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北極気象観測が熱帯低気圧の経路予測を向上させる

著・猪上 淳(国立極地研究所 国際北極環境研究センター 准教授)

「世界気象カレンダー」は、気象衛星ひまわり8号をはじめとした世界の地球観測衛星からとらえた画像や、宇宙ステーションから撮影した迫力ある画像を掲載し、気象現象や地球環境問題をわかりやすく解説しているのが特徴のカレンダーです。
 現在発売中の2018年版から、9月に掲載の猪上淳氏(国立極地研究所 国際北極環境研究センター 准教授)による「北極気象観測が熱帯低気圧の経路予測を向上させる」を全文公開いたします。(編集部)

台風・ハリケーンの進路予測の重要性

 台風やハリケーンは、大きな災害をもたらす代表的な気象現象である。北米域の熱帯低気圧(ハリケーン)は、上陸した場合はもちろん、中緯度帯で温帯低気圧化(以下、温低化)した後も欧州域で大雨・強風をもたらすため、その進路の予報は重要である。特に、温低化後の移動速度は、ハリケーン時よりも格段に速いため、予報期間が長くても高精度の進路予報が提供されることが望ましい。
 熱帯低気圧の発生・発達する時期の中心気圧や進路の予報には、近傍での航空機や無人飛行機による特別観測が有効であることが多い。一方で、偏西風の位置や気圧の谷の進行が関わる温低化前後の予報には、北極付近の寒気(極渦)の動向を捉えることができる中高緯度の観測データの影響も考慮する必要がある。

海洋地球研究船「みらい」による北極の気象観測

 海洋地球研究船「みらい」は、例年9月〜10月にかけて北極海の研究航海を行っており、船上のラジオゾンデ観測は気象予測に極めて重要なデータを提供してきている。2016年9月にはアラスカ沖のチュクチ海で1日4回の高頻度観測を行っていた(図1)。この年は、例年よりも偏西風の蛇行が顕著で、極渦が北米東岸まで南東進することがあった。

 9月下旬に大西洋を北上してきた熱帯低気圧「カール」(Karl /画像1)は9月26日には南東進してきた温帯低気圧と併合した(画像2)。

(画像1)NASA 地球観測衛星アクア(Aqua)搭載センサモーディス(MODIS)可視画像 2016年9月23日

(画像2)NASA 地球観測衛星アクア(Aqua)搭載センサモーディス(MODIS)可視画像 2016年9月26日

この温帯低気圧は上空の寒気を伴う低圧部と関連し、その起源は9月18日頃の「みらい」近傍に辿ることができ、現場海域で実施していたラジオゾンデ観測がこれを捉えていた。実際、気温の鉛直分布によると、極渦に伴う成層圏から降りてきた空気により、対流圏界面は5km まで押し下げられていた(通常は9 kmくらい・図2)。

北極の気象観測データの予測への影響

「みらい」の観測データは、世界気象通信網(GTS)を通じて数値予報の初期場(予報を開始する大気の状態)に反映されているため、この初期場から当該観測データのみを取り除いて予報実験を行うと、「温低化」時の北極の観測データの影響を調べることができる。予報実験の比較の結果、北極の観測データを取り除いた場合、併合後の移動速度が遅くなる(図3)と共に、中心気圧が15hPa以上も過度に発達してしまうことが示された。

熱帯低気圧が北上しながら中緯度に差し掛かるときには、上空の気圧の谷の予測が重要であることが確認されるとともに、その精度向上には高緯度域での観測強化が効果的な場合があることが示された。

(世界気象カレンダー2018年版 9月より)

【著者プロフィール】

猪上 淳

(国立極地研究所 国際北極環境研究センター 准教授)

現場観測に基づく北極気候変動研究を推進。専門は北極海の大気-海氷-海洋相互作用。特に、北極海における急激な変化を船舶やブイを用いて観測し、北極圏の気候変動の解明とその影響評価を目指している。最近では、海洋地球研究船「みらい」や他国の陸上観測点を用いて北極の高層気象観測網を強化する国際共同研究を推進し、北極の天気予報の向上に貢献。
 北海道大学大学院地球環境科学研究科修了(地球環境科学博士)。北海道大学低温科学研究所、米国コロラド大学、米国ジョージア工科大学、海洋研究開発機構を経て、2012年から現職。国際北極科学委員会(IASC)大気作業部会員。世界気象機関(WMO)極域予測プロジェクト(PPP)運営委員。2017年度日本気象学会賞受賞。
 ワークライフバランスの実現に向けて2016年に3ヶ月間の育児休業を取得。FP技能士2級、宅地建物取引士。
著書:「天気と海の関係についてわかっていることいないこと」(ベレ出版)


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