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「理想の死に方はなんですか?」

「死」を語り合うために若手僧侶グループが開催しているワークショップ『デスカフェ』

なんてイベントの説明を聞いた瞬間「行きます!!」と飛びついた。


だって、テーマが「死」って。


万人に訪れるタイプのアレ。生きていれば誰もがたどり着くのに今生きている人が誰も体験したことのない神秘のアレ。

こういうザックリした答えのない問いがとても好き。幸せとは。友達とは。悪とは正義とは。

ねえほら絶対楽しい。

みんな仮想通貨の話はいいからこっちで一緒に語ろうぜ!


デスカフェ当日。

「死を語り合う」って具体的になにをどんな風にやるんだろうと思っていたら、提示されたのは「今から弔辞を書きます」というもの。

弔辞といえば、お葬式で故人に向けて親族や友人が読むお手紙のようなもの。

2人1組のペアになり、相手の人生や信念などをカンタンにインタビューした上で相手のための弔辞をつくるのが「弔辞ワーク」とのこと。


そのインタビュー項目のひとつ。

「あなたの『理想の死に方』はなんですか??」


もう、情けないほど即答で「老衰」だった。


それもう理想の死に方っていうか死因だけど。

痛いのも苦しいのも本当に怖いウルトラビビりなので、できれば寿命で心臓が自然と止まるその日まで生きて、すうっと眠るように旅立ちたい。

そのためには今のうちから健康を大切にしないとな~なんて思う。

「どう死にたいか」は「どう生きるか」とほぼ同義って誰かが言ってたの、あれマジっぽい。




デスカフェが終わってから今日までの1週間。

わたし、めっちゃ踊ってた。


よさこいで踊って、ダンスのワークショップで踊って、Youtube観ながら踊って、散歩しながら音楽聴いて踊って、ときどき仕事もして。

あとは、大体ずっと踊ってた。


ダンスに魅了されたのは、11歳、小学5年生のとき。小学校のステージでヒップホップを踊る同級生女子たちに、わたしの目は釘付け、そして猛烈に憧れた。

そのときから今まで17年間絶えずダンスが好きだった。見るのも好きだし、自分でも踊りたかった。


でも、わたしは踊らなかった。


高校では踊りたくてチア部に入った。でもスクールカースト上位女子たちのキラキラギラギラドロドロした空気感がムリで、3ヶ月で辞めた。

大学では踊りたくてダンスサークルに体験入会した。でもメンバーはかわいくてオシャレで派手めなギャルが多く、自分の存在が悪い意味でとても浮いている気がして、1週間で辞めた。


「好きなことをやって生きてみたい」

そう言って、社長にも背中を押してもらって、前職の会社を辞めた。

そのときすぐに浮かんだ好きなことは、書くこと、そして、踊ること。

たくさん書いて踊ってわたしは生きる。そう希望に満ちた気持ちでフリーランスになった。



でも。

気付けばライターの仕事でいっぱいいっぱいになっていたわたしは、また、やっぱり、踊ることをしていなかった。


こんなに好きなのに。こんなに好きなつもりなのに。

自信のなさ、劣等感、仕事の焦燥感。

あらゆることを言い訳に、わたしはいつも踊ってこなかった。


「書く」は、自信と他者からの需要があったから迷わなかった。

「踊る」は、自信も需要もまったくなかった。

だから、怖くて踊ってこなかった。



そんなビビりのわたしが、この1週間は過去最高レベルにずっと踊ってた。

そしてもうほんとに予想通りだけど、これがマジでめちゃくちゃ楽しかった。


ものすごくラッキーなことに、わたしの人生は、ただ「踊る」一点の有無だけで幸福度が変わる単純なものらしい。

だったら踊ろう。それが幸せだから。


「どう死にたいか」は「どう生きるか」


わたしは、めちゃくちゃ踊って生きたい。

めちゃくちゃ踊って生きたいし、踊るように楽しく生きたい。

踊って踊って踊って踊って、踊り狂って踊り散らして、踊るように生きて生きて、そのまま疲れてぶっ倒れて「めっちゃ楽しかったー!」と叫んで笑って、できればそのまま死にたい。


その瞬間が、寿命とピッタリ重なって老衰判定ならなお最高です。


読んでくださってありがとうございます◎