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ことば、麻薬的

ときに自分に強く響くことばある。
自分のためにある言葉だ、とはっとさせられ気づけば自分の中に入り込んでいる言葉がある。
それは時に快楽的でもある。

昨日の記事にも書いたが、先日のフジロックでのスカート・澤部さんの言葉に励まされた。


「自分が迷路にいるということは、迷路に入る勇気はあった。」

あえて、仕事を辞めるという選択をした自分を肯定してくれているようだった。

また、少し前にはBUMP OF CHICKENの『望遠のマーチ』の歌詞に励まされた。

希望 絶望
どれだけ待ったって
誰も迎えにこないじゃない
いこう いこうよ

心はいつだって 止まれないで歌っている
死んだような今日だって 死ねないで叫んでいる

何かにつけて立ち止まってしまい気味になり、ニートに留まって立派な自宅警備員になってしまいそうな僕のための歌だ。
警備してたって誰もこないぞ、死んだように警備してたって本当はそんなことしてたいんじゃないだろ?と歌ってくれてる。
(本当はもっと夢にもがく思春期の子たちに刺さるべきであろうが)

油断するとネガティブのダークサイドに落ちかけてしまうのが人の常。
こうした"ことば"達がダークサイドの淵から僕(ら)を引っ張り上げてくれる。

「自分の居場所は間違っていない」というメッセージは不安が大きくなっているほどに強く響く。
ダークサイドの闇の深さに反比例して、引っ張り上げられた時に包み込む光が眩しくなる。

油断すると現状に満足してしまうのが人の常。
現状が肯定され神秘の光に包まれると活動が緩慢になってしまう癖を自分に感じる。
『望遠のマーチ』のことばを借りるなら、"ことば"は自分を迎えにきたわけじゃない。
行かなくてはいけない。
"ことば"は魔法的ではなく燃料的に推進力とするのが健全ではないか。

用法・容量を守り正しく使うことで人生を健康的に過ごしていきたい。

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