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「かわいい」「きれい」「かっこいい」を考えてみたら……?

お疲れ様です!

今回のnoteは、自分自身のコンセプト

「他人に流されず、自分のラブ&ピースを貫く創造主」

を、よりブラッシュアップして具体的にしていくために、あきやさんのnoteのこちら

のトピックについて、自分なりに考えてみたいと思います。
暇だったらお付き合いください。

「かわいい」は頻出


この三つの形容詞であれば、自分自身に最も使いがちなのは、「かわいい」です。

アイシャドウを上手に塗れたとき、髪型をイメージ通りにできたとき、新しい服に袖を通したとき。
日常にふと現れる、「自分の姿かたちを褒めたい!」と思った瞬間に咄嗟に出る言葉が、「かわいい」です。

別に、「きれい」でも構わないはずなんですよね。
アイメイクできた! いつもよりきれい!
髪型ばっちり! いつもよりきれい!
素敵な服を着た! いつもよりきれい!

また、ものによっては「かっこいい」でもいいはずです。
きりっとしたアイラインに赤リップがいいね! かっこいい!
ばっさりショートヘアにしたよ! かっこいい!
パンツルックが更新されたね! かっこいい!

でも、「かわいい」が自分自身に使う形容詞としては、最もしっくりきます。
「かわいい」アイテムを選びがちなのかもしれません。
いわゆるフツーのベージュのアイシャドウを塗っているときよりも、ピンクがかっているものを塗っているときの方が、テンションが上がります。

思うに、「かわいい」は私の中で、全体の雰囲気を指す言葉だから、受け入れやすいのです。
一番指し示す範囲が広くて、曖昧でいい。
私が「かわいい」と思ったものを、誰かが「えー」と否定しても、特に憤りを感じることはありません。
これが「きれい」「かっこいい」だと、反発を感じてしまいそうです。

また、「かわいい」は丸や曲線のことだと感じます。
私はプラスサイズのおデブちゃんなので、「かわいい」が一番似合いやすい気がします。

色はカラフル。
パステルほど淡くもなく、ビビッドほど鮮やかでもない(やっぱり曖昧だね)。
ダイヤモンドやパールよりも、色石が「かわいい」だと思う。
洗練されていなくても、かわいいものはかわいい。
「きれい」「かっこいい」は、こうはいかない。
一番理屈抜きの言葉。

ただ、他人に使うときには一番気をつけたい単語かもしれない。
「かわいい」と「きれい」、「きれい」と「かっこいい」は、それぞれ重なる部分が大きい。
けれど、「かわいい」と「かっこいい」は、少しだけ離れている感じ。

例えば小さい男の子。
小さい子は男の子も女の子もかわいいから、つい、「かわいい」と声をかけそうになるけれど、自我の芽生えた男児は、「かわいいはやだ」と言うかもしれない。

それと同じで、「かっこいい」がコンセプトの人に「かわいい」を濫用するのは、気分を害しそうな気がする。

私が「かわいい」を自分に使いがちなのは、中学のときかな?
私立の学校に行ったので、周りは全員初対面。
近くの席の子から仲良くなっていくにあたって言われた言葉がきっかけかも。

「のざってなんか、いつも怒ってると思ってた」

って。

真顔でいると、私は不機嫌そうに見えるらしい。
ということを、十二歳で悟りました。
それがショックだったんでしょうね。

怖いの対極にある「かわいい」で、あの頃の自分を慰めている節があります。

サービス業(塾講師→書店員)が長いので、今はそんなことないと思ってるんだけど。
ああ、でも新人のトレーニングにつくときに、
「金曜日は疲れてお客さんにはまだしも、身内に愛想売れなくなるから」
「いやだな、他の人がいいなって思ったら、上の人にかけあってください」
って予防線を張ってしまうところはいまだにあるわ。

「きれい」は時と場合によりけり


自分からは縁遠い言葉のように感じました。

「きれい」は二種類あって、
①華やか
②整っている
に大別できる。
このうち、①は「かわいい」と、②は「かっこいい」と重ねることができるので、「かわいい」とはまた違った広さを持つ言葉。

例えば「花」は「きれい」で「かわいい」。
「人工物」は「かっこよく」て「きれい」。
ちなみに「パフェ」は、「きれい」で「かわいい」で「おいしい」。
直線のイメージも曲線のイメージも内包している。

ただし、「きれい」(あるいは「美しい」)でしか形容しづらいよなあ、というものもあって、それは「水」。
「かわいい」水があったとして、それは入れ物や色の話であり、「かっこいい」水に至っては想像できない。
滝? 滝なのか?

ところで私には、松本享恭くんという推しの役者がおりまして。
(まーたオタクな話をしようとしているな?)
彼が数年前、前の事務所に所属していた頃に、朗読劇「ヴェニスに死す」に出てくる美少年役を演じたことがありました。

朗読劇とはいえ、ただ椅子に座り(あるいは立って)台本を読んでいるわけではなく、ある程度の動きがある舞台でした。
小さい劇場だったので、彼の演じるタッジオを間近で見て、
「この人はなんて美しい人なんだろう」
と感じたのを覚えています。

それまで、私の中で美しい男といえば、古川雄大様。
(同い年なのですが、あまりの美しさに古川様とテニミュで出会ったばかりの頃からずっとお呼びしております)
古川様の美しさは大輪の薔薇の花。
享恭くんの美しさは、古川様の美しさとは違うなあ、と思ったときに、流水の美しさにハッとしたものです。

そしてその彼が、「川のながれに」なんていうドンピシャな映画に主演することになるとは、当時の私は思ってもみなかったのでした……。

きれいな顔の男にすっかり慣らされた身なので、自分自身に使うことはむず痒くなってしまうのかもしれません。
ただ、全体ではなく、パーツに対して言われるのは最近は開き直って受け止めています。

先日IPSAの肌診断に行ったときも、昨年末にエトヴォスでss限定のタッチアップに行ったときも、
「お肌がきれいですね! きめ細かくて!」
と、褒められました。

ちょっと前の卑屈な(いや、今も十分卑屈だなって思う瞬間がある)自分なら、

「肌以外に褒めるところないもんね。デブだし、ブスだし」

と、内心で思っていました。

けれど、自問自答を繰り返して自分自身と向き合った結果、
「自分が太っていることと、BAさんが褒めてくれる肌、関係なくない?」
ということに気がついたので、素直に受け止められるようになりました。

褒め言葉を「ありがとう!」と笑顔で受け取ることで、お互いに気持ちよくなれるので嬉しい。
全体じゃなくて細部を「きれい」と褒めてもらえる人間になるということは、自分自身を大切にしているという印象にも繋がって、成長の側面もあるのかも。

私が目指す「きれい」は、日々の積み重ね、健やかであろうとする心がけから生まれていくものなのかもしれません。

「かっこいい」は中身から


三つの中だと、「かっこいい」が一番、内面への形容だと感じます。
内面が表にあらわれたときに、「かっこいい」を使いたい。
特にファッションよりも言動に、知性や哲学が感じられたときに「かっこいい!」の称賛を贈りたい。

昔から私が好きになる女性キャラって、「漢」と書いて「おとこ」と読むタイプが多い。
細かいことを気にせずに、時に豪胆に物事をぶった切って、頼りない男連中を引っ張っていく感じ。

でも決して、ガサツだったりだらしなかったりするわけじゃないんですよね。

「かっこいい」はとにかく中身が勝負だと思うので、ここはファッション以上に自問自答を通じてかっこよさを追究していきたい。
そのうえで、ファッションに反映させたいと思ったときにいろいろ変えてみようかな。

「かっこいい」にも時間がかかりそうです。

コンセプトと絡めて

コンセプトと絡めると、

「他人に流されない」→「かっこいい」
「ラブ&ピース」→「かわいい」(「きれい」)
「貫く」→「かっこいい」


……あれ?

「かっこいい」の成分が多くない……?

「かっこいい」のファッションイメージって、

・直線的
・同じキラキラでもダイヤモンド
・もしくは地金のシンプルなアクセサリー
・パキッとしたモノトーン
・差し色は真っ赤!
・マットな肌
・色味は少ないけど、作り込んだメイク

っていうのが私の中の「かっこいい」女性のイメージ。

……いやいやいや?
嫌いではないけれど、できる限りカラフルに生きていきたいと思っている私とは真逆では??

どうやら「かっこいい」は、さらに研究を進めていく必要がありそうです。
この文章の時点で、「かっこいい」に割いている文章量だけ少ないしね。

「かわいい」の項を見ると、メイクや髪型やファッションについて「かわいい」でも「きれい」でもどっちでもいいって言っている。
なのに、「かっこいい」だけ、より具体的に自分の中でイメージが固まっている。
これは「かっこいい」に対して並々ならぬこだわりがあるという証拠なのではないだろうか……。

で、結局どれになりたいの? って話になると、「かっこいい」ではないなあ~、とすぐ結論を出そうとしちゃうんだよなあ。
いろいろ根が深そうです。
いろんなものを見て、感性を磨いて自分の目指すトップオブトップを決めていきたいな~。


【余談】
アイキャッチ画像、みんなのギャラリーから選ぶのに、「かっこいい」で検索。
かっこいい女の人のイラストにしようと思って選んでいたんだけど、タバコ吸ってる女性が多かった……いまだにタバコはかっこいいの象徴なんだな。
私は非喫煙者です。

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