女性ゲームユーザーの存在を織り込んだ上で読み解く日本テレビゲーム史(その1)


[序文]

 これから書くのは、"女性ゲームユーザーの存在を織り込んだ、日本のテレビゲームの歴史"です。

 日本は女性ゲームユーザーの存在感が抜群に高い国です。女性ゲームユーザーの存在がゲーム文化に影響を与えた度合い、というパラメータがあるならば、ぶっちぎりの世界一でしょう。

 いまから25年前の1993年には、世界初となる女性をメインターゲットに据えた家庭用ゲームソフト「アンジェリーク」が発売されています。それは単発的なムーブメントで終わることなく、ここから始まった女性向けゲーム群は熱心な女性ゲームユーザーに支えられ、乙女ゲーム→ロマンスゲーム、とジャンル名を変えながら発展。そのジャンルは途絶えることなく、いまなお続いています。

 2000年代には、玩具の展示会に女の子向けデジタル機器が多く出展されるようになり、ゲームソフト売り場には女の子向けゲームのコーナーが作られ,るようになりました。2010年代には、世界3大ゲーム展示会のひとつでもある東京ゲームショウにも女性向けゲームのコーナーが作られ、そんな流れがあったからこそ、2015年の「刀剣乱舞」の爆発的ヒットが誕生したという歴史があるのです。

 こうして女性向けゲーム(と銘打たれている)作品がヒットし、社会現象を発生させるほどの巨大ブームを生み出したのは日本だけです。これほど影響力を持つ女性ユーザーがたくさんいることが、日本ゲーム界が誇る最大の財産といっても過言ではありません。

 ならば、女性ユーザーがどのように日本ゲーム文化に影響を与えたのか? 女性ユーザーの存在によって、日本のゲームはどのように進化したのか? そんな視点を織り込んだ上でのテレビゲーム史を、きちんと語っておこう、と考えた次第です。

 わたしは女性ではないので、女性がテレビゲームに接したときにどのようなことを体感したのか、そういった実体験レベルの話は一切できません。そのため、これから語る歴史には、そういったものがゴッソリと抜け落ちることになります。足りない部分は、これを読んだみなさんで補強していっていただければと思います。

 また、わたしがこれから提示するのは、女性ユーザーの存在がどのようにゲーム文化に影響を与えたのか? といった視点を織り込んだ歴史についての、いわば雛形のようなものにすぎません。足りない部分も多々あるかと思います。ご容赦ください。

 では、そんな前置きとともに、女性ゲームユーザーの存在を織り込んだテレビゲーム史を語ってみようと思います。よろしくお付き合いください。


 


[1]1990年代前半・「ポケベル」ブームの到来


 1990年代の前半から、話を始めたいと思います。

 それ以前にも、もちろん女性ゲームユーザーは存在しましたし、「女性も楽しめるゲーム」は多々あったのですが、そこから歴史を語り始めると、いろいろと調べるだけでも労力が大変なので、今回はパスさせていただきます。ごめんなさい。

 というわけで、1990年代前半に訪れた、「ポケベル」ブームを皮切りにして、ゲームの歴史を語り始めることにします。ゲームの専門家がゲーム史を語るとき、「ポケベル」の存在は無視されがちなのですが、女性の存在を織り込んだテレビゲーム史を考察するなら、「ポケベル」こそが最大級に注目すべき商品だからです。

 いまの時代、「ポケベル」のことを知らない方も多いでしょう。まずは、その中身をかんたんに説明します。

 ひとことでいうと、ものすごーく原始的なスマホです。電話連絡を受けとる機能だけを持っていて、しかし音声通話はできず、小さなモニターに数桁の数字が表示されるだけの携帯用デジタル機器です。機種や世代によって細部の機能は違いますが、機能面の詳しい話はパスさせていただきます。

 もともとは、ケータイなどがほぼ存在しなかった時代に、外出している人に連絡をとるために開発されたアイテムです。外回りをしている営業マンなどに向けて「至急、この電話番号に連絡しろ」というメッセージを伝えるための機器であり、ビジネス用のツールだったのですね。

 しかし、本来はビジネス用に開発された機器である「ポケベル」が、若い女性たちの手に渡ると、それはプライベートな通信ツールとして使われるようになりました。若い女性たちは、そこに表示できる数字の羅列と語呂合わせを組み合わせ、互いに会話するという遊びを発明したのです。


「10105」(いまどこ?)

「428」(渋谷)


 互いにポケベルを持ち、こんな文字列を送りあうことで連絡をとるようになったのです。それぞれ「1=い」「0=ま(る)」「10=と(う)」「5=ご」、「4=し」「2=ふ(たつ)」「8=や」という語呂合わせになっていることが、おわかりになるでしょう。

 こうした語呂合わせは、どんどん発展していきます。ただ連絡をするだけでなく、


「39」(さんきゅー)

「0840」(おはよう)

「14106」(あいしてる)


 といったメッセージが発明され、「ポケベル」はプライベートな通信ツールとして活用されるようになるのです。これらは、ごく一部の人たちだけが知っていた通信方法ではありません。1993年には「ポケベルが鳴らなくて」というテレビドラマも作られました。当時は、日本中の人が「ポケベル」という存在を知るようになっていました。

 これこそが、テレビゲームの歴史を語るうえで、とてつもなく重要なポイントだと、わたしは考えます。

 1990年代前半といえば、「パソコンオタク」なんて言葉があった時代でもあります。パソコンを日常的に使っている男子は「気持ち悪いオタク」という扱いをされたりした時代なのです。雑誌には「画面を見ずに文字をタイピングをしてしまうと、女性から気持ち悪がられるから注意しよう!」なんて記事もあったほどです。本当ですよ。

 そんな時代に、「ポケベル」が若い女性を中心にブームを巻き起こしたのは、きわめて画期的なことでした。街中という、つまりは他人から見られているという環境下で、若い女性たちがなにひとつ恥ずかしがることなくデジタルな機器を扱い、それを楽しい遊び道具として使いこなす時代が、いきなり到来してしまったからです。テレビゲームを「デジタルな道具を使った楽しいこと」と定義するならば、「ポケベル」による語呂合わせコミュニケーションのブームが巻き起こった瞬間こそが、女性の存在によって新しいテレビゲーム(デジタルな道具を使った楽しいこと)が誕生した瞬間だった、と定義することもできるでしょう。

 それは、"女性のデジタル革命"が起きた瞬間だったといっても、けして過言ではありません。女性たちが、デジタルな器具を当たり前のように持ち運び、それを楽しむ時代が、ここから幕を開けるからです。それは世界に先駆けて、日本で起きた革命でした。

【補足】2018年現在、「インスタグラム」「Snow」「TIcTok」などの流行が示すように、デジタル・エンタテインメント市場では、女性ユーザーに支持されるかどうかが、ヒット商品になるかどうかを左右する要素になっています。その元祖となったのが「ポケベル」であり、女性が手に取りたくなるデジタル機器は大ヒットする! という、現代では世界中で知られているビジネスの基本形が、ここで誕生したと分析することも可能でしょう。




[2]1996年・「たまごっち」第一期ブーム到来


 「ポケベル」の登場により、女性が街中でデジタル機器を遊び道具として楽しむ時代が到来すると、そんな時代の空気は、すぐさま巨大なビジネスとして大輪の花を咲かせます。

 それが「たまごっち」(1996年)です。

 いまでこそ、「たまごっち」は幼児向けのアニメ化をされたこともあり、キッズ向けの玩具というイメージを持っている方もいるでしょうが、それは第二期ブーム以降の話です。初代の「たまごっち」は若い女性をターゲットにした商品であり、ユーザーの中心にいた女子高校生・中学生などにより、全国的に品薄状態が発生するほどの大ヒットを記録しました。

 「ポケベル」は月額使用料がかかるため、主に大人の女性たちだけが手にできるアイテムであり、存在は知っていても手の届かない存在だったのに対し、「たまごっち」は女子高校生・女子中学生などが気軽に楽しめるアイテムとして爆発的な人気を獲得します。これにより、多くの女性ユーザーが堂々とデジタル機器を楽しむという光景が、世界に先駆けて日本で発生することになりました。デジタルな機器を愛用するのは男子たちだ――という、それまでの固定観念は、ここで破壊されることになるのです。

 それは、これからのデジタルな商品は大ヒットさせるには、女性ユーザーの心を掴まなくてはならない! という機運が誕生した瞬間でもありました。

 その結果、街中で持ち運べるデジタル商品や、コミュニケーションを楽しむためのデジタル商品には、女性に愛されるための可愛いキャラクターが採用されるようになるのです。メール用ソフト「ポストペット」(1997)や、万歩計「ポケットピカチュウ」(1998)などが、その代表例といっていいでしょう。

 ちなみに、1990年代半ばは「美少女戦士セーラームーン」(1992-1997年)が人気を獲得した時代でもあります。女性が男性に守られる存在ではなく、男性の補助的な役割を与えられるのでもなく、当たり前のように戦いに赴くアニメが登場したのです。それまでの固定観念を破壊したこのアニメは、自立した女性像のアイコンとして全世界に広がり、国籍や文化を越えて少女たちの心をつかんでいきました。そんな記念碑的なアニメの放映時期が、「ポケベル」「たまごっち」の登場により、テジタルな機器を愛用するのは男子たちだ――という、それまでの固定観念が破壊された時期と一致しているのは、けして偶然ではないでしょう。

 もちろん、それ以前にも女性のゲームユーザーは存在していましたが、女性にとってゲームが趣味であることは秘すべきものという考え方をする人もいて、親しい者には知られていたとしても、そうでない人にカミングアウトするには勇気が必要な趣味だという側面もあったのです。その当時、女性ゲームユーザーに話を聞くと、「彼氏には、ゲームが趣味であることは伝えていない」という人のほうが多かった記憶があります。このあたり、都市部とそうでないところでの地域差もあるでしょうから、一概に決めつけてはいけない領域ではありますが。

 しかし、1990年代に、時代の空気は変わり始めます。女性ゲームユーザーが、デジタルなものを手にして遊ぶことが珍しくなくなり、「自分たちもゲームが好きだ」と自然に口にしやすい時代が訪れるのです。そしてゲーム産業側も、それらの女性ユーザーの存在を意識し、それに合わせた作品作りに力を入れ始める時代を、ついにスタートさせることになるのです。

 なお、「ポケベル」「たまごっち」によって誕生した、女性が外出先でデジタル機器で遊ぶ文化は、その後1999年から始まるiモードなどに引き継がれます。これにより、世界ではどこでも通話できる便利な機器として使われていたケータイが、こと日本では女性たちが楽しい道具として使う機器としての一面を強く持つようになり、日本はデジタル機器の女性への浸透度という点で圧倒的な先進性を見せることになるのですが、それはまた別の項で説明することにして、いったんこの項を閉じたいと思います。

【補足】1990年半ばは「ウィンドウズ95」の登場によってインターネットのブームが巻き起こったタイミングでもあり、1994年に発売されたプレイステーションによって、テレビゲームは老若男女が楽しめる娯楽であるという風潮が広まりつつあったタイミングでもあり、1996年の「ポケモン」発売によって男子女子を問わず子供たちがゲームにハマるようになった時代とも重なっています。テレビゲームは男の子の遊びである――という常識が破壊され、女性たちにも幅広く親しまれていく黎明期だったのですね。そのあたりの家庭用ゲーム機の歴史についての解説は、後の項で説明いたします。



[3]1990年代後半・ゲームセンターのデートスポット化


 1990年代中盤、女性ゲームユーザー存在を織り込んだテレビゲームの歴史を語るとき、もうひとつ、大きなムーブメントを紹介しなければなりません。

 それが、ゲームセンターのデートスポット化です。

 その契機となったのが、1995年に登場した「プリント倶楽部」です。街中で写真を撮り、シールを作成できる機器ですね。いまなお脈々と人気を保ち続ける機器は、この時代に誕生し、大ブームを巻き起こします。

 これにより、ゲームセンターの空気は一気に変わっていきます。男子の秘密基地として、あるいは疲れたサラリーマンが逃げ込む場としての匂いを漂わせる場であったゲームセンターは、男女で訪れるデートコースに組み込まれるようになっていきました。「ポケベル」「たまごっち」によって、女性がデジタルなものを楽しむことに対する抵抗感がどんどん薄れていった時代だったことが、その機運を後押ししたのかもしれません。

 女性がゲームセンターに足を踏み入れるようになると、古くから存在していたクレーンゲームも、それまでのようにお菓子をとるための機器ではなく、景品としてぬいぐるみを用意するようにリニューアルされるようになりました。その代表例が「UFOキャッチャー」ですね。これらの機器が目立つ場所に置かれるようになり、ゲームセンターは、さらに女性が訪れやすい場へと変化していくのです。

 すると、ゲームセンターでヒットするテレビゲームの中身にも、変化が見られるようになります。

 その代表が、1997年の「ビートマニア」、1998年の「ダンスダンスレボリューション」でしょう。女性が訪れるようになったゲームセンターに、音ゲーという巨大ジャンルが華々しく誕生するのです。

 音ゲーは、それまでのゲームの知識やノウハウを必要とせず、指先を使うのではなく身体全体を使い、リズムに乗ることを楽しめる新ジャンルでした。これが女性ユーザーを含む幅広い層を楽しませることに成功。入り口近くの目立つ場所に置かれるようになり、女性がゲーセンターでゲームを楽しむ姿は、日に日に増えていったのです。

 当時の繁華街のゲームセンターは、女子が多く訪れるようになったことによったトラブルが起きたためか、「店内でのナンパ禁止」といった貼り紙が貼られることもありました。それはゲームセンター内で男性が女性に声をかけるという行為が行われるようになったことの証拠であり、多くの女性がゲームセンターに足を運ぶ時代が到来したことを示す、なによりの証拠といえるでしょう。

 いずれにしても、「ポケベル」「たまごっち」「ゲームセンター」という順に、女性が街中でのデジタルな遊びに、どんどん深く親しんでいく流れが、1990年代に生まれていたことがおわかりになるかと思います。これは日本のゲーム史において、とてつもなく大きな出来事だったといえるでしょう。

【補足】余談ですが、「バーチャファイター」が大ブームになり、凄腕プレイヤーがバーチャの鉄人と呼ばれ、その対戦に大勢のギャラリーが集まるようなムーブメントが起きたのも1990年代半ばです。このムーブメントは、ゲームセンターに女性ゲームユーザーが訪れるようになりつつあった時代、つまりはゲームセンターが多彩な人たちが訪れるオープンな場へと変化しつつある時代に到来したからこそ、熱狂的な「お祭り」としての側面を強く持っていたのかもしれしれません。欧米のゲーム大会が、熱心なゲームファンが自身のPCを持ち寄り、プレイヤーだけがクローズドな場に集って対戦を楽しむ「LANパーティー」と呼ばれる形から始まり、ゆえに競技性が重視されるeスポーツという大会へと進化したことと比較すると、そこにきわめて興味深い差異があるようにも思えるのですが、それについて語ると今回の趣旨とはズレてしまうので、ここでは深く考察しないことにします。

(つづく)



[第一回目のあとがき]……というわけで、女性ゲームユーザーの存在を織り込んだテレビゲームの歴史の、その始まりの部分を書いてみました。かなり駆け足で書いているので、足りないものも多々あるでしょう。ご容赦ください。「ホケベル」「たまごっち」「プリント倶楽部」など、テレビゲームじゃない商品についての話が中心になっていますが、ファミコンの前身としてゲーム&ウォッチという玩具があり、ゲームセンターの人気ゲームの前身としてデパートの屋上などに設置されていたアナログな遊具があり、それらがテレビゲームに置き換わっていくことによってテレビゲームの歴史は始まったのですから、この時代に存在感を増していった女性ゲームユーザーについて語るときも、"テレビゲームには分類されない、しかし女性が夢中になったデジタルなモノ"から語り始めるべきだと考えたためです。もちろん家庭用ゲーム機のことを無視するつもりはありませんので、しばしお待ちください。次回は、増え続けた女性ゲームユーザーが、1990年代の家庭用ゲーム機にどのような影響を与えたのか? といった話になります。


【続編・女性ゲームユーザーの存在を織り込んだ上で読み解く日本テレビゲーム史(その2)】

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