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誰もが暮らせる地域づくりを 南大阪自立支援センター 石野英司さんインタビュー vol.3

NPO法人福祉のまちづくり実践機構ではホームレスや障がい者、ひとり親家庭など職につくことが難しい人たちを就労につなげるしくみづくりとして、「行政の福祉化」の発展につながる調査研究に取り組んでいます。
このnoteでは、「行政の福祉化」に関わるさまざまな情報をお届けしていきます。

堺市の株式会社い志乃商会では50年以上前からおしぼりやリネンの事業を中心に障がい者雇用を続けてきました。2013年には営利企業のい志乃商会だけではなく、NPO法人南大阪自立支援センターを設立し、ともにーしょうりんじ(A型・B型事業所)やどりぃむワーク(B型事業所)でリネン業を中心にすえた、福祉的就労の場もつくり出しています。
また、刑務所から出所してきた人(刑余者)や罪を犯した障がい者(触法障がい者)の社会復帰や生活支援にも取り組むなど、誰もが暮らせる地域づくりもすすめています。代表の石野英司さんにお話をお伺いしました。

前回は刑務所を出た方(刑余者)の社会復帰について、石野さんがどのような支援を行っているかについてお伺いしました。今回は住まい方や働き方の上でどんな支援が必要かお伺いします。
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株式会社い志乃商会
NPO法人南大阪自立支援センター


株式会社い志乃商会では、宿泊施設やジム、サロンにおしぼり、リネン、タオルの貸し出しとクリーニング事業を行っています。並行して、訪問看護事業や相談支援事業も行っています。NPO法人南大阪自立支援センターでは、障がい者が日中働ける支援事業や放課後等デイサービス事業などを行っています。

累犯者の社会復帰に携わるなかで



ーーこれまで石野さんが支援してこられた方は累犯者(何度も刑を重ねて刑務所に入ること)
の方が多かったと思うのですが、累犯者が一般社会に復帰することの難しさはどんなところにあるのでしょうか。

刑務所に入ることで食事提供され、定期的にお風呂に入れ、体調が悪くなると医療も受けられるので、刑務所がセカンドホームのようになってしまって、刑務所に入ることに躊躇がなくなってしまうような場合があります。

特にASDなどの障がいをお持ちの当事者にとっては一般社会では自分のことをわかってもらえなくて辛いということがあるそうです。刑務所は365日24時間スケジュールが決まっていて、ルーティーンがあって、番号で呼ばれるし、コミュニケーションが取れなくても独居房に入れてもらえる。そうするといじめられたりしないので、コミュニケーションが苦手な人にとっては居心地いい場合もあるんです。

また、長年刑務所暮らしだと毎日のルーティーンが決まっていて食事や洗濯をしなくてもいいので、自分でものごとを決めるとか家事をできないとか、お金の使い方に慣れておらず、いきなり社会に出て一人暮らしすると混乱してしまう方もいらっしゃいます。そこで社会に慣れてもらうためにグループホームに入っていただきます。

ーーグループホームに入った方をどうやって社会復帰までもっていくんですか。

弊社で今2棟のグループホームを運営しています。日中は弊社の福祉サービスで働いてもらって、終わったらグループホームに帰ってという生活をしています。

入るときにまず、依存症の人もいたりするので酒タバコは駄目、24時間自由はないですというふうに言います。また、休みの日は生活リズムと健康のために全員体を動かすために野球をするとか、スケジュールが決まっています。買い物は、窃盗の常習犯だったような人もいるので、最初は一緒に行って横についていきます。使える金額も本人に合わせて決め、少しずつランクアップします。

弊社では訪問看護ステーションと計画相談をやっているので、社会福祉士さんに月1回入ってもらって助言を行ったり、健康管理のために訪問看護も週2回ずつ入ってもらって支援計画を立てて社会復帰までの計画を立てています。

ーーだいたいお一人で生活できるようになるまでどれくらいかかるんですか。

大体2〜3年ぐらいかかります。みなさん出てきたばかりのときは就職したい、お金が欲しい、独立したい、生活保護をやめて自分で稼ぎたいとおっしゃいますが、まずはグループホームでタバコや酒のない生活に慣れてもらい、運動して健康を取り戻してもらう。そこから、3年くらい経つともう少しゆるいグループホームに移ってもらいます。最終的には近隣のワンルームを借りて一人暮らししてもらう計画です。

一足飛びにやらず、段階を踏んで社会復帰してほしい。若くて力もあって稼ぎたいような人にはがんばって一般就職できるところまでは一生懸命がんばってほしいですね。


地域に根付くために


ーー社会復帰の際に何がネックになっていますか。

とにかく再犯させないことです。薬物依存やアルコール依存の方は、薬物やアルコールを買うためのお金がないから犯罪を犯すというようなことがリンクしてるんで、最初はグループホームで生活を管理する必要があります。だから、365日24時間勝手に出られないようにしています。一人暮らしになってきたら、お金もできたらお酒ぐらいいいやろうってなってしまう。なので、なるべくグループホームにいるうちにちゃんとした生活習慣を身につけて再犯させないようにすることが大事です。

ーーグループホームは会社のお近くにあるんですか。

そうですね。近隣に2棟、本社がある並びにもう一棟作っています。

ーー刑余者のグループホームというと、地元と対立する場合を耳にすることもあるのですが、こちらの場合はいかがですか。

おかげさんでと言うか、元々ここが障がい者雇用を50年近くやっているので、地域の方にとって障がい者の方が働いていることは普通なんです。美化活動で近所の清掃をしたりとかしているので近所のおっちゃんおばちゃんとお話もするので結構受け入れてもらっています。また、刑余者という部分についても「たまたまそういう罪を犯していて帰るところがないので、福祉サービスがない人にフォローアップして、福祉的支援をすることによって再犯も防止できるんですよ」というお話をすると、ほとんど理解してもらえていますね。

ーーそこまで理解してもらえているのは、半世紀ほどここで活動されてきたからでしょうか。

以前から警察が来たりパトカーが止まったりしていたので、周辺の人はまた来てるなという感じの受け止め方なのかもしれません。罪を犯したとか警察が来たとかパトカーが止まったという部分では近所の方がそんなに怒ることはなくて、結構理解していただいていると思います。

ーー理解には時間がかかるということですね。

そうですね。とはいえ、小さいお子さんがいるようなお家からは反対があったりして、なかなかマッチングしないところもあって、グループホームを立ち上げるまでには1年半ぐらいかかりました。やっぱりなんていうんですかね、障がいを持っている方たちが地域で暮らすっていうこと、ましてや罪を犯した方が歓迎されるわけではないので。

支援の前に一人の人間としてかかわる


ーー障がい者雇用だけでなく、刑余者支援も大変なことが多いと思いますが、それでも続けてこられたのはどうしてですか。

私が小さいときから障がいのある方ともずっと一緒に成長してきているので、障がい者とかあまり思っていないですし、私自身も身体障がい者の一級なんです。心臓が悪くて。学校で特別扱いされたり、先生に腫れ物に触るみたいな扱いされたりして、ものすごく嫌でした。反発心から、非行の道にも走りました(笑)。

人と違うという見方をされるのが一番辛くて、一緒にしてほしいけど、やっぱり一般の方はそういうふうに見てくれない。だから人を特別扱いすることが自分の中では受け入れられないんです。

昔も今もサービスとかいろんな制度ができてきて活躍されてる方もいるんですけど、社会の中でやっぱりまだまだと思う部分もあります。フラットになってバリアフリーになっているけど、やっぱりバリアフリーじゃないところはあるので、当事者はまだ受け入れられていない。だから、支援とはいえ、関わる際には支援者じゃなくて1人の人間として関わってあげて、というのは自分だけでなく働いている人にも常々言っています。

刑を終えた人が無事に社会復帰するところまでをフォローする南大阪自立支援センターさん。支援の根っこにあったのは、先代からの積み重ねと石野さんご自身の体験を元にした熱い思いでした。

福祉のまちづくり実践機構では、このような可視化されにくいところにアプローチしている企業をソーシャルファームと捉えて紹介しています。
合わせて1回目2回目の記事もごらんください。


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