見出し画像

水月の謀反

和秦女王は焦っていた。

亡夫の忘形見とも言うべき水月王子が、謀反の罪を犯したと言うのだ。
幸いにも内部より密告が行われ、軍を動かす前だったのだが、丞相より私室でその話を聞いた時、まさかと口をついて出た。

紙燭の火が、じじっと音を立てて、一瞬燻る。

水月王子は忘形見と言っても、女王の実子ではない。水月王子は、亡夫が愛妾の間に設けた第一王子で、女王には亡夫との間に第二王子である陽雲王子がいる。

ただ、水月王子は長いことその存在を知られぬまま、都の外で育ったために、女王と前王である夫との王子こそが、正統な第一王子として育ってきた経緯がある。

水月王子が発見されたのは、日照りが続く折に女王が亡き夫の夢を見たからで、夢占いで、「他にまだ知られぬ王子がいる」と占い師が言ったからだった。

「この日照りは、王子を王宮にお戻しになれば、すぐにでも解消するでしょう」と。

そしてようやく発見されたものの、この王子を「王子」と認めて王宮に戻すことは、王宮を揺るがし、国をも二分する話になるだろうと踏んだ女王は、臣下及び王子自身にも出自を隠し、丞相を後ろ盾にすることで、「行儀見習いの少年」として、王宮に住まわせることとしたのだった。

つまり、水月王子はその出自を知らされることなく、王宮に連れてこられ、女王のそば近くで理由も知らぬまま十七歳の今まで暮らしてきたことになる。

それがどうだ。王子が謀反だという。

「誰かが出自を教えたのではないか」

女王はその勘が、おそらく外れていないだろうと感じていた。

「しかし、誰が水月に出自を教えたのだ? そしてそれで、どのような得をするのか?」

おそらく、謀反を知らせた密告者の裏に、その人物がいるだろう。

だが、謀反を知らせた「功労者」を吊し上げるわけにもいかぬ。


思い悩む女王の横顔を眺めるのは、丞相だ。

「私の首が目当てでしょうな」

そう言う丞相の言葉に、女王はハッとした。

「水月が謀反となれば、後見人の其方は、ただではすまぬ」

女王が言い終わると同時に、丞相が口を開く。

「ですが、女王陛下のお言葉で、私が後ろ盾になったなど、口にしてはなりませぬぞ」

確かにそうだ。それは、国の乱れにつながる。
だが、黙っていれば丞相が危うい。

まだ若さの残るこの丞相の真っ直ぐな目を、女王はじっと見つめる。

「其方には、かつて命を助けてもらった。覚えているか。私の王子懐妊の祝いの場で、夫の愛妾が私に毒を盛ったのだ。それを、其方が毒盃を遠くから弓で射て、知らせてくれたのだ。今度は、私が其方を守らねばならぬ」

「何をおっしゃいますや。国の統治者たる女王陛下。心の乱れは、国の乱れに通じましょう」

丞相は、女王の申し出をキッパリ断ると、深々と礼をし、続けた。

「幸いにも、水月王子の謀反は、すぐに露見したことで実害はありませぬ。水月王子は流罪になさり、誰に唆されたかを探る必要があるでしょう。私は、王子と共に都を下ります」

言葉を失う女王の顔を見ることなく、丞相はそのまま後ろに下り、また礼をする。

「貴族でもなかった私めをお引き立てくださり、ここまでお守りくださった御恩、忘れませぬ」

立ち尽くす女王の元に、武官が駆け入ってきて、叫んだ。

「水月王子、自害のよし……!」

女王は、耳を疑った。

「まだ十七歳の水月が、そのようなことをするはずがない。あの幼い子だぞ!」

ありありと蘇る水月の面影。

柔らかい癖毛、素直に笑う少年らしい表情。自分の母が恨んで毒を持った相手とも知らず、自分によくなついていた。

その水月が、謀反ですらおかしいのに、自害までするとは、到底思えなかった。

誰かが糸を引いている。それも、丞相を邪魔にして、追いやろうとしている誰かが。

思い当たる人物は、1人しかいなかった。

「楽星宿長……」

その男の名は、楽章。

国の暦を扱う星宿庁の長。
そして、星宿庁は祭祀も行う。つまり、「国のまつりごと」には表と裏があり、裏の権力者であるわけだ。

実は、かつて祭祀を行う一族が王族の中に存在していた。

国の歴史を辿ると、夫王を亡くした王妃が、祭祀を行う長官と婚姻し、世継ぎを成したことがあった。当然ながら、世継ぎの外戚になることで、権力はその男に集まった。

結果、国が乱れたので、この祭祀を行う一族を、王族とは呼ばないという処遇が取られた。

楽章は、この一族にあたる。

歴史を紐解けば、野心をくすぐられるのもわかるがーー。


そんなことを思い巡らしているうちに、丞相の表情が硬くなっていくのが見てとれた。
おそらく、同じ人物に思い至り、何事か考えているのだろう。

「女王陛下、私は今から、一族とともに都を下ります」

「丞相、何か考えがあるのだな?」

丞相は、小さく頷くと、女王の私室を出ていった。

女王はその去っていく足音を聴きながら、胸騒ぎを感じずにはいられなかった。

乾燥した秋の風が、王宮の外を吹きすさぶ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?