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1年かけて見つけた、小学生の”感覚過敏”との付き合い方 ~こだわり長男とママの奮闘記~

今日は4月1日。エイプリルフールだ。
長男が小学校にあがって1年がたった(嘘ではない)。こだわりのネイビーのランドセルも、もう黄色いカバーをつけずに登校できる。校帽にも、これまでは学童を示すリボンやら、帰るルートを示すリボンやらたくさんついていたが、それも外していいらしい。
そんなすっきりとした姿で、4/6には新二年生として登校し、入学式で掛け合いのメッセージを言ったり、歌を歌うらしい。彼自身も、それを楽しみにしている。

とある夜、ひょんな流れから彼に「1年間を振り返ってどう思う?」と聞いたとき、ちょっと間があってから「がんばったなっておもう」と答えた。
本当にそうだろうなと思う。
彼の一年生としての1年間は、とても大変だった。
こだわりの強い、マイペースな彼にとって、学校で45分座っていることや、時間割に沿って行動すること自体がとてもチャレンジングだった。
自分の意志をはっきり持ち、ロジカルに会話ができる彼にとって、同じ地域に住む同じ年齢だからという理由で集まり、先生に言われた通りに行動できる同級生という存在は、少し不思議な存在だった。

子どもにはそれぞれ個性があるし、大変さにはいろいろある。気づかれにくいしんどさもあると思うし、うちの子が一番苦労したと言うつもりはない。
ただ、長男の大変さは、周りをも巻き込む大変さだった。
その大変さの要因の1つは「感覚過敏」だったと思う。

このnoteでは、うちのこだわり長男の「感覚過敏」と、それにどう対応して小学校生活を送ってきたかを書いてみる。
彼の感じたすべてを、母親である私が知っているわけではないが、同じような特性の子どもを持つパパやママ、そういった子どもを担当する学校の先生の何か参考になれば嬉しい。

「感覚過敏」の引き起こした困難

不思議なことに、保育園にいるときは「感覚過敏がある子だな」と思ったことはない。お気に入りのズボンしか履かない、靴の面ファスナーをつけたり外したりしょっちゅうしている、といったことはあるが「こだわりの強い子だな」「なんか気になるんだろうな」くらいに思っていた。先生もそんな彼に寄り添ってくれていた。
ところが、小学校になってみんな同じタイミングで行動することが前提の集団に入ると、「こだわりの強い子ね」ではすまない。授業や集団下校を妨げ、他の子どもたちに影響がでるからだ。
スクールカウンセラーの先生に指摘されて感覚過敏について調べてみたら、彼の強いこだわりの中には感覚過敏で説明がつくものが多くあることに気づいた。
彼の感覚過敏のうち、学校生活に大きく影響したのは「聴覚」と「触覚」だ。順番にその概要やエピソード、我が家での解決策を書いていく。ちなみにこれは、医学的に何か診断を受けたわけではなく、私がある意味勝手に解釈して分類しただけなので、そこはご留意いただきたい。

①聴覚:ランドセルの音が気になって登校できない

小学校の登校時、最初にぶつかったのがこれだ。
「ランドセルがカチャカチャする音が気になって、学校にいけない」
小学校2~3日目の朝、長男に泣きながらそう言われた。
・・・最初は意味がわからなかった。

ランドセルの留具、皆さん覚えているだろうか。フタの先についた金属板の長方形の穴を、ランドセル下部のやはり金属製の長方形のつまみにひっかけ、つまみを回すことで固定する。カチャッと音がするあれである。今のランドセルの留具も、我々の小学校時代と大きくは何も変わっていない。
確かに思い返せば、歩くたびにカチャカチャ鳴っていた。私はむしろその音に合わせて歩く(本当は逆だが)のが好きだった。

もはや時間的には完全に遅刻である。本人だって学校に行きたくないわけではないらしい。行きたい、行かなきゃいけない。でも、音が気になって歩けない。歩いてもすぐに立ち止まってしまう。たかだか歩いて10分ないくらいである。
そして一度ではなく何度もあった。タオルハンカチを挟んだりすることで緩和したり(それでも気になると言って泣きわめくこともあった)、ランドセルをこちらが持っていき、なんとか学校へ押し込んだ日もあった。
正直、我慢して行ってほしいと思った。苛立ってしまった日もある。
でも、本人が一番つらいのは、泣き顔を見ればわかる。

彼自身の試行錯誤の結果、蓋をやや横にずらして留めたり、ランドセルに荷物や上着をぎゅうぎゅうに詰め、フタが閉まるか閉まらないかのギリギリを攻めることで、カチャカチャ鳴らない状態を作り出せるようになり、今ではもうそれで行けなくなることはない。本当に良かった。

②触覚:靴下が気になって靴が履けない

長男は毎日靴下を選ぶ。お気に入りの靴下しか履かない。
吟味したはずなのに、家を出てから「くつしたが気になってくつがはけない」と泣かれることもある。
じゃあ靴下なしで靴を履けばいいじゃない、と伝えるがそれも拒絶される。そして、「どうすることもできない!」と泣きながら絶望している。

それならば、とお気に入りのと同じ種類の靴下をたくさん買い揃えた。
これで一安心、と思いきや、まったく効果がない。げんなりした。

12月のある日、仕事中の私に学校の先生から電話がかかってきた。靴下が気になって、学童への集団移動がどうしてもできず、学校で待ってるので迎えに来てほしいとのことだった。出社していた私は、同僚に説明して、急遽帰宅することになった。
その日は学童クラブのクリスマス会の日だった。長男は特技である「コマ回し」を披露することになっていた。コマを回したあとに、紐で引っ掛けて手にのせ、さらにもう片方の手に移し替えるという大技だ。彼にとっても難しい技で、ずっと学童の先生と練習していた。
それなのに、靴下のせいでそもそも参加できないかもしれないなんて…!

学校について先生の話を聞くと、どうやらこれが初めてではないらしい。
長男の学校は、学校の中に学童クラブがなく、1年生のうちは同じ学童へ向かう生徒を集めて集団移動する。向かう学童ごとに人数を数え、「パトロールさん」と呼ばれるシルバー人材センターの皆さんが連れて行ってくれる。安全に送り届けるため、全員が揃ってからでないと出発できない。
そこで長男が「くつしたが気になってどうしても靴が履けない」と泣いてしまえば、他の子は待つしかなくなる。受け入れる学童も困ってしまう。
前回は他の子を先に行かせ、その後担任の先生が、長男を上履きのまま学童へ送り届けてくれたらしい。流石に何度も続くのは、ということで、今回は私が呼び出される形になった。
今回も上履きのまま学童まで送り届けたが、クリスマス会はとっくに始まっていてコマ回しをするはずのパートは終わっており、本人も気持ちが立て直せず、結局披露することはできなかった。本人にとっても、辛かったはずだ。

「くつしたが気になる」の意味することがわかったのは、1月になってからだ。長男が初めて、「くつしたの中のでっぱりがあたって気になる」という表現をしてくれたのだ。
靴下には必ず、縫い目の端っこの玉留めみたいなもの、ぶっとい縫い目の塊のようなものがある。個体差が激しく、同じ種類の靴下でもその大きさは異なる。大体はでっぱりすぎていて指に触れる。かつ靴にゆるみがあるとそれが触れたり離れたりする。彼にとってはそれが、他のことができなくなるほどものすごく気になるのだ。
靴下を強く引っ張り上げたり、靴の面ファスナーを何度も留め直していたりしていたのはそのためだったのか――。確かに上履きはゴムのおかげでピッタリと足にフィットする。言われてみれば行動の全てが説明がつく。なぜそれまで気が付かなかったのだろう。

それ以来、彼の靴下は全てその部分をハサミで切っている。かなり切らないと意味がないので、両側穴が空いてしまったものもある。でもそんなことはどうでも良いのだ。靴下に煩わされず、ご機嫌で過ごせるようになった。
今年のクリスマス会は、きっとコマ回しを披露できると思う。

縫い目の端を切りすぎて穴が空いた靴下

③触覚:体操服が着られない

体操服は毎週月曜日に持っていって金曜日持ち帰り。4月からずっとそうだった。もちろん毎週洗濯していた。が、実は着替えていないことを知ったのは、10月になってからだった。
土曜日授業で体育の授業を見に行くと、校庭に長男の姿が見えない。担任の先生が私に近づいてきて、「長男くんは着替えができなくて、まだ教室にいるんです。サポートしてもらえませんか?」と言われた。
教室へ行くと、補助の先生が長男に説得を試みていた。頑として着替えない長男は、私を見ると飛びついてきた。
長男の顔と体操服を見て、理由がわかった。長男の学校の体操服は襟がついている。そのポリエステルの襟が、首に当たるのが気になるのだった。
結局下だけ着替えて校庭へ連れて行き、その格好で参加することを許してもらった。以降は襟付きの体操服の代わりに白Tシャツを着て体育をしている。
襟が気になることは、親がすぐ見ればわかる。でも、補助の先生にはわからない。もっと早く気づいてあげられたら良かったが、そんな細かい情報共有はなされないのが小学校だ。

思い返せば、9月の運動会では普通に着ていた。
何も知らなかったから普通に見えてたけれど、あれは本人としてはすごく頑張ったんだな、と思った。

④触覚:長ズボンが履けない

靴下と同様、スボンもお気に入りのズボンしか履かない。春から夏にかけてはずっと半ズボンだったので特に問題はなかった。問題は、肌寒くなってからだった。
10℃を下回るくらいの日が続くようになると、さすがの長男も寒いのか長ズボンを履く。と言うか履いてほしい。だが、買っておいた130cmは着ずに、擦り切れてつんつるてんの120cmを履き続ける。
硬い素材、例えばジーンズのような生地が苦手だということはすぐにわかった。だからジャージのような柔らかくてゆったりしたものを買ってみたりもした。一緒に買い物に行って試着をし、これならば大丈夫、と彼が言うものを買っても、結局履けない。何度試してもそうなる。

「大丈夫と言ったじゃない、頑張ろうよ」と我慢して履いて行かせた日もあった。でも、結局学校についてから泣いてしまい、授業に参加できなくなったそうだ。

いろいろ試してようやくわかったのは、ゆったりしたズボンは布が脚に触れたり離れたりする。それが気になって気持ち悪くてたまらなかったようだ。ポケットがついているものならなおさらだ。
柔らかい伸縮性の素材で、脚にぴったりとフィットし、横のポケットがない。そう、赤ちゃんの頃から彼が愛用してきた、UNIQLOのレギンスパンツにまさるものはないのである。

0歳から愛用したUNIQLOのレギンスパンツ(公式オンラインストアより転載)

それがわかってからは、ズボン難民ではなくなった。柔らかい伸縮性の素材でできていてポケットがなく、ピッタリとしているもの、できれば少し小さめサイズを選べば、だいたい大丈夫。洗濯の都合でお気に入りがない場合でも、「履いていってダメそうだったら、学校で体操服の半ズボンに替えてね」と伝えられるようになった。

そもそも長男は、ズボンに関わらず、なるべく服を着たがらない。裸が一番心地よい彼には、肌にぴったりフィットしてよく馴染むものを選ぶ必要があるのだった。

⑤触覚:ランドセルやリュックが軽すぎると背負えない

ランドセルやリュックが重くて、背負うのが嫌になり人に持たせたりする子はそれなりにいると思う。が、長男は逆だ。軽すぎると背負えない。そしてやはり「きもちわるくてしょえない」と泣いて出かけられなくなる。
なので、持ち物が少なくて済む日でも、ランドセルには重しとばかりに本や教科書をたくさん詰め込む。
旅行の時にも、着替えはかさばる割に軽すぎるので、1リットルの水を両脇にさす。登山家のトレーニングのようだし、なんだか荷物持ちをさせていじめているようにみえるかもしれないが、こうすればいきいきと背負ってくれる。

実家へ帰省する長男。出掛けに1Lペットボトルを買い、両側に入れることでなんとか出発。

そして、リュックの場合は肩ベルトを前で止めるバックルがあるが、あれもバックルだけではダメで、きつくきつく前で結ばないといけない。なんだか虐待しているようにみえるかもしれないが、これがゆるいと出かけることもできない。

軽すぎることを嫌がること、きつく前で結ぶことが、触覚の感覚過敏が要因なのだろうと理解できたのは、実は最近だ。
軽すぎるランドセルやリュックは、ゆったりしたズボンと同様に、肩ベルトがずれたり、身体から浮いたりついたりするのが気になってたまらないのだ。

感覚過敏は、わがままなのか?

普通の人ならなんとも思わないものを受け入れられない。みんなと一緒に行動できない。人によっては、これを「ただのわがまま」「躾のできていない子ども」と言うのかもしれない。
でも、彼を一番近くで見てきた家族として言いたい。
そういったものとは断じて違う。

ここまで読んでくださった方は感じているかもしれないが、本人が一番辛いのだ。先生にも友達にも理解してもらえない。感じている不快感を全て言語化するには、まだ語彙が足りない。毎日が絶望の連続だ。コマ回しをはじめ、楽しみだったたくさんの機会を失っている。

私も幼少期には、服のタグやセーターがチクチクして気になることくらいはあった。でも、それと長男の感じている刺激や苦痛は別ものだ。
簡単に「ママにも小さい頃そういう事あったよ、でもそのくらい我慢しようよ」とは言えないのだ。

どのくらいの苦痛なのかちゃんと想像したい、どう説明したら学校の先生に理解してもらえるか考えたい。そう思って読んだ、感覚過敏の当事者の方が書いた本の中で、的確な表現を見つけた。ちょっと長いが、ぜひ読んでいただきたい。

感覚過敏はアレルギーとは違うので、光を浴びることもできますし、大きな声を聞くことだってできますし、くさいニオイを嗅ぐことだってできます。(中略)
過激な刺激を避けて生活しようと工夫しています。でも生死にかかわるとしたら「感覚過敏だから無理」と言っていられない場合は実際あるでしょう。
(中略)
このように書くと、「がんばればできるならがんばれば?」と言いたくなりますか?
(中略)
 どうすれば、感覚過敏のつらさを過敏がない人に伝えられるかなと考えたときに、思いついた表現があります。それは「靴の中の小石」です。
歩いているときに、靴の中に小石が入ることありますよね。あれ、痛いですよね。すぐに取り除きたいけど、急に立ち止まれない場所にいるときもあります。
 そうすると、通行人にじゃまにならないような場所で立ち止まって、靴を脱ぎ、小石を取りのぞくわけです。それまでは、靴の中の小石を感じながら、不快感マックスで歩かなければなりません。
感覚過敏ってこの靴の中の小石に似ていると思うのです。
 めちゃくちゃに痛いし不快です。でも、その不快感に耐えて、少しくらいなら歩くことができます。でも、その不快感がずっと続くと想像すると、つらくないですか?少しくらいはがんばれるけどつらい。
 感覚過敏の人は、靴に小石がずっと入っている状態です。小石が取れないから、できれば歩きたくない。歩かないといけないときは、心のなかで叫びながら歩く。「痛い、痛い」と。

加藤路瑛「感覚過敏の僕が感じる世界

「靴の中の小石」。つまり、ちょっとなら我慢できるけど、ずっとだったら不快なこと。例えば、臭いトイレ。例えば、黒板を爪で引っかく音。多くの人と共通して「それは嫌だ」と思えるものはある。
ランドセルのカチャカチャ音や靴下の縫い目のでっぱり、体操服の襟、ゆるい服、軽いリュック。そういったものは全て、長男にとって「靴の中の小石」なのだ

「そんなものは小石ではない!」とか、「それくらいで歩けなくなるなんて弱い!」とか、言いたくなる日もあるかもしれない。でも、いくら言っても親にはその小石を小石でなくすることはできない
親ができるのは、まずその「靴の中の小石」の存在を認め、それで本人に生じている不快感を認めることだ。
そしてその後、具体的に何が小石たる由縁なのか、色々試しながらよく観察し分解する。それがわかれば、取り除く方法が見つかる。

感覚過敏はなおるのか?

1年経って思うのは、長男の感覚過敏での困難は少しずつ緩和されているということ。それは、まずはそれぞれの不快感に対する対策がわかったことが大きい。それに加えてもう一つ、小学校生活への慣れもあると思う
例えば勉強。学校の宿題をするとき、以前は些細な音でも次男が遊ぶ音が聞こえると集中できないと言って泣いた。でも今は、テレビの音がしても宿題に取り組めている。

初めての学校、初めての勉強、初めての友達。
慣れないことをするときには集中力が必要だし、それを乱してくる刺激はとても不快だ。例えば自動車免許取得後の初運転で、同乗者がワイワイ騒いでいたら「うるさい!静かにして!」と叫びたくなるだろう。でも、しばらく経って運転に慣れてしまえば、同乗者と楽しくおしゃべりしながら、安全に運転できるようになる。それと一緒だ。
そのうち必ず安定する。個別に対策しながらも、そう信じることが大切だと思う。

まとめ

感覚過敏を持つ子どもの親として、同じような思いをする人を減らしたいと思って、本人にも許可を取ってあえて赤裸々に書きました。正直、私も最初のうちしんどかったし、要因がぱっとわからないものについて「わがままを言わない!」と怒ったこともありました。働く親として、日々余裕のない中での綱渡り状態でした
ここに書いた解決策は、言われてみれば「そりゃそうか」ということも多いと思うのですが、本人が言葉にできなかったり、親もしんどい気持ちになってると、瞬時にはなかなか思いつかないものでした。
今まさに困っているパパママのお役に立ったり、共感してもらえたら嬉しい。そして、こういった感覚を知ってもらい、想像しやすくなることで、学校や社会の中に、お互いの個性や特性に対して理解し合える優しい場所が増えたらいいなと思います

小学校で起きていることをタイムリーに把握できない、こどもが話してくれないといった情報流通の悪さも、感覚過敏の解決がなかなかできなかった要因でした。そちらについてはこちらnoteにまとめたので、ぜひご覧ください。

皆さんと体験をシェアして、子育てをできるだけ楽しく乗り越えていきたいなと思っています。

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