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人を見る目がなく、自分の地位を追われた

私は、幼少期にしっかりとした教育から逃げていたタイプの人間ですから、なかなか物事の道理を知ることや人間を見る目ができていません。
人に助けてもらうことは多かったのですが、私が人を助ける立場に立つことは、あまり記憶にありませんので、ほとんどなかった、と思います。
結論から言えば、人望がない人間ということになるでしょう。

そんななかで、ある企業でいっしょになった経理部の部長をされている方と出会いました。
いわゆる上場請負人タイプの方で、株式公開業務に関して、非常に多くの知識とスキル、そして経験をもっておれました。
ただし、少し癖がある方だということは、私でも理解できました。

私は人事総務部門の責任者をしていましたから、この方と仕事で連携することも多く懇意にしてもらっていました。
なかなか酒豪で、いろいろなところの飲み屋さんを知っておられ、私もしばしば誘われて飲みにいきましたが、酒量と遅くまで飲んでおられることが多く、私は、この方とだんだん距離をとるようになっていきました。
さらに、私はこの企業を離れましたから、またお会いすることもないだろう、と考えていました。

ところがある日、その方から電話がかかってきて、会いたいということなので、都内の喫茶店で話をすることにしました。
話の内容は、現在の企業を退職するので自分が就職できる企業があれば、紹介してほしいという依頼でした。
私は、この方と担当する分野が経理財務と人事総務と違うこともあり、経理財務部門の人材を必要とする企業があれば連絡します、とその日はこれでわかれました。

私が転職していた企業は、株式公開を目指していましたから、上場のための経理財務の専門家が必要だということになり、新たに募集する話が持ち上がりました。
そこで私は、前職でいっしょに仕事をしたことがあるこの方を社長へ紹介しました。
社長は、すぐに会うといってくれましたので、その方に面接日時を連絡しておきました。
結果は、社長から採用したいということで、1年ぶりにいっしょに仕事をすることになりました。

入社した当初は、私に対しても穏やかな態度でしたが、半年を過ぎたころからでしょうか、この方が私と口を利かなくなり、昼食やたまに行く飲み会などに声をかけてもらえなくなりました。
私は、この程度のことでは驚きません。
ところが、ある日突然、社長から会社をやめてくれと申し入れられました。
理由は、あることないことを、誰かに言い含められているようでした。
私は、このようなケースですばやく決断します。
この企業に執着してもよいことはないだろう、と確信できるからです。
経営者が、話の内容を私自身に確認もせず結論を出すのですから、人間的資質と経営能力に疑問を持ちました。
案の定というか、それから数年後、この企業は倒産しました。

私の推測ですが、私が紹介した方が、管理部門全体を牛耳る目的で私を退職に追い込み、多くの人を巻き込みながら暗躍していたようです。
私は、独立独歩ですから、仕事に関しては是々非々で対応します。
どうも私が目障りだったようです。

私のように教養がない人間は、どうしても人を見る目ができていません。
安易に人を信ずる性格でしょうか。
すぐに騙されてしまいます。
警戒心は強いほうなのですが、わきが甘く、つい心をゆるしてしまいます。
自分の身からでた錆です。
このように人を紹介したのは、この人だけでしたが、本当に自分の地位を追われましたから、当然ショックがありました。

このときのことを考えてみれば、次のような特徴がある人には注意する必要があると身をもって知りました。
大切な人生勉強でした。

およそですが、うわべだけの親切心があり、口説き上手で話がうまく、あいまいな情報を提供するようなところがありました。
さらに自分が詫びることを避け、他人を非難しやすい傾向があったように思えます。
行動を考えてみれば、短期間で相手に自分を信じてもらえるように動き、また、相手に恩を売ることで、将来的に自分が利用できるような状況を作り出したりしていたでしょうか。
私を追い出した後も、自分の意のままにならない人に対して同様のことを繰り返したようです。
長く経理を担当されていた管理職の方と私が紹介した方が仕事でうまくいっていないことは理解していましたが、この方を私と同じような目に合わせたうえで、経理部門を含む管理部門全体を牛耳てしまったようです。

私にとって強く心に残った出来事(事件)でした。
その後、このような人間性をもつ方に出会うことがなかったのは幸いでした。
以前は、この方からたまに電話をもらっていましたが、その後、一度も電話をもらうことはありませんでした。
私は、心からほっとしています。
もっとも、本人も私を追い出した自覚があるからでしょうか。

人が信用できない社会は寂しさがありますが、残念ですが、企業にはこのような人間性をもつ人がいるのも事実です。
やはり、自分自身で人を見る目を養うための努力をするほかありません。
古典などを読んで勉強していたつもりでいましたが、なんのことはありません。
あっさりと痛い目にあってしまいました。
本を読んだだけの勉強が、いかに自分の生き方に昇華されていないかを知る機会となりました。
人は現実から学ぶことのほうが、痛みを伴えば伴うほど、それだけ学ぶことができるようです。

人生というところは、いろいろなことが起こるものです。
それでも前を向いて歩いていくしかありません。
このような人間に振り回されることがないように修養を積んでおくことが一番でしょうか。
この点、私は自分の軸を作ってきたおかげで、すぐに自分のスタンスで歩いていくことができました。
自分で気をつけていても、このような出来事に遭遇するのも人生でしょう。
いつまでも引きずられることなく、次に進むことが、このような事件から自らを救い出すもっともよい方法かもわかりません。
それにしても、紹介した人から自らの地位を追われたのですから、私にとって大きな人生教訓となりました。


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