トラウマ記憶と整体

 整体に、時間の要素を持ち込めないかなあ……と考える今日この頃です。
 皮膚や筋肉にできる癒着はモノ、つまり物体であって、あまり時間とは関係がない、と、思う。一方で筋肉の〈動作〉には〈時間〉の要素が含まれますから、この動作の部分に整体ができれば、トラウマ記憶の解消につなげられないかな、と期待するのです。

 昨年末、久しぶりに、精神科のお医者さんなお客さんとお会いして(ぎっくり腰で来院。私の〈先輩〉ですな…)、なんだかんだ雑談するうちに「私はこう思うんですよね~」口から出まかせ風に言ったことが、思いがけず自分の意に適っていることに気付いて、そうか、私はそんなことを考えていたのか……自分で驚きました。
 で、そこから具体的にトラウマ記憶と整体、時間と整体、みたいな方向に連想が膨らんでいったわけですが、たぶん、施術作業としてこれまでとそんなに違うことをするわけではないんだろうな、という予感がしています。きっと、検査の際の意識と施術の際の手技を少し変えるだけ、という結果になりそうです。
 もうちょっと丁寧に言うと、いままで〈在る〉ことには気付きながら「私の〈現場〉じゃない」と思って〈浅入り〉はしても深入りはしてこなかったところに深入りしていく、という仕方で対応できるように思っています。

 私の学生時代のお師匠さんは生前、私に、「自分の技術にできること・できないことを早く見極めろよ。そうでないと他の専門家と分業ができないからな」と警告くださっていて、なるほどそんなものか、納得した私はがんばって見極めようとしました。そしてそれができるようになったおかげで、他人様に自分のしていることを伝えたり、施術のできる・できないが素早く判断できるようになったわけですが、〈これはできる〉〈これはできない〉が固定されると、それはそれで何ともツマラナイ……。
 結果、思ったのは、見極めることも大事だけど広げ続けることも大事だな、と。いま企んでいる施術が的確に成果を上げるようになれば、めちゃくちゃ嬉しいことは確実なので、慎重に・猛烈に励みたいと思います。

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