年々ジャニーズはキラキラしていっている

生活のあらゆる所にジャニーズタレントはいて、それに救われたことを残しておきたくて残します。
色々なヲタクのため所々宣伝が入りますが差金ではありません。

小学生時代の私
私は小学生時代は特に何かのファンというわけではなかった。
ただ週刊少年ジャンプで連載されていたBLEACHに出てくる日番谷冬獅郎というキャラクターが大好きな小学生だった。
小学生ゆえに特別何かお金を落とせるというわけではなかったがジャンプショップでささやかながら公式グッズを買っていた。
アニメも大好きだった(特に最遊記)し、ポケモンやロックマンエグゼやカービィと言ったゲームが大好きだった。間違いなくGBAは神ハードだったよ。
(最近のポケモンはシナリオやキャラデザもいいがやはり私にとっては思い出補正もあり金銀およびHGSSを超えるものがない。)

しかし、この頃からジャニーズは人並みに好きだった記憶がある。というより自然と生活の中にいた。
まず、V6の『学校へ行こう!』だ。
火曜のゴールデンタイムにやっていたあの番組、当時小学生だった私から見ると中学生や高校生も大人に見えて「いいな、私の学校にも来たらいいのにな」「V6に会いたいな」と羨望の目で見ていた。
私は双子なのだがソファで飛び跳ねながら傷ませながらキャッキャキャッキャと見ていた。あのソファがアルフレックスのソファで値段がべらぼう高いものだと知るのはもう少し後である。

次に一大ブームを起こした『花より男子』だ。これが後に私がジャニヲタとなるきっかけとなる。
私は母が漫画を持っていたこともあり原作を読んでいた。
原作では私は西門派だったのだがドラマを見て松本潤の演じる道明寺司に浮気した。すまない西門……でもバカでワガママで自己中な道明寺司にホレてしまったんだ……。

そしてまた別の一大ブーム、亀梨和也と山下智久の『野ブタ。をプロデュース』
私世代の多くの子は「バイバイセコー!」とか「野ブタパワー……注!入!」とかやっていたでしょう。青春アミーゴ、未だに空で歌えるでしょ!?
あの時の土9枠のドラマはとにかく小中学生にブッ刺さるドラマが多かったかと思う。
長瀬智也の『マイボスマイヒーロー』も大好きだった。

山下智久の『クロサギ』。これも記憶に深く刻まれている。私の中ではクロサギといえば山Pのクロサギなんよ。
どハマっていた、劇場版も友達と4人で自転車漕いで隣町の映画館のあるジャスコまで行った記憶がある。
記憶が定かであればしょっぱな山Pのドアップで始まっていた気がする。女はやはり良い顔の男が好きですからね、なんぼでも寄って撮ってくれて構わないよ。

SMAPの『SMAP×SMAP』
特にSMAPに推しがいるというわけではないが毎週毎週欠かさず見ていた。
時事ネタ等を元にしたコントが面白かった。今、元ネタを理解した状態で見直したらもっと楽しめるんだろうなと思う。
ちなみに私はPちゃんが好きだった。

その他全ての話をし出すとキリがないため割愛するが、そんなわけでファンクラブに入るというわけではなかったが小学生の時分から私は色々なジャニーズタレントをテレビで観ていた。

今、若手ジャニーズとしてデビューを果たした子達は私と同世代の子が多い。
性別は違いながらも私と同じようにテレビで彼らを観て憧れたというエピソードを聴くと嬉しくなる。


中学時代の私
さて、ここから私のヲタク道が始まる。
私の家はそこそこ裕福層だと自負している。2ヶ月に1回、お小遣いを貰っていたのだがその額は1万5千円だった。
今でも私はこの額は安くないと思っている。中学生からしたら大金を貰っていた。
そしてその額のお金を手にした私はとうとうファンクラブに入ったのだ。

そう、人気絶頂の最中にあったのファンクラブに!!!聞くまでもなくMJ担となった。
私は中高大と女子校のためクラスにもジャニヲタは多かった。
嵐ファンとHey!Say!JUMPファンが圧倒的に多数を占めていた。名前は思い出せないが「知念担の子」「ニノ担の子」と誰推しだったかは覚えている。名前はマジで思い出せない、すまない。

嵐は皆が次々ドラマで主演を果たしていった。
松本担ではあったが私が一番嵐のメンバーが出たドラマで好きで今も印象に強いのはリーダー大野智が主演を務めた『魔王』だ。(花男は私の中で殿堂入りのため除外)毎週毎週楽しみに見ていた。見たことない人、どうか見てくれないか?

人気絶頂の彼らはゴールデンタイムの冠番組も多数持つようになった。その裏で嵐ファンは全員好きだったであろうあの番組が終わりを告げた。

嵐の宿題くん」
あんなのヲタク全員好きだろう!!!「嵐の宿題くん」を知るジャニヲタは絶対「自軍もああいう冠やってほしい」と思うだろう。私も思っている。スマスマが終わった後に眠気に負けそうになりながらも宿題くんを見るあの月曜日、中学生には過酷だったぞ!

ゴールデンタイムでの番組はファン以外のお茶の間層の目に触れ、知るきっかけになるためそちらに注力するのもわかる。わかるけど!!!
「深夜30分枠のジャニタレ冠もほしい!!!」
亡霊のように今も「宿題くんみたいな冠を自Gにもやってほしい」と思ってしまう。

そしてファンになった私は今まで音楽全般さして興味なかったのだがCDを買い揃えるようになる。しかし、私が当時中学生の頃はiPhoneなぞなかった。当時はガラケーだったためそもそも携帯と音楽プレイヤーは別物だった。
そのため中1のクリスマス、私は親に「iPod」をねだったのであった。

充電コードも見つからないためもう起動もできないがこのiPodは嵐、KAT-TUN、SMAPとほぼジャニーズの曲しか入っていなかった。というか中学生時代にジャニーズ以外のCDを買う興味も余裕もなかったから純度100%ジャニーズiPodな気がする。
余談だがiPodには3つくらい手軽にできるゲームがあってその内の1つのブロック崩しのようなゲームが好きだった。

まだワイヤレスイヤフォンなんてない時代だったため、イヤフォンのコードを制服の背面に通して片耳にイヤフォンつけて授業を受けていたりした。私はその後クラシック音楽や邦ロックなんかも聞くようになっていくのだがとにかく私の音楽の入り口はジャニーズだった。

嵐のコンサートにも参加した。
松本担だが僕の見ている風景に収録されている櫻井翔の『T.A.B.O.O』あれはヲタク全員好きだよ、主語がでかいけど間違ってないと思う、櫻井のT.A.B.O.O、二宮のGimmick game、これは外せないね。

そしてヲタクは初めてジャニーズショップにも行った。幸いにも私が住んでいるところにはジャニーズショップがあった。まだネットが普及しておらず今みたいにネット注文も出来なかった時だったと思うけどあの時の地方民ヲタクってどうしてたんだ……!?
古いビルでアナログに紙に写真番号書いて注文する超アナログ時代だった。本当に技術の進歩に脱帽するよ、今スマホで翳すだけだからね。

他Gで強烈に記憶に残っているのはなんだろうと思って真っ先に出てきたのは草彅剛の泥酔全裸事件だった。別に叩く意図もこれっぽっちもない。あれは全国民が「何やってんだ!?!?!?」となった事件だったでしょう。
当時やっていたぷっすまでユースケサンタマリアが「ツヨシがやらかしましてね」とオープニングトークで喋ってて笑ったのを思い出した。

ちょっと昨今の騒動の話をすると今回のジャニーズ性加害の会見の後、櫻井翔がラグビーのアンバサダーから外れるんじゃないかという憶測が立てられた。
私はたまたまテレビをつけたら初戦の対決が終わったくらいで日テレスタジオから翔くんがコメントしていて少しほっとした。
現地には上田晋也が観戦してたんだけどその時に翔くんに「翔くんなにボーッとしてんの!早く来なよ、終わっちゃうよ!」って声をかけてくれていた。

確かに事務所の力は大きいかもしれない。大きな力によって仕事を得ているのかもしれない。でも全てが事務所の力というわけでもない。
お世話になるタレントさんや俳優さん、監督やスタッフさんとの交流を実際に深め育んでいくのはジャニタレ自身だ。
その交流、絆があるから優しい言葉も叱咤激励ももらえる、草彅みたいなやらかしも笑いに昇華してもらえる。
私は今、SixTONESを推しているのだがジェシーという男がとにかくこの多方面への繋がりを強く大事にしている。
SixTONESはデビュー曲がYOSHIKI作曲と超豪華だった。これは事務所の力や縁もあって叶ったことだと思う。でもこのデビュー曲だけで終わらせなかった、彼らはその後もYOSHIKIと交流を深めた。番組では何度かコラボしたし、ジェシーはプライベートでも食事する仲だ、なんかすごいプロジェクトの決定時にもなぜかいたという。何者なんだよジェシー。そして今年行われた東京ドームコンサートではYOSHIKIをゲストとして招いてコラボした。

話が脱線したが「彼ら自身で築いた絆まで事務所の力と思われたくない」ということだ。きっかけは事務所、でもその後は彼ら自身の実力だよ。

そして高校生になった私は……ジャニヲタをやめていた!?!?!?


高校生・大学時代の私
高校生の私はなんと出戻りアニヲタになっていた!
というのも中学3年の夏休み、部屋を掃除していた時に出てきたBLEACHの日番谷冬獅郎グッズ!!!あれ、伏線だったのかよ!?
おかげで瞬く間に再熱、グラスのヲタクと地獄篇の前売りを買い、しっかりと日番谷のポスターを貰った。
もう二次元熱が止まんない!!!
家庭教師ヒットマンREBORN(アニメ終了後にハマる)
デュラララ!!
TIGER&BUNNY
輪るピングドラム
PSYCHO-PASS などなど、もうどっぷりハマってジャニーズから完全に離れていた。
REBORN連載終了時とPSYCHO-PASSの推し(縢秀星)が死んだ時は学校で心を死なせていた。
今、五条悟の死亡でしんどい子達も大丈夫、いつかは立ち直れるよ。
まだ五条悟くんさんは遺体は残ってそうでいいじゃん!?!?!?縢くんマジで血も骨も肉もないんよ!!!なんで!?!?!?

ジャニーズから離れてはいたんだけど毎年ジャニーズのカウントダウンコンサートの中継を見て年を過ごしていた。ジャニーズって知らない子も見ててキラキラしてて最高に楽しいんよ。

そして高校卒業した春休み、私はゲーマーのヲタクに唆されとあるゲームを知ってしまう。
テイルズオブシリーズ。
アクションRPGが好きな私に友人が勧めてきた。私はテイルズに触れてきてはなかったがアクションRPGということで興味を持った。が、高校当時はゲームから少し離れていたため持っている現行ハードがPSPと3DSしかなかった。そのため卒業式の後ゲーム屋へ行き私が手に取ったのは……
『テイルズオブジアビス』だった。

ここでテイルズオブシリーズに出会ってなければ私は今頃もう300万は確実に貯金があったことだろう。
そう、私はテイルズオブシリーズにどっぷりとハマり大学生の頃にはアニヲタゲーマーという気持ち悪い部類のヲタクになっていた。
バイトで稼いだお金でテレビとプレステ3.4とPSvitaを買い、夜な夜なテイルズオブシリーズをプレイしまくった。楽しい、楽しい……!
ジャニーズから離れ、ドラマやバラエティーを見なくなったヲタクのテレビはゲームプレイとアニメ視聴のために稼働することとなった。
2016年8月18日は私が今も愛してやまない「テイルズオブベルセリア」が発売された。テイルズヲタクになってから初めての新作だったため思い入れが一入なのだ。(ゼスティリアなんて知らない。)
バンナムという会社はテイルズのソシャゲを何本か出していたが私が特にハマったのは「テイルズオブアスタリア(2023年春サ終)」と「テイルズオブザレイズ (2023年秋現在サービス継続中)」だ。
そうだよ、わかるだろう?
課金しまくった!!!!!!!!!!!!
そんな訳で中学ジャニヲタ編から見事な変貌を遂げていた。

社会人の私(今)
さて、社会人になって1年目、私は快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー、通称ルパパトの高尾ノエルに心をしんどくさせながらソシャカス限界新卒社会人をやっていた。
私が社会人になった年にキンプリがCDデビューをしたのだが私はキンプリのキの字も知らなかった。というよりキンプリと聞くとプリズムスタァの方しか出てこなかった。別にプリズムスタァの方も存在しか知らなかったけど。
新卒社会人がしんどく、1年3ヶ月で会社を辞め、なんとなくFP2級の試験勉強をしながら転職活動をした。
転職してからもファイアーエムブレム風花雪月のクロードとディミトリとシルヴァンに撃ち抜かれ古川慎のヲタクになるなど声豚にもなった。もうどうしようもない二次元ヲタクとなった。
おいおい、お前この後どうやってSixTONESにハマるんだよ。

2020→2021 ジャニーズカウントダウンでハマるんだよ!!!
毎年のように中継で見ていたジャニーズカウントダウンもこの年はコロナによる影響で収録放送だった。ぼーっとしながら見てたら興味を引かれたのがSixTONES、彼らだった。
「え、かっこよくない!?待って、顔、顔が、ちょ、踊ると顔が見えない、誰!?あっ、この人!この人好きかも!名前なんだ!?」
当時、SixTONESは最新で『NEW ERA』というシングルを出しており当時のHPもにゅーえらの写真が使われていた。そして私はHPとテレビの彼らを交互に見る。
「誰だ……?」
後に私が最初に「かっこいい!」と思ったのは黒髪前髪重ため髙地優吾と気付くのだが当時の私は『松村北斗』と勘違いし、そのまま彼らの1stアルバム、『1ST』を3形態全て購入、すとちゅーぶを見ることとなった。
カウントダウンから半月経った頃にようやくあれは髙地優吾と知るのだが私の気持ちはもう松村北斗へ向かっていた為そのまま松村北斗担となり、タイミング良く彼がレギュラーで出ることとなるドラマ『レッドアイズ』を見ることとなった。

そう、またドラマを見るようになったのだ!!!

中学時代と違い財力があったため、10年のジャニヲタブランクを物ともせず私はSixTONESのグッズやライブ円盤諸々を収集しはじめた。

あぁ、もう、ぐっちゃぐちゃだよぉ!!!
最近のジャニーズって知ってる!?アクスタなんてあるんだぜ!?!?!?しかもブラインドじゃないの!!!優しいの!!!そんなんもう、買っちゃうやんなぁ!?!?!?

とんとん拍子でハマり、SixTONESのデビューした1年後にファンクラブに入り、ジャニーズのTwitterアカウントを作りファンと友達になって廃れた社会人生活が少し楽しくなった。推しが自分と同じ時を生きてるいるって楽しいんだよ!ブログもYouTube動画も楽しい!
生きていると辛いこともあるけど推しのために頑張れちゃう!

SixTONESのYouTube動画を見た後はSnowManの動画を見た。(SnowManはふっか推し)
SnowManは人数も多いことから1回4.5人での撮影が多くて全員じゃないのが少し淋しかったけど面白かった。
とにかくずぶずぶと出戻りジャニヲタとなった。
社会人故に金はあるためライブも北海道、新潟、横浜、愛知、大阪、東京と遠征も沢山できるようになった。
SixTONESは土曜日の11:30〜ANNサタデースペシャルのレギュラーだ。ライブ後のインセプションラジオなんてライブ参戦後に聞くとまた味深い。
私は田中樹と松村北斗、通称ほくじゅりのラジオ回が一等好きなのだが彼らが私と同い年というのもある。先ほども出したiPodの話や小学生時代に流行っていた曲の話、NHKで見ていた番組(ハッチポッチステーション)などとにかく話がわかりすぎて面白い。同い年のジャニーズを推したのは初めてだったためこの感覚は初めてで楽しい。

推しがCMを務めた飲料やお菓子は仕事の昼休憩にごっそり買って職場の皆に配ったりもした。推しに少しでも貢献したいの気持ちだった。
SONYのワイヤレスイヤフォンやReebokのスニーカー、決して安い単価ではないがコラボした物は購入した。だって彼らが出ているから!!!

今のジャニーズのヲタクは供給に塗れてて非常に楽しい!!!

SixTONESに出会ってもうすぐ4年目を迎えようとしている。
今もまだ彼らの大ファンで毎日の供給が楽しみでしょうがない。
松村北斗を好きになったおかげで『ノッキンオンロックドドア』というドラマに出会ってしまい、なにわ男子の西畑大吾に今は心を揺さぶられている。ドリームボーイズの観劇のために寄った東京でドラマのグッズは買った、先日ジャニショでオフショも買ってしまった。やばい。西畑大吾に殺される。もちろんドラマの円盤は速攻予約した。

私はあの時、ジャニーズカウントダウンを見ていて良かったと本当に思っている。

今、この騒動で一部のファンは一部の企業やテレビ局、雑誌に「もう使ってくれなくて結構」「こっちから願い下げ」と言っている。そういう感情もあると思う、人間だしね。
ただ、私は彼らにはこの後もテレビに出てお茶の間にもキラキラアイドルを届けてほしいと思っている。出会いは運命、運命は突然に、私の運命はテレビで歌って踊っている彼らだった。その機会がまだ彼らを知らぬ誰かから奪われるのは悔しいしもったいない。
私の推しは特にドラマや映画などお芝居の仕事を本当に大事にしている。推しがしたいと思っている仕事を出なくていい、やらなくていいとファンが言うのは烏滸がましいと私は思う。
ファンに今、出来ることはとにかく今まで通りに、今まで以上に推しを推すこと。

私はこの騒動で身をもって思い知った。ジャニーズ事務所でキラキラアイドルをやっているジャニタレが好きだということを。

第三者は「移籍すればいい」なんて簡単に言う。
SixTONESにハマり、SnowManやなにわ男子、その他Jr.含むジャニーズを知ってしまったヲタクとしてはその言葉は悲しく、鋭く心にぶっ刺さって抜けない。
同じ事務所だから可能なコラボや距離感がある、事務所名が変わってもそれは致し方ない。ジャニーズ事務所という名前がなくなるのはファンとしては寂しさもあるがそれ以上に彼らがバラバラになるのはもっと避けたい。ジャニーズ事務所よ、どうかタレントを守っておくれ。

ジャニヲタに今、できることは今まで以上に推しを推して出来る限りのお金を落とすこと。ここでただのアンチなんかに突っかかってる暇があるなら推しの動画、回そうぜ!
1億回再生の動画を沢山増やすんだ!

この騒動が落ち着くところに落ち着いて、大好きなジャニーズ事務所の皆がやりたいお仕事をして、交流を深めていけますように、私は願っています。
こっから前向きに考えていきましょう。


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