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正義を振りかざす人との闘い

人間、生きていれば様々な欲がある。
欲はモチベーションの源泉であり、仕事や生産活動の原動力となる。
だが、過剰な欲は禍である。仏教では五欲、キリスト教では七つの大罪として、戒めの対象になっている。

だが、ずるがしこい人間は、欲の上面に「正義」の皮をかぶせることに長けている。正義の美名のもと、多くの凶行がなされてきた。「現代社会の中には犯罪よりも忌まわしいものが一つある。それは、抑圧的な正義である」(シモーヌ・ヴェイユ)

抑圧的な正義。それは、日本国民がわずか80年前に経験した空気そのものだ。欲しがりません、勝つまではの空気。我が子が骨になって戻ってきても、人前で涙さえ流すことが許されなかった雰囲気。

正しい情報を持たない民衆は「空気」によって支配され、統治者は無尽蔵の欲とエゴイズムを「正義」で装いながらコントロールし続ける。だが、当人はそれを欲やエゴとは思っていない。「人は権力の座にあるとき、悪を悪として感じられない。むしろ義務だと感じる」(ヴェイユ)。

やがて、正義が外界に向けて力を集めると、他国・他民族への威嚇や暴力に変わる。かような出来事は中世や近世の話ではない。今まさに、各地で起こっている。しかも、近年はこうした正義を振りかざす勢力が勢いづいている。ロシアや中国だけの話ではない。身近にもいるはず。

人は弱っている時に、手を振りかざし、拳を振り上げる権力者について行きたくなる。だが冷静に身構え、その人物の目の奥を覗き込むとよい。大抵は、怯えが見える。


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