支援と指導の違いは何か?

某支援者さんからこんな質問を受けた。その方は、教育的指導という言葉を使っていた。躾という言葉でもいいかも知れない。

支援と指導の一番大きな違いは、支援が待つことでクライエント(被支援者)の成長が期待できるものに対して取られる行為であること。

そして支援者は、クライエントの成長を信じれることが、重要な素質になると思う。

ここができないと、支援は指導化し、居場所なんかでは機能しない人材になってしまう。居場所に指導者は不要なのだ。

そして、指導とは、待つことがクライエントの不利益につながるものに対して取られる行為であり、出来るだけ早急に指導(改善)した方がクライエントに取って利益になるものだとぼくは考えている。

ここの、支援者と指導者の切り替えができないと、ただの良い人になりかねない。ただし、それを全部一人で引き受けるのではなく、チームで分担するという発想が必要だと思う。

例えば、ぼくはこの間クライエントの寝癖問題について指導した。

「ねえねえ寝癖くん、いつも寝癖スゴイけど気にならないの?」
「はい、ぜんぜん(^^)」
「そっかぁ!気にならないのかぁ〜(^_^;)」
「今日風強いし」
「そういう問題??」

往々にして、こういう人はそれが自分の不利益になっていることに気がついていない。

寝癖くんには、社会性とか身だしなみなんて話をし、相談に来るときは寝癖を直して来るように約束した。

驚いたことに寝癖くんは寝癖の直し方を知らなかった。お湯でちよちょっと濡らしてドライヤーでと言ったら「なんだ、簡単なんですね(^^)」と言ったのでびっくりした。

このように指導からアセスメントが深まるというケースは実に多い。

これは躾だとぼくは思う。躾てもらえなかった人に躾直すみたいな。まあ、これを俯瞰するとやはり支援の範疇になるんだと思うんだけど。

指導は現行犯が効き目がある。コミュニケーションの癖なんかだと、後から言うとなんのことかわからない人がいるのだ。

みんなの前での指導はプライドに触り、思わぬ反発があるので、ちょっといい?と外に出て注意するといいだろう。

もちろん、場の空気に応じて、心の中でイエローカードを出して、次は絶対に言おう、などと流すことは多々ある。

難しいのは、指導や躾は信頼貯金が貯まっていなければ、時として暴力的になることだ。寝癖くんへの躾も、この時を待っていたのだった。

だから、石井さんに言われたらしょうがねえな、という関係を、つまり信頼貯金を日頃から貯めておかないと、それは支援者ではなく、ただ怖い生活指導大好き先生と同じになってしまう。

最後に支援の方だけど。主体性を尊重して、待つという名の放置には十分注意が必要だ。

待つことで成長が得られる季節は、年単位の支援では、ほんの一瞬だったりする。

季節が変わっているのに、待ち続けるのは、親と変わらない。それは、第三者としての機能を失っている状態だ。

適切な介入が必要だし、自分たちでは本人の目標に対して、これ以上成長や変化を促すことができない場合は、より適切な機関にリファーを検討するべきだろう。

まあ、その前に自分たちが支援をちゃんとできているのか考えるべきなんだけどね。

すべての人をフレームイン!

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