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セカイ雑談学会vol.0「所与としてのインターフェイスと、遊びが創る偶発的なインターフェイス」

セカイ雑談学会vol.0での鼎談がスタート

前回のnoteの経緯からセカイ雑談学会が立ち上がった。凄いスピード感だ。初めての出会いから1週間も経っていない。セカイ雑談学会vol.0と名付けられた日に、井口尊仁さん、しほりんさん、私の3人での鼎談が始まった。しほりんさんは井口さんが連れてきてくれて私とは初対面だ。(初対面と言っても、顔合わせをしたわけではなく、非対面型で声だけでつながっているわけなので、正確には初対面ですらないのかもしれない。)

セカイ雑談学会vol.0の雑談の始まりは、井口さんによるインクルーシブデザインの解説から始まった。

尖った人の尖った使い方を観察する「インクルーシブデザイン」

井口さん:「大衆の多数派に向けてデザインするのではなく、とんがった人のとんがった使い方を観察することで、普遍的な製品が生まれることが稀にあるという考え方があるんですよ。」

窪田:「ほお・・・」

井口さん:これをインクルーシブデザインと呼ぶんですね。iPhoneはマルチタップ形式じゃないですか。これって、手首の運動能力に課題がある人ってそもそもクリックや打鍵が出来なかったところに起源があるんですよ。そう言う人たちに向けて、タッチデバイスを作った発明家がいるんですね。」

窪田:「おお・・・」

井口さん:「通常、こういうのはチャラい、驚かしで終わってしまうことが多いと思うんですよ。それにも関わらず、結果、腕に課題を抱えている人に対して、めちゃくちゃ良いデザインが完成した。

これによって一部の熱狂的なファンが生まれる。打鍵とかが出来ない人から『コンピューターが自在に使えるようになる!なんてなめらかで気持ちいいんだ』と熱狂していたんdすね。それをスティーブジョブスが見つけるんですよ。これが実はワン・デバイスという本で紹介されているんです。」

窪田:「おー、めっちゃワクワクする話」

井口さん:「この本は、簡単に言うと、iPhoneはジョブスが作ったものではないって本なんです。スマホの原型は元々IBMが作っていた(*1)し、ゴリラガラスも存在していた。今回は特にiPhoneのタッチセンサーについての初期の話です。(*1:IBM Simon)

マルチタップについては、アプルのエンジニアがまずは、人伝に見つけて、買ってきたんですね。それを元に、簡単なデモンストレーションをCDOのジョナサン・アイブにプレゼンすると、大興奮。プロジェクターでピンチイン・ピンチアウトをやって、「おおお!世界が変わる!」とデザインチームが熱狂していた。」

窪田:「スタートアップやってて、一番わくわくする瞬間ですね・・・!」

井口さん:「そして、ジョナサンがデザインを仕上げて、スティーブジョブスにプレゼンにいく歴史的なモーメントがあるんですよ。」

しほりん:「歴史的なモーメント!その言葉が好き!」

井口さん:「これで世界が変わる、と言って、プレゼンすると、ジョブスは『なんだこのうんこみたいなものは・・・?。』って反応をして、ジョナサンがすごい落ち込むんですよ。」

窪田:「うわー」

井口さん:「でも、その後実際に採用されて、ジョブスがプレゼンで嬉々として拡大・縮小してたじゃないですか。えーやろ、えーやろ、みたいなあのwktk感って覚えてます?」

しほりん:「あはは」

井口さん:「これはくそだ、って言ってたジョニーの時から最後、えーやろって言うまでの流れがめっちゃ面白くないですか?」

窪田:「面白い・・・」

井口さん:「てなわけで、ゆるく雑談していきましょう。ローマとかの哲学もあれ、風呂場でやってますからね。」

しほりん:「テルマエロマエとかも、あれすごいですよね。夢でこういう妄想があったから、起きてすぐメモる、というのが未来感あるんですよね。」

井口さん:「ユーザーを観察して早速試作品作るみたいな」

しほりん:「そうです。現代の資源を活用して、過去の人が喜ぶようなものを作っているのも面白くて。ほらほら、ほしかったでしょ、みたいな。」

井口さん:「テルマエロマエはデザインシンキングだったのか!」

しほりん:「そうなんですよね。」

井口さん:「確かに言われるとそうだったんだなと思いますね。哲学に関する傑作の絵があるんですけど、アリストテレスとソクラテスが歩いているアテナイの学堂という絵もただの浴場ですからね。」

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しほりん:「浴場!」

井口さん:「エロい欲情じゃないですよ。」

しほりん:「わかります・・・!」

窪田:「欲情だとBLみたいになっちゃいますからね。」

一同爆笑

井口さん:「ヨーロッパの啓蒙思想とかもカフェで始まってますからね。コーヒーやココアが広まって市民階級が高級食材でチルっちゃって、知的な会話をして、おまえバイブスいいね、みたいになっていったんですよ。人間の存在ってなんだろうとか」

一同爆笑

井口さん:「チルっちゃった状態で、最近、人口増えてねー???」

一同爆笑

井口さん:「増えてるから人口論書いちゃう、ってなったり、人間と機械似てね、ってなって人間機械論が生まれたりしたんですよ。カフェの物質と抽象的なアイディアが融合したんですよね。人間なので、出会いと対話がポイントなんですよ。しかも、脳がリラックスしていて、楽しくないと、面白いものが生まれてこないのかな、と。それがチルっちゃうコーヒーやココアなどの物質だった。」

窪田:「確かに・・・。人との出会いと対話がありながら、リラックスしやすいものを食べると会話は弾みやすいですよね。

例えば、シャワーを浴びてアイディアを出すみたいな人も多いと思うんですが、シャワーも外的物質ですしね。」

井口さん:「最初に鎌倉期にお茶を持ってきたのも禅僧なんですよ。宇宙と通じ合って、ハア、見えた、みたいなことを言って、茶湯の文化が生まれたんです。なので、闘茶は茶の遊びなんですが、闘茶はお茶をプレイにしたものなんですよ。」

一同爆笑

井口さん:「お茶という物質だけではなく、闘茶という遊び・プレイが入ることによって、お互いが当て合うという考え方によって広がっていくんですよ。これを一人でやるのではなく、複数人でやってたんですよ。茶という物質と飲み方・マナーということだけではなく、遊びが入っていたんですよ。お茶に遊びの要素を盛り込んだことによって、それがいつの間にか、マニアックなお茶に光を当てることにつながったり、千利休の文化にもつながったんです。」

窪田:「遊びが入ることによって、ほかの人も参加できるようなインターフェイスになっているんですね。」

しほりん:「遊びがインターフェイスになるというのは、逆説的かもしれないけど、楽しいからインターフェイスにしちゃえ、っていう関わりなのかもしれないですね。えーやん、これえーやん、ってなって、井口さんみたいな人がインターフェイスにすることを見つける。」

窪田:「確かに」

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井口さん:「鎌倉の歴史に残っている一番古い闘茶が面白くて。戦う天皇、後醍醐天皇がいたんですよ。武士を倒して、天皇の世を作るために、何度も生き返ると言った後醍醐天皇。その人が闘茶の会をやって、無礼講をやるんです。倒幕のための密謀を練るんですが、これが無礼講の原点になっているんです。

この件で、楠木正成は後醍醐天皇に従って負け戦覚悟で「湊川の戦い」を戦いました。そして「七生滅賊」(しちしょうめつぞく)、何度生まれ変わっても、天皇のために国賊を倒すことを誓って自害したと言われています。」

窪田:「無礼講にもほどがありますよね・・・」

一同爆笑

井口さん:「時の権力者殺そうぜ、いえーい、ってことですからね。」

一同爆笑

井口さん:「ジョブスだって、日本の禅に傾倒している上にケミカルまでやってますからね。ビルゲイツにおまえもやったほうがいいとか言ってるんですよね。まさに無礼講」

一同爆笑

井口さん:「あ。やばい。最初から飛ばしすぎたかな。この配信、完全に俺得になってる」

窪田:「すごく面白くてむしろいいですよ」

しほりん:「さっきのインターフェイスの話じゃないですけど、俺にとってめっちゃ面白い、というのが大きな電波塔になると思うので、いいんだと思います。」

井口さん:「今回、窪田さんにも来てもらってるんで、窪田さんの話もしてもらいたいんですけど、今はサービスを展開されているんですよね?」

窪田:「ウェブ解析レポートをつくることで、夜寝ている間に仕事が終わるKOBITというサービスをやっていますね。小人から来てます。」

井口さん:「いい・・・。その段階でめっちゃエモいですね・・・!」

しほりん:「小人めっちゃいいですね・・・!小人すごくほしいし、子供の頃の、もしもこうだったらいいな、というワクワク感があっていいですね・・・!」

窪田:「まさに!誰もが一度は考えたことがあるはずの、寝てる間に、っていうことをたった1分間で実現して、しかも施策優先順位をつけてくれるんですよ。」

しほりん:「めっちゃいい!!!」

井口さん:「ネーミングめちゃくちゃいいじゃないですか!」

窪田:「ずっと人に優しいサービスを作りたかったんですよね。このサービスやる前は老人ホームマップっていう介護施設の口コミサイトをやってたんですけど、その時は情報の非対称性をぶち壊したいという気持ちでやってたんですよ。

でも、そうすると、怒りの口コミとかがめちゃくちゃ入るようになって、設計時に怒りが入ると、怒りを呼んでくるのかなって思うようになって。」

しほりん:「めっちゃわかる・・・」

窪田:「だからこそ、自分の中にある少年心みたいなものだけを作って、サービスを作ろうと思ってサービスを作ってみたんですよ。その結果、生まれたのがKOBITなんです。そういう感覚ってないですか?」

井口さん:「それ、しほりんのど真ん中のテーマじゃん!」

しほりん:「すごいわかります。輪廻転生しても同じこと言ってると思います。」

井口さん:「後醍醐天皇の話か!」

一同爆笑

窪田:「初めて聞いたツッコミ・・・笑」

所与としてのインターフェイスと偶発的なインターフェイス

大抵の生活者にとって、インターフェースとは所与である。私たちはiPhoneを使ったりするとき、その、インターフェイス定義に従ってコミュニケーションをしている。電話をかけようという時の前にロックを解除し、携帯を開き、電話のアプリを起動してから話を始めている。

しかし、時にして所与だったはずのインターフェースに、遊びが生まれ、そのインターフェイスが偶発的に選択される瞬間がある。

選択的雑談社会の中で実際に生まれるのは、雑談だけではなく、その先のインターフェイスが固定化せず、流動的かつ創作的になるという偶発的なインターフェイスだ。

例えば、子供の頃、砂場で遊んでいた時、私たちは決まった遊びしかしなかっただろうか。時に砂は山になり、川になり、大空になり、ビルになり、友達になったり、ペットになったり、団子になったりしなかったか。リラックスし、集い、目の前の面白さを共有する感覚を持っていれば、私たちは所与としてのインターフェースから解放される。

セカイ雑談学会vol.0では、「これよくね?」「おもしろ!」という感覚が、あらゆるイノベーションや歴史的事実のスタート地点だったという直感を共有した。雑談は文化を生む出発点なのかもしれない。

サポートされた費用は、また別のカンファレンス参加費などに当てようと思います。