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日本のアート界で女性を描けない事

私がどうにも日本のアート界でアウェイ感を感じてしまうのが、キャラクターを記号的に捉えられない事と、女性を描けない事。

近年アニメキャラモチーフの作風がかなり多くなって来たように思うけれど、キャラクターを記号で捉え、分解して再構築したり、かなりコンセプチュアルな作風が多い。これは男性の作家に多くて、女性は描くキャラクターに自分の心情や世界観を託すので、物語性や内面性が非常に強いものになる事が多い。

そしてどちらにも共通するのが、「絶対的にモチーフは女性、もしくは少女」であるという事。

私は女性性がかなり苦手で、それを前面に出された作品にはたいぶ苦手意識がある。なので、自分の作品には女の子を描けない(魔法少女はコンセプトとして「少女でなければならない」のでこれだけ例外)

しかし、少女や女性でなければならない、というのが美術界に暗黙の了解としてあるように感じる(現に「少女を描かなければ売れない」と言われた事もある)

美術ではないけれど最近アニメでSHIROBAKOという作品が人気で、ちらっと見てみた所、「アニメの制作現場を舞台としたフィクション」の作品で、男性はみな見た目も年齢もとても幅が広くて人情味のあるキャラクターデザインなのに、女の子が全員同じ顔の年も10代にしか見えない可愛いデザインで、それでもう気持ちが悪くて見れなかった。

少女や女性は古今東西関わらず太古の昔からオーソドックスで人気のモチーフだけど、私は女の子を描くために表現をしているのではないから、いくら売れなかろうとこの先「売れるために」女の子を描く事は無いと思う。

それはまぁ自分の事なのでどうでもいいんだけど、やはり「女の子でなければならない」という無言の圧力にはどうしても居づらさを感じてしまう。

で、海外だとモチーフの性別を越えて作品の中身を見てくれる事が多いように感じていて(実際海外で売れているので)、モチーフが子供でかつ男の子(無性)でも関係なく、その作品の中に入ってきて思考してくれるのが居心地がよくて、自分の作品がストレートに通じている感覚があり、どうにもホームな感覚になってしまう。(日本だと漫画っぽい画風で女の子を描かない時点で相手にされない空気、のようなものを感じる。勿論、モチーフに囚われず作品を見て下さる方も多くいるのは承知している)

最近ではルミネのCMが炎上していたりちょっと前は小保方さんが最初にメディアに出た時に研究内容ではなく「割烹着」とか「ムーミン」とか「リケジョ」とかで取り上げられていた気持ち悪さが全体としてこの国の気風としてあって、私はそれが苦手なんだと思う。

男女平等を強くは言わないが、性別、見た目、人種、障害などで区別せず、全ての人をフラットに同じ人間として世の中が捉えるようになれば大分居やすくなるのになと思っています。


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