韓国映画とB級の寿司屋

今年のゴールデンウィークはテレビで様子を見る限りかなり騒がしいことになっている。
きっと遠出をしなきゃ誰かに殺されるんだ。

かくいう私は朝から「傷だらけのふたり」という韓国映画を観て、滝のように泣いていた。
涙がジワッと来る所もありつつ、ワルが好きな私にとって、下の方がジュワッとくる所もあって大変良い映画だった。

韓国映画は素晴らしい。

大体がヤクザ達による、麻薬取引をめぐっての惨すぎるアクション映画か、恵まれない環境を舞台とした御涙頂戴モノくらいしかない世界だけども

私はそんな分かりやすい韓国映画が大好きなのであーる。

何事も分かりやすかったり、優しかったりした方が絶対良いじゃない。

フランス映画の煮え切らない長ったらしいやつより、よっぽどグッとくるもんがあるよ。

わざと訳のわからない高尚そうな物ばかり選んで見てきて、途中から爆睡をかました、THE・サブカル女子な青春を送ってきた末、結局わかりやすい方が思いっきり泣けるし感動できるし最高だと気づいた。

分かりにくい上級なものより、分かりやすいB級!

そんな私の自論とは真逆の価値観を
最近、父の寿司屋選びに感じた。

父は寿司をこよなく愛しているが、そんな寿司好きが最近、毎週取り憑かれたように通っている寿司屋がある。

蟻地獄のように人だかりができている新世界の串カツ屋の横でポツリと、一人の行列も成していない寿司屋。
別に格式ばった外装をしている訳でもない。

食べログやインスタグラムを見ては、脇目もふらずその店に直行し、何時間でもバカみたいに並ぶ、自称グルメ気取りには到底足を踏み入れる事ができない。

本当のグルメとは、自分の足を使って情報を稼ぐこと。
街を歩いて脇目を振ることが大事なんだ。

携帯の情報で多くの人が知るような店は、その時点でもうとっくに死んだようなもの。
勝手に調べられて、来られて、バカ並びされて、店主の目が一番死んでいるのだ。

この寿司屋はそんな地獄を恐れて、初めから一見の客は全て断る。
外様大名をいちいち迎え入れてたら、昔から来てくれてる客に迷惑がかかるからだ。

肝心の出てくる寿司は、まるで宝石のような寿司。
サイズ、ネタのクオリティ、何をとってつけても大阪指折りの最高級。
ひとつ欠点をあげるとするならば、寿司を握ってる大将の奥さんがすこぶる無愛想で、すこぶる不細工な所くらい。

まあ無愛想なのは私も同じだから、それを除けばほぼ最高な店ということになる。

誰も踏み入れる事ができない、おとんと私だけの秘密基地のような寿司屋。
そこに毎週行くのが父のマイブーム。

ただ、たとえ昔からの客だとしても、かなり通わないと平気で門前払いされる。

そういう高飛車なところが、良い寿司屋にはつきものだ。
良い寿司を食べるには、断られるのが当たり前。

良い店にピシャリと断られて、とぼとぼ偽物の寿司屋に向かうと、傷だらけの私たちをいつでも笑顔で迎え入れてくれる。
父は「やっぱりあかんなー」と言うけど
寿司はいくら偽物でも、私はこっちの方が好きだ。

その世界の中では、レベルはそんなに高くないんだろうけど、分かりやすい安心感。

そういうのを最近よく観てる韓国映画にも感じた。

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