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《刹那》2年窓岩日菜


皆さん、こんにちは!!
今回noteを担当する2年の窓岩日菜です。

今回のテーマは「無人島に持っていくなら」
よく耳にする質問ですが、こんなにもじっくり考えたことはありませんでした。
noteを書く順番は、各学年名前の五十音順で、私はかなり後ろの方になります。
同期の無人島に持っていきたい物や連れていきたい人を知って、ますます自分は何について書けばいいのか分からなくなりました。(皆めちゃくちゃ素敵すぎて🙈)

そこで、どうせなら今自分が一番大切にしていることに当てはまるものを持っていこうと決めました。

それは、「カレンダー」です。

カレンダーは機能性ゼロで何の役にも立たないアイテムかもしれません。
何故「カレンダー」に決めたのか。それは、私が時間というものの価値を考えさせられる出来事をつい最近経験したからです。


ここからは少し暗いお話になってしまいますが、良ければ読んでください。


令和5年8月26日。
私の大好きな祖父が永眠した日です。
心筋梗塞でした。

あれから2ヶ月...
本当に時が経つのは早いなと体感しています。
今でも最期に祖父と会って、手を触れた時のことを昨日のことのように思い出します。


高校時代、寮生活をしていた私はなかなか実家に帰ることができませんでした。更にその時期コロナが流行し、帰省できたとしても祖父の家まで会いに行くことは無理でした。

子供の頃、お盆やお正月に顔を合わせた時にはいつも「体に気をつけて、サッカー頑張って」と応援してくれ、気が付けば祖父の家には私のサッカーをしている写真が額に入れられ、いたるところに飾ってありました。



お葬式とお通夜のため、去年の暮れぶりに帰った私は、冷たく横たわった祖父に久しぶりに会うことができました。親戚に囲まれた祖父は、口角が上がり嬉しそうに笑っているみたいでした。納棺師の方が、祖父の身体を綺麗に洗い、化粧をしているところを見て、そこで初めて祖父は本当に死んでしまったのだと実感しました。どれだけ拭いても、涙が止まりませんでした。

父が子供のように泣いている姿も初めて見ました。
喪主として祖父が亡くなってしばらくは、張りつめていた様子だったので、気持ちの整理がついたのかなと勝手に思っていました。
小さくなった背中を見ていると、余計悲しくなって、見ていられなかったです。



どれだけ時間が経っても、寂しい気持ちは消えることはありません。
今でもふと、生前の祖父の姿を思い出し、涙が溢れることがあります。
大切な人を失った喪失感に耐え切れなかったし、祖父のいない世界で生きていく毎日に慣れてしまう自分にも、怖さを感じました。


祖父とお別れをして、改めて時間の大切さ、時間の価値に気づきました。大切な人が生きているうちに、たくさん感謝の言葉を伝えるべきだし、受けた恩を返すために自分に何ができるか考えて時間を使っていきたいです。



正直、他の人が目にするnoteに書くことではないのではないかと、これを投稿すること自体とても迷いました。しかし、自分の気持ちを文字に起こすことも悲しみを受け止める方法の1つなのかなと私は思います。今後の人生の時間を必ず有意義に使うこと、そして祖父の死を乗り越える覚悟を持つためにこのnoteを利用したこと、ご了承下さい。



「時間」は過去から現在、そして未来へと止まらずに流れていくものです。



どんなに願っても、4年生とサッカーができる時間は残り2か月。
時間には区切りがあって限りがあって、2度と戻ってきません。
日々の一瞬一瞬を大切に、日本一を獲るための時間にします!!


最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも日体大SMG横浜の応援、よろしくお願いします。

#無人島に持っていくなら

  ●プロフィール
    窓岩 日菜(まどいわ ひな)
    ・2年
    ・経歴
     福井丸岡RUCK
     →藤枝順心高等学校
     →日本体育大学

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