「自分の子供に、今してあげている何をやめたら、子供が学校に行かなくなるか?」

このことをほんの少し想像してみて欲しい。うちの子で言えば朝起こさなかったらあっという間に単位不足になると思います。他にも色々なことが次から次に思い浮かんできます。

ぼくが今、出会っている子供たちの多くは、それらをしてもらえていません。親も自分の人生を生きることに精一杯で、それらをする余裕がないんだと思います。または、もう諦めちゃって過去を呪っているんだと思います。

「あんたなんて生まれて来なければよかった」。呪いの過去に生まれた子供を呪う常套句。親も同じ言葉を吐き捨てられたことがあるのかもしれません。

そんな理不尽なトラウマのクロニクルの中を、それでも頑張って、ひたすら隠して生きている子供たちがいます。

もう、そんな子たちに「頑張れ」なんて言えないですよ。そうではなく、どう逃がしてあげられるか、どう親の人生から切り離せるかが支援の方針になるわけです。でも、結局はいつもの家に帰るしかないんです。

頑張り切れなくなった子供たちを、中途退学という形の自己責任で片付けてしまえば、この子たちは何に生きる希望を見出せばいいんでしょうか?

そんな子たちが、ほんの小さな灯り(優しさ)に希望を見出したりします。それが搾取という罠だったりしますが、ほんの少しの承認欲求を求めて、抜け出せなくなっていきます。それは、それ以上の承認をしてくれる大人が他にいないからです。

キラキラとした世界の裏側には、なんて残酷な世界が潜んでいるんだろう。その境界線は混じり合い、犯し合う。それでも、あなたが街ですれ違っても気がつかない。話したって気づかない。

それを隠すことに費やしてきた人生だから。そんな簡単にはバレない。でも本当に微すかで気づかないようなSOSを発していたりします。それをキャッチできるのが残酷な世界の悪い大人たちだったりするわけだけど。

冒頭の質問は、誰だって親が何かをしなくなれば、どんな子供だって、学校に行けなくなるんだってこと。その被害者である子供を救う仕組みがないんですよ。あっても機能していないんです。

他人事を自分事で考えてみることから。

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