デフォルトという重力

ぼくは高校生や若者たちを支援していて、「デフォルト」という言葉をたまに使う。

デフォルトとは、「コンピュータで、あらかじめ設定されている標準の状態・動作条件」のことだ。子供たちが育つ家庭環境は、子供たちにとっては、あらかじめ設定されたものだ。

あらかじめ設定された環境に抗うことは、子供たちにはできない。

あらかじめ設定された暴力を振るう父親。あらかじめ設定されたアル中の母親。親がいない状態があらかじめ設定され、貧困状態が標準化される。

これらは子供たちにとってはデフォルト=標準の状態なので、おかしいと思わないし、自分をかわいそうとは思わない。

いや、本当は思っている。ここに悲しみがある。

自我が芽生え、自分の中の社会が広がっていくと、友達の家と自分の家の違いに気づいていく。私は友達の家に遊びに行くけど、私の家には友達を呼べない。

そんな思いを、防衛的に押し潰している。潰しているのは心だ。

あらかじめ設定された状態の中での動作条件が、みんなと一緒に行動することが苦手だったり、頑張ることや集中することができなかったりしている場合もある。

「どうしたらあの子は授業に集中してくれるんだろう?」
「どうしたらあの子はおとなしく授業を受けてくれるんだろう?」

どうしたら=HOWではなく、WHYから考え始めてあげてほしい。そこには、本人には抗いようのなかったデフォルトが隠れていることがある。

デフォルトは重力だ。高くジャンプし、空に羽ばたき、大気圏を脱出し、無限の宇宙を飛んでみたい欲望を、地面に叩きつける。

その重力を作り出しているのが、デフォルトで家にお金があった、たまたま幸せな人たちだったりする。

どうしたらいいんだろう。

すべての人をフレームイン!

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