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死にゆくということ

はじめまして。
私は大学病院で勤務する男性看護師です。
歳は23歳、まだまだぺーぺーの2年目です。

先日、ツイッターにてあるnoteの記事を拝見しました。それは、医師として働きながらシステムエンジニアに転職したという方のお話です。仕事柄医師の多忙さはよく知っているつもりなので、その熱量の凄みと器用さ、そして頭脳にただ驚きました。凄い人がいるもんですねー。

記事を通してnoteというプラットフォームがある事を知りました。普段InstagramやTwitterばかり覗いていますが、noteにも魅力的な方が沢山参加しているという感覚がありましたので、勢いで参加してみた次第です。

文章は普段からSOAPとして看護記録を書いていますが、いかんせん文章力はありません。それを鍛える意味でも、何か書いてみようと思いました。実は、昔ブログはいくつかやってみた経験はあるのですが、いつのまにか更新されなくなってしまってます。その理由は、文章が拙くてなかなか書けなかったこともありますが、何より三日坊主なのです。noteは出来るだけ続けていきたいと意気込んでいます。(フラグ?)

さて、何を書こうかと思ったのですが、やはり国語力が無くてネタも出てきません。最近読んだ本でも紹介しましょうか。

私が最近読んだ本は、玉置妙憂さんの「死にゆく人の心に寄り添う」です。

この本をTUTAYAで見かけた頃、病棟では長く入院されていた方が次々と旅立っていく様をよく見ていました。呼吸器病棟では肺がん患者の方が多く、病勢の進行や抗癌剤の副作用で少なからず死期が近づいている人が大勢います。そんな人にどんな風に接すればいいのだろうと自分なりに悩んでいたところ、この本に出会いました。

表紙の写真から分かるように、玉置さんは出家された僧侶です。看護師としての職から離れ、厳しい修行を乗り越えてこられたそうです。
看護師としての知識、宗教家としての心の持ちようを活かし、終末期における在宅患者のケアなどに尽力されています。

まず、この本ではじめに学ぶのは人の死に方です。人は死ぬ前にどのような変化が起き、どう枯れていくのかということが、医学的な側面から丁寧に説明されています。これは素直に知らなかったことが多く、学びになりました。

人の自然な死に方は水が枯れ果てるように少しずつ変化していきます。食事や飲水が出来なくなり、尿量が減り、一旦は痰が増えるけども最後は痰も消えて安らかに眠る。勿論、全員がこのような亡くなり方ではありませんが、老衰というのは穏やかな経過を辿るものだと認識しています。

しかし、病院では老衰の人であろうと家族の希望があれば補液を点滴して血圧を保ち、少しでも延命を図ることがあります。痰は増え、低栄養による浮腫がでます。ADLは寝たきりになり、それでも生き長らえて良くなる事を願う家族は延命を望みます。

家族の心情は理解できます。大切な人であれば尚更生きて欲しいと願うのは当然であると思います。しかしながら、患者からしてみれば病院に来たことで穏やかな死を迎えることは難しくなることもあると思うのです。

私の曽祖母の話です。曽祖母は90歳を超えても自分の足で歩き、調子が良ければ畑まで行って草むしりなんかをこなす元気な人でした。そんな曽祖母もある時から食が細くなり、全く食べなくなって寝込んでしまいました。そこで、町医者に連絡し往診に来てもらいました。祖父と祖母、町医者とで入院しようかどうしようかと話していた時です。皆に囲まれながら大きく息をして、そのまま臨終しました。
私が当時四年生の頃です。何が何だか分からない年齢でしたが、家族や親戚は皆良かったねと言っていました。

一昔前ではこのような家での看取りが当たり前でした。しかし、核家族化や老老介護の問題などから施設や病院に頼る人が増え、最期も病院で亡くなる人が増えているといいます。

これからどんどん高齢化が進み、伴って亡くなる人も勿論増えます。そんな中、私たちの様な若者は死に向き合えるでしょうか。親をきちんと送り出せるでしょうか。病院というある意味隔離された場所での看取りが増えることは、世間が死を考える事を放棄してしまうことに繋がりかねない、ひいては穏やかな死に方が出来なくなってしまうのではと考えてしまいます。

思っていたよりも長くなってしまいました。終末を控える患者が多い病棟であるがゆえ、このようなことを常日頃思っています。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございます。続きは次回に。

#看護師 #男性看護師
#医療 #看取り #終末期

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