病院飛び出した認知症看護認定看護師は負け組か、勝ち組になれば良いだろう

SNSでよく認知症看護認定看護師(以後DCNとする)を目指しています。今年から学校に行きます。という報告を受けます。そのような報告をうけるたびに嬉しく思います。看護師が目指すべきキャリアプランには必ずと言っていいほど、認定看護師が上がってきます。さらに上位互換には専門看護師という資格もあります。(ここでは認定看護師、専門看護師の説明は長くなるので伏せておきます。)

ちょっと待ってください。さきほど説明は伏せると言いましたが、ぼくの保有するDCNとは何ぞやということだけは簡単に説明させてもらいます。認定看護師には小児救急や脳卒中リハビリなどと言った専門の資格が21分野あります。ざっくりいうと、認知症看護もその1つです。DCNは2006年7月に看護協会で開始されました。今年で15年が経過した国家資格ではない、民間のキャリア資格です。開始当初は、認定看護師の中でもニッチな分野でありました。命を救うことを優先する病院で、治らない認知症のお勉強をしてもなあ。認定看護師になるにはお金も時間もかかるから。何だかねえ~という声が聞こえてきそうな時期でもありました。候補者も少なく教育機関も少なかったと記憶してます。なので、この時期に資格取得にむかう人たちは英雄中の英雄です。あえて、ゴールがないかも知れない未開の地に武器をもたず挑まれたソルジャーたちです。当たり前ですが、突出した認知症看護を提供される方ばかりなんだと思います。(笑)話がそれました。

設立から数年経っても、興味を示されなかったDCNに急遽、注目の的になる事件が起きるのです。それは、2016年に認知症ケア加算という得体の知れない診療報酬が追加されたからです。なんだ、その報酬はうまいのか、お得なのかと病院中がざわついたのです。あっちの病院では、「認知症ケアチームというものを作れば認知症患者から加算がとれるようですよ。」と発言すれば、こっちの病院では「その加算にはDCNがいなければいけないのだな。」とまゆを顰めるのです。上役はこぞって、目ぼしい看護師を選別し、「あなた学校に行ってきなさい」とDCNの教育機関に向かわせるのです。あ!これはフィクションです。中には、上役の命令で行かされた人もいたのではないかと言うことです。ぼくは純粋な認知症ケア者を目指し門を叩きました。そして、一気にスポットライトをあてられた我が資格は爆発的に資格取得者数が増加していくのです。2016年には200名にも及ばなかったDCNが2020年には1400名近くも資格保有者が膨れ上がるのです。設立から10年で200人に及ばなかった資格が、注目された年から4年で7倍に膨れ上がる。ゴールドラッシュのようなものです。


教育機関に入学すると、認知症看護の実践者、指導者、相談者になるための教育が始まります。恐ろしいほどの詰め込み教育ですが、不思議なことに認知症のこと、認知症ケアのこと、知れば知るほど「認知症看護ってすてきだよねえ」とみんなが一斉に声をあげるようになるのです。次第とふつふつと闘志が湧いてきます。病院での認知症ケアを変えていかなければいけない。必要性のない身体拘束を解除しなければいけない。もっと認知症患者に向き合わなければいけないと考えるようになるのです。おのおのが使命感をわき躍らせ、身勝手に誓うのです。そして、ソルジャーたちはざっくり700時間の厳しい教育を終えて病院という戦場に戻っていくのです。(現在は特定行為研修が混ざり教育時間もバク上がり中)

戦場に戻るとソルジャー達は、笑顔で上役たちに「さあ、認知症ケアチーム(このチームには認知症の専門医(精神科医など)、専任の看護師(DCNや老人看護専門看護師など)、社会福祉士が必要になります。)を結成したぞ、加算のお仕事の開始ですぞ」ミッションを与えられるのです。ぼくの見解ですが、認知症患者を病院でケアする看護師のイメージは、世間的に良いイメージを持たれていないと考えます。尊厳を踏みにじられた対応、病院に入院すると認知症が悪化するなんてこともよく聞かれますよね。立場を守るわけではありませんが、ぼくたちは、そんなイメージを持たれながらも、日々悩み戸惑いながらも看護を行っているのです。脱線しました。

認知症ケアの上手な看護師は沢山います。苦手な看護師も沢山います。僕たちDCNはその上手な看護師さんがどうして上手にできるのか、苦手な看護師さんがどうしてうまくいかないのかを考察して根拠を提示します。さらによりよくケアが行われるように、改良したケアを提案したりします。そうすることで、「だからあの対応はよかったのね。」や「悪かったのね」と考察してくれる看護師が増えてきたり、次には活用してみようと考える看護師が増えていくのです。そして、僕たちは時に、発見屋にもなります。誰かが注目しないと埋もれていく素敵な認知症ケアが埋没しないように拾いおこす作業もします。看護師は日々忙しく、自分が何気に行っているケアの素敵さを評価したり、内省する時間がないのです。埋もれていく素敵なケアを発見しては、「よかったねえ、今のケア」と看護師、それに纏わるコメディカルに声をかけるのです。スタッフが自分の素晴らしいケアを認識できるように関わっていきます。またある時には、認知症ケアでうまくいかず疲れ果てたスタッフと一緒に悩み、ケアを考えることもします。そのような行為や励ましが、チームにとって、認知症ケア対しての苦手意識を解消していくのです。

先ほどまで、チーム、チームと連呼してます。気づいた人もいるでしょう。断言します。認知症ケアにはチーム活動が必要なんです。一人の優秀なケア者よりチームが団結し、認知症のある人のサポートに回れた方が格段にすてきなケアができるのです。それが本来の認知症ケアチームであると考えます。チームで活動し、時には認知症症状だけではなくBPSDを発症してしまった患者のケアプランをチームで検討する。また、認知症患者の対応で病めるスタッフの心の叫びに向き合い、どのように解決案を検討していくのかチームで考える。そのような活動が認知症ケアチームを運営していた私の見解でした。そして、そうあるべきだと考え、活動してきました。

認知症ケアチームとして働くDCNには、その活動のみに専念する専従看護師と病棟兼務して働く専任看護師がいます。しかし、専従看護師として働くDCNは極わずかだと思います。先行研究で、認知症ケアチームでの取り組みは、認知症患者のトラブル等が軽減する。その効果で、入院期間も短くなったという根拠は実証されています。ですが、費用対効果を考えると認知症ケアチームだけの運営はコストがかかります。大規模クラスの病院では、それでも莫大な診療報酬を賄えます。ですが、小規模~中規模クラスの病院だと認知症ケアチームだけの運営にDCNを専念させると人件費がかさんでしまうのです。そのため、DCNは病棟勤務と認知症ケアチームの掛け持ちが大半です。そして、ぼくを含め、多くの認定看護師は管理職という地位も与えられています。この立場には様々な見解があるようですが、一例では、組織は認定看護師としての活用方法を活かしながらも、認定看護師なんだから管理職もできるでしょというスタンスです。この管理職がもたらす弊害が、多くの認定看護師を苦しめるのです。

何が苦しいですかって?資格の動機はどうあれ、教育機関中に夢描いて一生懸命勝ち取った資格が宙に浮き、その活動に専念できないという現状がおきてくるのです。病棟では管理職として働きます。そのうえで、ごくわずかな時間の認定看護師としての活動を確保します。その活動は、加算の一連の記録や勉強会の運営などをはじめ、認知症のある患者の対策をメインとしてマルチタスクを行います。とても中途半端な活動です。どこに焦点を当てて、業務を遂行すればいいのか見えなくなっていくのです。この事例はあくまでぼくの実例であります。多くの認定看護師は僕と違い優秀なので、きちんと責務を果たし、やりがいを感じているのだと思います。そして、そうだと、願っています。かくゆう私はDCNになってのキャリアプランや未来予想図を描けなくなっている1人であると宣言はしておきます。

悩みながらもなんとかDCNの責務を果たそうと奔走していました。ある日突然悪魔は音もなく舞い降りてくるのです。そうあいつです。新型コロナウイルス感染症。ぼくは事態の緊急性にばかり気が向き、認知症ケアにかける情熱が飛んでいきそうになっていました。全スタッフマスク着用、接近はほどほどに、面会謝絶という現象が起きてしまうのです。スタッフは「家族に合わせてあげたい。一目会わせてあげられたら、認知症のある人の不穏が改善するかもしれない」と泣きながらぼくに訴えるのです。家族も泣きながら、僕に「お父さんに一目でいいから合わせてください」と訴えるのです。DCNとしては、スタッフの意見に賛成したい。家族の意見に同意したいと考えるはずです。だけど、僕は管理職でもあります。リスクをマネージメントする立場でもあります。日が経つにつれて、おかしくなっていく自分に気が付いたのです。

病院では円満退社という名目で退職しました。上司やスタッフもそう思っているでしょう。上司も退職の相談をすると、何度か引き留めの話はされました。しかし、最後には「今まで頑張ってくれた。これからは、あなたの思う看護をしなさい」と励ましてくれました。退職して数か月たちますが、連絡をくれるスタッフもまだいます。ですが、僕の心はボロボロでした。自然と涙がでることもありました。それでも、SNSでは強気な発言。DCNは「こんなことも知っているんだぜ」のスタンスで発信していました。

そんなことを言っても、一家を支える大黒柱の身です。再就職先を見つけなくてはいけません。認定看護師の大半は病院で働いています。認定看護師という名称独占のような恩恵を受けるのも、また、不幸にも病院だけだと思い込んでいたのです。ぼくは自然と病院組織に収まるように病院探しを始めていました。何度も、病院の面接を受けては、内定を辞退する負のループに陥っていました。

ある日、突然、気が付くのです。認知症の対象は、看護の対象は何も病院だけではない。どこにいてもぼくはぼくだと。病院しか知らないぼくが一旦病院を忘れてみよう。やりたいことは病院の中だけではないはずだ。その発想自体が妄想になって、空想になり、予想になった瞬間に訪問看護をイメージしました。そう訪問看護師になってやると。ここからが、ぼくのスタートです。地域に出て、DCNの資格をどう活用していけばいいのか未だにわかりません。

だけど、一度獲得したこの資格。生かすも、殺すも僕次第。それなら、僕の手に渡ってしまった可哀そうな第何号かのDCNの資格を輝させてあげたい。病院飛び出した僕がDCNの資格の勝ち組になってやろうと宣言した僕の第二のエピソードの始まりです。

次回、45歳で訪問看護師デビューはたして務まるの(*`艸´)ウシシシ
最後まで読んで頂き感謝致します。

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