「挑戦」なのか「逃げ」なのか

転職、留学、移住、独立…新しい世界へのステップアップを意識した「挑戦」は、時として他者からは「逃げ」と捉えられることがある。

実は、〇〇しようと思ってて…
え、それって逃げだよね?
え。。。?

なんて経験をしたことがある人も少なくはないと思う。

ここで考えたいのは、逃げとはなにか。挑戦とはなにか。ということである。
2つは表裏一体の関係にあるのか。それとも全く別の何かなのか。

様々な考えはあると思うが…
私たちが生きる世界には「時間」という概念が存在していて、それは我々の手で早送りすることも巻き戻すことも、もちろん一時停止なんて不可能なわけだ。

つまり、
〇〇をしてから、ダメだったら巻き戻してやり直す。
ということはできない。
その代わり経験や知識は常に蓄積されていく。事実、人間の脳は生まれてから死ぬまでの全てを記憶することができることは科学的にも証明されている。では、なぜ忘れるのかということは、今回の本題とは関係ないのでまたの機会に。

話を戻すと、この時間という不変の概念が存在し続ける限り、同じ時間を生きている他者からは、これまでと違う新しい動きをとろうとする時、それは「逃げ」にも「挑戦」にもうつる。

ここで重要なのは自分を信じるという意味の自信といい意味での他者への諦めだと考える。
はっきり言って、家族であっても他人は他人。人間、皆同じ考えのもと、行動するなら、もはやそれはロボットと同じだ。人生の中でほぼ多くの人が人生の大半の時間を共に過ごす他者が家族であるとすると、その家族でさえ、理解してくれない自分の価値観を理解してくれる他者なんて存在するのか。そもそも誰も味方になってくれないんじゃないかと疑う気持ちもわかるが…
むしろ試されてると思うべきで、そういう他者はいつか信じさせればいい、今は自分にしかない価値観。だから、自分がやる価値がある。そう信じて、前に進もうとした時、それは逃げではなく、挑戦なのだとおもう。

そもそも、1つの場所にとどまって会社のため、家族のために我慢をして取り組むことを美徳とした価値観が消えつつある変化の激しい現代において、変化を受容することもなく1つの場所にとどまることそのものが思考停止という「逃げ」だと思う。

つまるところ、「逃げ」と「挑戦」は表裏一体の関係には無く、同じ時を生き抜く中で私たち一人一人が信じて実践していく過程において他者に証明できるものであり、何も起きてないタイミングでそれは逃げだ挑戦だと決めつけることはできない。

人生は旅と例えられることも多いが、もしそうなのだとしたら、挑戦の旅でありたい。