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7 スペイン巡礼6日目 - ロス・アルコスからログローニョへ

今日もめげずに17年前にぼくが辿った巡礼の足取りを調査している。

まず巡礼者証明書のスタンプをみる。日付は4月29日とある。このスタンプ内の文字から足取りがつかめるかもしれないからだ。

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FELISA, HIGOS - AGUA Y AMOR, LOGRONO とある。グーグル検索すると同じスタンプとスペイン語の説明が出てきた。今でも同じデザインのスタンプを使ってくれているようでありがたい。

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iPadで翻訳してみた。

「巡礼者は、ヴィアナとナバラの土地を残して、首都のログローニョ市を通ってラ・リオハに入ります。エブロ川に架かる橋を渡る前に、すでに郊外で最初の家を見つけました。そのうちの1つには、何百もの近代的な巡礼者の記憶にそのままのフェリサの記憶が見られます。フェリサは老齢にもかかわらず、家のドアで巡礼者を待っていた。彼は書き方を知りませんでしたが、カミーノが以前どのようなものであったか、それを生き続けるためにどのように戦ったか、何人の巡礼者に会ったか、そして彼らに少し淡水、いくつかのイチジク、そして彼のすべての愛を提供したかを説明するために、彼は記憶を持っていました。フェリサは2002年に亡くなり、彼女のイメージは風景と記憶に浸透した。彼女はコンポステーラにつながるカミーノで永遠に生きるだろう。使徒が彼の栄光にそれを持っていますように。ありがとう、フェリサ、巡礼者の言葉。」

どうもフェリサという老婦人が巡礼者をもてなしていたようだ。まるでお四国巡礼の地元の人によるお接待のようだ。

ぼくの巡礼は2005年だったので、どうもそのときにここに立ち寄ったようだ。だからスタンプがある。残念ながら主人は亡くなっていた。

前の投宿地のロス・アルコスからログローニョまで27kmと出てくる。無理なく一日に徒歩巡礼するにはちょうど良い距離だ。宿や食べ物を確保するために、どうも大きな町に泊まり、次の日も適当な距離にある大きめの町を目掛けて歩いていたのかもしれない。あの当時はネット情報も充実してなくて、カフェにWi-Fiがあったかどうかも怪しい。

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ガイドブックの限られた情報しか持たないぼくが道々考えていたのは、いつもこの二つのことだった。まさに巡礼=人生である。

・どこまで歩けば飲食できるかな?

・今日は寝るところはあるかな?

結果論だが、

・カミーノ・フランシスは北スペインの幹線道路沿いにあり巡礼宿や飲食店が充実していて、

・4月末から1か月間のこの巡礼は、繁忙期に入る前であったこと、また巡礼者が今(コロナ禍前の2019年)の3分の1の数で少なかったことにより、

宿や飲食に困ることはほとんどなかった。

・だいたい5キロおきぐらいに何かしらあった

・サンチャゴまででアルベルゲが閉じていたのは確か1箇所だけ

・窪地にできた小さな町まで歩いたときは歩いても歩いても、20、30キロ何もなかったような

自分の巡礼者証明書を見ていて、4月29日にもう一つスタンプがあった。サンチャゴ巡礼の友協会、巡礼宿という意味のことが書かれている。たぶんこの日はここに泊まったのだろう。そう思い、今度はGoogle Earthで検索をかけてみた。

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すると、なんか懐かしい光景が出てきた。公営巡礼者宿とある。

そうだ。あの日、大きな橋を渡ると、目を見張る中世のスペインの街並みが現れた。思い出した。この橋のあたりで、道中知り合った巡礼者とこの町のどこかに巡礼者宿があるらしぞと二言三言会話したと思う。

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スペイン巡礼の旅は、中世に建てられた教会や建物をめぐる旅でもある。この巡礼宿もしっかりした作りで、内装も綺麗に管理されたところだった。

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そして自転車巡礼者の自転車が入り口に並べられていた。

公営のアルベルゲでは、徒歩巡礼者のチェックイン受け付け時間は、自転車巡礼者より早いそうだ。例えば徒歩が午後3時からだと自転車は午後5時からとか。

それまでの人生で10キロ歩くのが最長だというぼくが言うのもなんだが、歩く喜びというものがあるのだ。自転車や自動車で巡礼なんて興醒めだと思う。

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インターネットとタブレットという情報の力(りき)に支えられながらこの巡礼記を書いているが、情報は少なく、記憶喪失者のぼくが思い出せるのはここまでだ。

その後、ここでどのように過ごしたか。誰としゃべったか。何を食べたか。一切記憶にない。

あの当時は、持っていたのは音楽を聴くためのMP3プレイヤーだけだったと思う。

それと1年おいた2007年だったか、もう一度巡礼した。なんか物足りなかったから。

そのときはパンプローナからサンチャゴまで歩き、その後バスに乗ってパンプローナ経由でハカという山中にある町までもどって、そこからパンプローナまで歩き足した。

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今まで読んだスペイン巡礼記の作者たちは誰も語っていないことがある。それはこのあたりはバスク地方と呼ばれ純粋なスペイン人ではない種族が住んでいた(今も住んでいる)。言葉が違う。詳細は 

そしてハカからの道沿いには、なんと日本にゆかりのある、あのフランシコ・ザビエルの出身地で彼のお父さんのお城があるのだった。彼はカソリックでイエズス会の創設者のひとりでもある。カソリックの皆さんはそのことを思い出してぜひお参りして欲しいものだ。

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いかんいかん、これはスペイン巡礼2007年述べる話だった。汗

まあ、もうちょっとしたら、このスペイン巡礼2005年でも、なんかビビッと記憶が蘇ってくるだろう。(楽観的)

つづく