供給が終了し、12年にわたるハード寿命を終了させます。

 ちなみに、キッズコンピュータPICOに終止符を打ったのは、2004年に発売されたニンテンドーDSの大ブームだったりします。ニンテンドーDSが長期的な品薄状態になり、小さな子供たちを夢中にさせていくのと入れ替わるように、キッズコンピュータPICOは、静かに舞台から去っていくのですね。

 ニンテンドーDSを巨大化したような形状のゲーム機は、同じ形状をした、よりコンパクトなゲーム機に、その座を追われることになった――という結末でございます。このあたりを機に、任天堂は4~5歳の子供たちも自社の顧客として確保。小さな子供たちを楽しませるソフトを積極的に作っていくという流れが生まれたりするのです。

 以上、あまり語られることのない、幼児向けゲームの歴史の一端でした。

(2018/10/05)

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