気に入らない人間がする事すべて違法に見える件について

彼は私がてっきり2005年あたりで絶滅したと思っていた、井筒監督がもしこの人に会ったらなんか懐かしいなー!と感じそうなくらい、パッチギ!の世界でしか存在しないと思っていたタイプの人間だった。
島田紳助に笑いの才能がなくてそのまま京都に居座っていたとしたらあのようになっていただろう。

彼は10人弱を揚々と連れ歩き、その中に1人だけポツンと座っている女性に対して当たり前のように性的な発言を浴びせた。
この連れ回している周りの10人で、彼のことを本当に尊敬している人は誰1人いないだろう。
ただ、タダで飯と酒が食えるというだけで集まる、周りもくだらなそうな人達であった。
そのリーダーこと、おもんない島田紳助が発するセクハラまみれの発言を一手に請け負っていた唯一の女の人も、ポニーテールを人間の手を尽くせる限り結び目を下にし、たゆんたゆんのおさげ髪をした、ミスその場を当たり障りない感じで終わらそうコンテストに出場していたらぶっちぎりで優勝できそうな女の人だった。
何でもかんでも人の話を一つでも聞けばペコちゃん人形のごとくうんうんと首を揺らし、面白い状況に一つもなってない時点から笑顔が顔から張り付いて離れない人こそ、一番人と適当に関わっているような感じで浅はかに見える。
世間ではこれを世渡り上手だとか、人当たりが良いだとかで形容するかもしれないけども、私はこのタイプの人間の腹の底を想像すると背筋が凍ってきて夜も眠れないのだ。

この男の話に戻すが、この男、というよりこの男根と言った方が適切なくらい何かが太そうな人だった。
何かが太いだけの人間も、これはこれで辛いと思う。
生まれながらに何か外見や身体的に秀でてしまっている人は、それだけで自分の価値が究極に高いのだと勘違いさせてしまい、そこからなかなか成長しようと努力をするきっかけができにくい。
現にこのパッチギ!風男も、何一つ発言にセンスがない、ただ喋り方だけ島田紳助になってしまっている。
特に男性において、生まれつき何かが大きいだけ、これ以上に自信がついてしまうことはなさそうだが、そういった人の無言の威圧感は、みてるこっちがゲロが吐きたくなるほど奇妙な空気に包まれている。
その男根は男梅サワーのあの梅干しのようなゴツゴツした顔で、「男梅サワー12杯ちょうだい!」とボケた。

だいたい男梅サワーを進んで飲みたがる人で男らしい人を見たことがない。
男梅サワーを飲みたがる時点で今日若干酒きついんちゃん?ちょっとがんばってるちゃん?
そう思うとだんだんかわいくみえてきた。

誰かをかわいく見えてる時点で、もう負けている。
なぜなら大体人間は赤ちゃんの時を除いて可愛い時はほとんどないし、それが成人男性ときたら可愛いわけがないから。
正直、成人男性の可愛くなさはえげつない。
男性の、赤ちゃんからの成長過程における、かわいくなくなる度は、本当に可哀想なほどだ。
特に小学生か中学生にかけての思春期特有の目が座ってくる感じとか、やたらと肌が荒れてくる感じとか、若干髭が生えてくる感じとか、制服のダサさとか、リュックサックに白スニーカーな感じとか、もう赤ちゃんの頃と比べると可愛くなくなりすぎてどうしようもない。
見た目でここまでかわいくなくなったのに、態度もやたらと女性を意識してオラつきだしたりしたら、もう手のつけようも無い。
そんな逆立ちしても可愛くない生き物を可愛いと感じる女性が多発しているのが、この世の不思議なところだ。
そう思える女性がいてくれるから、子孫は繁栄していて、世界は続いている。

何の話をしようか忘れてしまったけども、とにかく愛って素敵やな。

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