何もしない、「待つ」という支援

できることなのに先回りしてやってあげる過保護過ぎるサポートが、もともとできていたものをできなくしてしまい、寝たきりになるリスクを高めてしまう。そんな問題がお年寄りの介護の世界にあるといいます。

そんな、善意で踏み固めた道が地獄に通じる的なことが、私が生業としている若者支援の現場でも起こります。

例えば、口数が少なく考えを言葉にするのに時間のかかる若者に対して、おしゃべりな相談員が若者の言葉を待てずに、「こういうことかな?」と、先回りして喋ってしまい、若者はただ同意するだけ。

待てば喋れた若者の言葉を奪ってしまうことになります。これも過保護サポートの話しですね。

もっと若者たちの言葉を待つべきですし、ゆっくりでも階段を上れるお年寄りに寄り添い待つべきだと思います。ですが、「待つ」ということは、少ないコストで大きな成果を求められる効率化の時代には、案外難しいことのようです。

ひきこもりの若者たちが家を出た、はじめの一歩をサポートする「居場所(フリースペース)」と呼ばれる支援機関があります。コミュニケーションに不安を強く感じている若者が集まるので、必然的に緊張感の高い空間です。
 
この緊張を雑談の中心になって緩和しながら、つながり下手な若者同士をゲームやトランプに誘い、若者同士をつなぐのが居場所スタッフたちの重要な役割のひとつです。

しかし、この緊張緩和のさじ加減を間違うと、善意が招く不幸が生じてしまいます。そして、この緊張緩和のさじ加減の大事な要素が、何もしない「待つ」という支援の配分量に依るのだと私は思っています。

週に一度、神奈川の県立高校で開催している「居場所カフェ」でも、できるだけ暇そうに、できるだけ目につくとろで待っていると、「ねえ〜石井さ〜ん聞いてよぉ〜、マジムカついんたんだから」と言いながら、生徒が話しかけてきます。

ここには、何かに困ったときに、暇で話を聞いてくれそうな大人を見つけて、自分の時間に引き込むという、実は人生を生き抜くために大切なサバイバル・スキルが隠されています。

その練習が高校の放課後に学校内で、先生ではない大人を相手にしていることで、様々な価値観やロールモデルに出会えるということが、手前味噌ですが魅力的な支援だと思います。

そして、「待つ」ことが苦手な、支援のしたがり屋さんたちがつまずくのがここだったりします。これでは、せっかくの「場の持つ力」を奪ってしまいます。よって、私たちがボランティアさんの受け入れや、育成で一番気を使うのもここの「待つ」というセンスになります。

弱い立場の人たちは、支配されやすい人たちだったりしますので、ここにコントローラー的な支配したい支援者が入ることで、善意が招く不幸を起こりやすくさせてしまいます。

居場所の運営者たちは、この「待ち」のさじ加減を、集まって来る多様で個別の困難を抱えた若者たちのニーズに対応しつつ、個別ではなく、最大公約数的な集団対応を行い、尚且つ、ステークホルダーに求められている目的を達成させるという、非常に高度で戦略的なマネージメントを行っています。

効率的で生産性が高いことが美徳とされる今の時代は、過去最高に「待つ」こと=無駄を許容することが難しい時代になっているのではないでしょうか? 

待つ、待たせるは、ひょっとすると最高の贅沢なのかもしれませんね。

すべての人をフレームイン!

※これは2017年5月12日にFBに書いたものの再掲です。

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コメント3件

人やパターンや各自の症状によるように思います。ある程度(その程度が低くても)余裕のある方々(家庭があったり家族がいたり孤立していない)にはそれが通用して有効としても孤立しあまりに長きに渡り独りでいろんな事を苦闘してきた為 疲れきりいろんな苦しみや悩みや生きづらさを雪だるま式に年々膨らませながら抱え込み過ぎて息も絶え絶えな想いで日々を生きている人にとっては何を苦しんでいるのかさえも もはや伝えることすら絶望のあまり諦めて世間と悲しいまるで元気であるかのような無事そうな仮面で 接することに慣れています好きでそうなった訳ではなくとも… もうそこまでになった人達は悩み過ぎてかえって追い詰められどう悩んでいるのか話にすることすらどうすればよいのか疲弊の極みの揚げ句混乱し解らなくなってしまっています。そういうまったく余裕のない人達をのんびり待っていては手遅れになることもあると思います。過去の友人がそうでした。自殺してしまいました。そっとしておくというのは聴こえはいいですがそういう人達は本来そこまでに至るまでの比較的元気な時にしつこいほどSOSを出しています。
過保護という言葉も…どうなのでしょう…敢えてその過保護という言葉を使うとしても過保護より苦しんでいるのをよくよく知っていながら手遅れになるまで、つまり本人が自らいろいろ言ったりしたりするまで黙ってただ待っていては放置と同じにもなり兼ねません つまりキャパシティを越えて悩んでいる方にとって孤独を余計強く招きあげく時間切れになると感じます。本人に任せるというのは有効な場合と手遅れを招く場合とに分かれリスクも大きいと思います。
否定的に読めると思います。ごめんなさい、ただ辛い想いをしている側の人間の意見を述べさせていただきました。百パーセント否定しているわけではないのですがゆっくり何もせずにただ本人にだけ任せて待っていては、どん詰まりの人はかつての友人がそうであったようにその気持ちや厚意は病んでいますから理解できるほどの余裕はないと思います。その人の余裕のバロメーター(一番は家族がいる環境だと思います。) を配慮した上での待つというのは解る気もしますが…。
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