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太陽記①

「なんだ、もう空が暗い?」

 シナテルは、母の勧める姫に会いに行く途中であった。
 女の元に忍んでいくのは、はじめての経験である。兄のテルシノには既に通う女性(ひと)がいるようで、次のワカミヤと目されているシナテルにも、早く妃を娶らせて、一人前にしたいのだろう。
 シナテルもそれはよくわかっていたが、「面倒だなあ」というのが、一番しっくりくる言葉だった。

 それで、渋々夕暮れになる前にと、禊がてらの水浴びをしていたのである。
 だが、どうも暗くなるのが早い気がする。
 まだまだ夕暮れには早いはずだったが。

 ふと空を見上げると、太陽(テルヒ)が欠けているように見える。
「これはーー!?」
 水から上がり、シナテルは乳兄弟のコチヒコに持たせていた、衣服を纏う。
「怪しい暗さですね」
 コチヒコがそういうのに頷くと、シナテルは「父上のもとへ行こうと思う」と、葛木山麓のミヤへと走り出した。

「父上なら、何かご存知かもしれない」
 姫のことは、もうすっかり頭になかった。

 ミヤへ向かいながらも、空はどんどんと暗くなっていく。
 知った道ではあるが、心もとないような気持ちになってくる。

「これは一体、どういうことだ」

 いよいよ真っ暗になってきた時、鳥たちが一斉にギャーギャー鳴きながら空に飛び立つ。
「テルヒが姿を隠すとは、災いとしか思えぬ」

 その時、林の向こうに明かりが見えた。
 誰かの屋敷で火を大きく焚いているようである。
 近づいていくと、人々の祈りの声が聞こえ、そして輪の中心に、巫女と思しき女が歌い踊っていた。

 暗がりの中、炎のあかりで浮かび上がるその巫女の姿は神々しいまでに美しい。
 長く踊り続けたために乱れた衣服からのぞく、汗に濡れる白い肌。そして豊かな黒髪は汗を吸って濡れたように艶めいていた。少し釣り上がった双眸には、なぜか喜びのようなものが少しみえ、キラキラと輝き、口元も僅かに笑んでいるのが、怪しく魅惑的であったので、シナテルは心臓を掴まれたように、息をするのも忘れて彼女に見入ってしまった。


 やがて、消えていたテルヒが僅かに現れ始め、人々にどよめきと歓声が湧き上がった。
 シナテルは、それでもただ呆然と彼女を見つめていた。

(何て美しいんだーー!)

 光が差し始め、そこがどこであるかシナテルは理解した。

「兄上の、通っておられるところだ」

 そこは、兄テルシノが尾張から呼び寄せた姫の屋敷であったのだ。

    …②へ続く

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