みんな生きている

下田ひかりステイトメント

私は現代の私たちが抱える孤独や不安をベースに、2011年3月11日に発生した東日本大震災、とりわけ福島第一原発事故に影響を受け、大きくわけて2つのテーマで作品を制作しています。一つは子どものポートレイトのシリーズ「この星の子ども」と、「神様の行方」というシリーズです。もう一つはヒーローと魔法少女が描かれているコラージュのシリーズです。全ての作品を通して、共通している部分も多くありますが、それぞれのテーマについて解説します。

English statement Here 

「この星の子ども」シリーズは、大きな瞳の子ども達が、虚ろな表情で描かれます。この子ども達は私がその時々で描きたい感覚的なものを表現するための「表現の器」として機能します。キャラクターとして描くのではなく、絵から感じ取れる感覚や感情に重点を置いています。このシリーズに限らず、私の描く子ども達は虚ろで、寂しげです。それは私の個人的な経験による所が大きいですが、私は現代社会の人々は、みなそれぞれ孤独感や不安感を持っていると感じています。常にモチーフが子どもの理由ですが、アイデンティティーが確立されておらず、性別も曖昧な子どもは、そのモチーフ自体に余計な情報が付随しない事で、一番ストレートに私の感覚を表現できると思っているからです。

「神様の行方」シリーズです。こちらは原発事故を受けて描かれているシリーズです。約30年前(1986年の四月)に、チェルノブイリ原発事故が起こりました。多くの皆さんがご存じだと思いますが、その事故後、多くの子どもに甲状腺の異常が見られ、甲状腺摘出の手術を受けた子どもの首元には独特の傷跡が残りました。それがまるでネックレスのように見える事から、「チェルノブイリのネックレス」と呼ばれています。2011年に起こった東日本大震災の福島第一原発事故後、日本でも事故の影響が懸念されています。事故から今年で4年が経ちましたが、まだ子どもへの影響は公式に明言されていません。「フクシマネックレス」が現実のものとなるのかどうか、今は誰も分かりません。しかし、その可能性に目をつぶる事はしてはならない。でも、私はそうなって欲しくない。逃げられない現実の部分を目に見える傷として、私の希望をキラキラの光として描いています。

また、私の子どもに描かれる角ですが、私たちは非常に多くの理不尽の中で生きています。自分の感情や想いを言葉にする事が難しい場合も多くあります。そういう様々な問題に対して、堪え忍ぶしか無い人たちもいます。そういった言葉にできない怒りや悲しみが、声の代わりに角になって生えてくる。そういったイメージを持っています。

テーマの二つめです。これらの作品は私の考えたストーリーがベースとなっています。「世界を救うために人間に生み出された救世主たちの物語」です。いつかこの先、人間達が自分達の世界に絶望し、救われたいと願い、救世主を生みだします。その救世主は人間の願いを叶えますが、それは死ぬこと、滅びる事を意味していました。人類が絶滅した後に残された救世主達と、その先の二人が紡ぎだす未来を描いた作品です。

救世主はヒーローと魔法少女の格好をした二人です。

滅び行く人類は小さなウサギのヒーローで表してます。人類一人一人が世界を救う役目を持って生まれたが、それに失敗した、というイメージです。

これらの作品を作る事になったきっかけは、やはり震災と原発事故でした。地震と津波という途方もなく大きな力は人間の力では太刀打ちできず、原子力は人々に恩恵ももたらしますが、一度大きな事故があると多くの人を死に追いやるほどの影響があります。原発事故後、日本では原発反対の運動が起こりました。私はこのまま原発は無くなる方向に行くのかと思いましたが、多くの人々の声を無視して、原発推進の動きが大きくなりつつあります。自分達を死に至らしめる可能性のあるものを、自分達で作っているのです。それを目の当たりにした時、人類は将来的に絶滅するように遺伝子に組み込まれているのではないかと感じました。個人の思いではどうにもできない大きな力が働いているように感じます。

何千年も前から、人類は宗教を生み出し、辛い現実から救われたいと願ってきました。キリスト教では「終末論」で神が世界を滅ぼし、天国で幸せになる事が救いだと説きますし、仏教では「輪廻転生」の概念があり、死んで次の命に生まれ変わり、来世に希望を抱きます。昔から、生きる事が辛い時、人々は「死」に「希望」を見いだしていたのです。今、私の住む日本は戦争がなく平和で安全な国です。しかし、毎年3万人が自殺していて、精神病も珍しくなく、非常に「生きづらい」世の中だとも言われます。昔人々が救世主を生みだしたように、現代に生み出される救世主はどのような姿か・・・を思い、マンガやアニメで世界を救う役目を担っているヒーローや魔法少女の姿が重なりました。彼らは現代の救世主ではないだろうか。同時に、今の私たち、これから生まれてくる子ども達は生まれた瞬間から先代の大人達から「自分たちが壊した世界を救ってくれ」という役割を担って生まれてきているのだ、一人一人が救世主なのだとも思いました。作品に描かれるヒーローと魔法少女は私たちの姿でもあるのです。

この作品には様々な対比表現が用いられています。

震災の時、多くの人が亡くなり、被災地の被害などが連日テレビなどで放映されていましたが、私は幸いな事に被害は全くありませんでした。自分が何も変わらず生きているのに、同時に酷い被害が現在進行形で起きている。これは震災に関わらず、地球規模で考えた時には、ある国で起こっている紛争と同じ時に多くの命が生まれている。生と死が同じ瞬間に起こっている。震災の時、そのギャップがまざまざと浮かび上がりました。世界はこういう、相反する事の集合体で成り立っているのだ、と強く感じました。

その事を表現するため、テーマや内容のシリアスさに反して、モチーフは過剰なかわいさや明るさを追求しています。作品の中に文字を入れる事がありますが、これらは「死にたい」や「辛い」などのネガティブな言葉です。それらをカワイイものや明るいものと同時に存在させる事で、この世界を表現しようと試みています。

手描きの部分は私が描いていますが、私の思想が入っている主観の空想の部分と、今世の中に溢れて販売されている客観的なカワイイもの。「空想」と「現実」の対比でもあります。カワイイものは一種の暴力性もあります。過剰に大きな瞳、ピンクやキラキラなど。

セリフのステッカーにそれは顕著です。「ずっと友達だよ」「がんばれ」などの言葉をステッカーにして売買する。自分が生みだした言葉ではなく、商業的に生み出された言葉をステッカーでやりとりする。この浅はかさはネットのLINEやフェイスブックなどで、スタンプやイイネ!にも繋がる気がします。そこに本当の言葉はあるのか?本当の気持ちはあるのか?

ステッカー以外にも「死にたい」「つらぽよ」などのネガティブな言葉を作品に描いていますが、これも「簡単に使われる言葉」「その裏にある本当の意味」を表現するためのものです。

生と死、明と暗、カワイイと怖い、明るい言葉とネガティブな言葉・・これら相反する事を全て一つの作品に入れる事で非常にカオスティックな画面が生まれます。最初はカワイイ絵に見えても、キチンと見ると恐ろしさも感じるでしょう。樹脂を使ってレイヤーを生み出す事で、様々な事象が「重なっている」事も分かると思います。これが私の思う世界の姿です。

相反するもの、というのは描かれる人物の瞳にも表れています。片目がキラキラしていて、片目が暗いものなどがそれです。また、色がカラフルでパステル調である事も、それに反する暗いテーマを浮き立たせる為のものです。

私は作品を通して、世界の本質を表現したいと考えています。言葉や説明に頼らず、作品だけで世界中の人に自分の意図を伝えたい。その思いが強くあります。その為、興味を持たれるためのさまざまな「ひっかかり」を作品に取り入れています。アニメのような目の描き方や、スーパーマンやセーラームーンに似た格好のキャラクターなどです。

私は人に自分の作品への興味を引き、意図を伝えるための手段としてこれらの「引っかかり」を使い、作品の意図するところ、本質の部分を考えさせる作品を創り出したいと思っています。

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この文章は2015年5月にベルリンで行われたPICTOPLASMAでの講演会で話した内容です。実際の講演会の内容は下記リンクよりダウンロードしてご覧頂けます。(1.99ユーロ)

Pictoplasma Talk



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