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自分と「関係のない」人に、どこまで関与できるのか。「ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く」

最近は、ICT/Techやビジネス(特にスタートアップ)等のトピックでアフリカが語られることが多いので、 過去の歴史・紛争・開発・援助的なトピックばかりnoteに書いていると時代錯誤感があり不本意なのですが(早く前者の領域深掘りしたい...!)、 過去の歴史を学ぶことは大事だし(何より好きだし)、インプットは今は書籍をメインとしているので、ぐっと我慢。 今回読んだのはこの本。 ルワンダでジェノサイドが発生していた当時、国連平和維持部隊で司令官を務めていたロメオ・ダレー

    • わかりやすさと複雑さ - 「現代アフリカの紛争と国家」

      「現代アフリカの紛争と国家」を読んだ。400ページ強あり、読むのにかなり骨が折れる。冒頭にいきなり余談だが、読書する際は、マインドマップでメモをとると便利でおすすめ。 前回の「ジェノサイド再考」の読後感と同様、ルワンダ史の複雑さを感じる一冊だった。 本書では、1990年代にアフリカで多発した紛争を「ポストコロニアル家産制国家(PCPS)」というモデルを用いて説明する。 ポストコロニアル家産制国家は、以下4つの特徴を持つ。 ① 家産制的な性格を有すること  支配者を頂点

      • 魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ - 「援助する国 される国」を読んで

        「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」 この言葉は元々は老子の言葉?らしく、つまりは、飢えている人に魚あげれば、一日は食べられるけれども、釣り方教えれば、一生食べることができるよね、という趣旨だそう。 自分が学生の頃、上記の言葉が「国際協力」や「途上国支援」の文脈で用いられることがありましたが(今はどうなんでしょう)、私は、この文脈で用いられるこの言葉があまり好きではないです。 というのも、この言葉には以下2つの驕りが含まれると思っており。 ① 相手は釣り方を

        • 「ホテル・ルワンダの男」 - ルワンダ・ジェノサイドにおける「言葉」の意味

          「ホテル・ルワンダ」のモデルとなったポール・ルセサバギナさんの自伝。ちなみに、映画「ホテル・ルワンダ」の後に出版されている 1994年のルワンダでのジェノサイド当時、首都キガリの高級ホテルの支配人を勤めていたポール・ルセサバギナ氏が、ホテルに避難してきた1,200名以上の人をかくまって助けたという話。 ジェノサイドをどう乗り越えていくか、という話に加えて、フトゥとトゥチの歴史的背景・ラジオ局の扇動・国連の対応・ルワンダ人のメンタリティー等、記載されており、この一冊読むだけ

        自分と「関係のない」人に、どこまで関与できるのか。「ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く」

        • わかりやすさと複雑さ - 「現代アフリカの紛争と国家」

        • 魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ - 「援助する国 される国」を読んで

        • 「ホテル・ルワンダの男」 - ルワンダ・ジェノサイドにおける「言葉」の意味

          ジェノサイド再考 歴史の中のルワンダ

          初めてルワンダという国を知ったのは、今からちょうど10年前。予備校の政治経済の授業にて、アフリカのルワンダという国で大量虐殺(ジェノサイド)が起きたことを学んだのが始まりだった。 一般的に、このルワンダのジェノサイドでは、多数派の民族集団フトゥが少数派のトゥチを標的とし、1994年4月から7月にかけての約100日間に、50万から100万人もの人が殺害されたと言われている。 (ルワンダのジェノサイドを描いた映画「ホテル・ルワンダ」や「ルワンダの涙」などは、聞いたことがある人

          ジェノサイド再考 歴史の中のルワンダ