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レンズが見ていた景色を僕は知らない...フォトエッセイ towazugatari

実家には、何故かずっと気になっていたものがあった。


父親が大学生の頃から使っていたという古いカメラだ。

太陽堂光機という会社が製造販売していたという二眼レフ…。


使われなくなってからは、もうかなりの歳月が流れていたけれど、5〜6年前に譲り受けて持って帰って来た。


実家の玄関にて…
棚の中にしまってあったとはいえ、長い年月の間にかなりの埃をかぶっていた。
本革のケースが付いていることから、
当時、カメラがまだ贅沢品だったのかもしれないということを思い起こさせる。


僕の父親はかなりの高齢だから、これはもう半世紀を更に超えた時代の製品だ。

僕が幼稚園に通っている頃までは、旅先などで家族の姿を撮っていたのを覚えている。
あの頃、他の家族が写真を撮っているのを見ても、二眼レフを使っている人などいなかったような気がする。

だからなのか、被写体の居る方向ではなく、下を向いてカメラを覗き込んでいる姿はとても印象的だった。


そして、
ピントを合わせるのが難しかったのか、それとも非常に几帳面だったのか、

シャッターを押すまでにはかなりの時間がかかっていて、
その焦ったさを象徴するように、出来上がった写真のほとんどが誰も笑顔じゃない…

このカメラにはそんな苦い思い出もある。

そんな事もあり、
撮影に使うという目的ではなく、レトロなものが好きな僕はインテリアの一つとして傍らに置いておきたかったのだ。

家に持ち帰ってから、ずっしりとした重さを感じながら、細かい部分まで丁寧に埃を落とした。

クラッシックカメラは本体の大部分に革が貼られているという事も新たな発見だった。

これに付いていたカビのような汚れも落とし、新品とまではいかないまでも美しい姿が蘇った。


当初は、ただお洒落なインテリアとして部屋に置いてみたいという軽い気持ちだった。

でもこうして手に取って、触れて、眺めて…
そんな事をしているうちに、僕がこの世に存在する前からこのカメラはいろんなものを見て来たのだという事に気が付いた。

昭和の時代がとても大きく移り変わっていく姿を…


大学生だった父親は、どんな想いでこのカメラを手にしたのだろうか…
若者だった父親の感性は、どんな景色にレンズを向けていたのだろうか…
最初に写した1枚は、どんな写真だったのだろうか…


あの頃父親がしていたように胸の前にカメラを構え、蓋を開けてファインダーを見下ろしてみる。



そこにある見慣れない正方形のスクリーンに、
このカメラが見て来たであろう、僕の知らない景色が走馬灯のように映し出されたとしたら…


想像は果てしなく膨らんでいく🍀

                                     noZomi hayakawa

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