見出し画像

コラム「境を越えた瞬間」2023年1月号-小林勢津子さん‐

プロフィール

小林 勢津子(こばやし せつこ)

  • 自立生活センター職員

大学1年より自立生活センターに関わる。
地元の支援にも携わりたいと帰ってきた東大和市で海老原宏美(※)と出会い、結婚・出産を経て、2018年に”えびアテ”復帰。
八王子ヒューマンケア協会の事務職の傍ら週1定期でえび家に通い、最期を迎えた北海道にも同行した。

※海老原宏美
脊髄性筋萎縮症(SMA)当事者であり、当法人理事、NPO法人自立生活センター東大和理事長などを務め、また「呼ネット」を設立するなど、障がい者の自立生活やインクルーシブな社会の実現を目指し精力的に活動。2021年12月24日に逝去。


「共に生きるということ」


冷たい風が、色づいた木の葉を落としていく。また冬がくる。

車椅子の上から指を差し「私にはサイズが合わないから、よかったらそれ使って」と言われ、喜んで受け取ったストールやレッグウォーマー。引き出しから取り出し「もう一年経つのか」と呟く。

2021年のクリスマスイブ、海老原宏美がこの世から旅立った。私は彼女の介助者だった。


海老原宏美と出会ったのは、お互い20代半ばの頃。大学時代から障害のある方々の自立生活に関わってきた私は、彼女の生活に驚かされた。
海老原の介助者:通称えびアテ(アテンダント)と海老原の距離があまりにも近いのだ。
友達か?先輩・後輩か?という雰囲気に、「介助者は利用者の指示のもと動く、余計なことはしない、最高の黒子こそ最高の介助者」と思ってきた私は、えびアテになることに当初不安さえ感じた。


えびアテとして、かつて私と同じ時代を過ごした介助者の一人が、先日こんな話をしてくれた。

「アテンダントという仕事の魅力の一つは、違う考え方を持った当事者と介助者が、同じ時間を共にするというところだと思う。お互いの考え方を尊重した上で二人だけのマニュアルがだんだんと出来上がっていき、ちょうどいい塩梅になったと感じたときに信頼関係が生まれてくるのかなと思う」

頑なに「最高の黒子」を目指していた私は、いい塩梅を感じるまで、他のアテに比べて時間がかかったと思う。しかし、彼女の生きる風に乗ることが心地よいと感じるようになったとき、自分自身の心も軽くなり、介助者としてのスキルも上がっていった。

介助者は黒子ではない。
当事者と同じ方向を目指し、同じ時間を過ごす存在なのだ。
だからこそ、当事者も介助者も、お互いを大切に思いやる。
介助者同士もチームとして協力し合う。
一人一人が繋がり合い、ほころびがあれば補い合う。

そんな時間と繋がりが、彼女の生活を作り上げていたと思う。


海老原宏美が旅立ち、一年が経とうとしている。彼女との日々を語る機会が、何度となくあった。自分だから出来ることなのだと、思いたい。

「せっちゃんの経験を話せばいいんだよ。大丈夫だって!自信持って~!緊張してるの?ケラケラケラ~」

海老原宏美の声が幽明の境を越えて聞こえてくる。


二人であちこち旅行したり、様々なイベントに参加した20代の頃。

 


  • 小林さんが呼びかけ人を務める海老原宏美基金

海老原宏美の意志を遺し、受け継いでいく方々への助成を行っていくために海老原宏美基金を創設しました。
現在、多くのご寄付や海老原への想いが寄せられています。助成へ向けた準備も進めています。
引き続き、皆様からのご寄付や想いをお待ちしております。



境を越えてでは、毎月「境を越えた瞬間」というテーマで、福祉や医療、障がいに携わる方にコラムの寄稿を依頼しています。
2022年4月号よりnoteでの掲載となりました。
それまではメールマガジン「境を越えて通信」での掲載となっていました。バックナンバーもぜひご覧ください!