タコピーの原罪13話を読んでの感想

もし記憶を消して12話から読んでいたら180度印象が変わると気が付いてぞっとした

あらすじはこうだ。
顔に大きな傷のある女子高生雲母坂まりなは、ハッピー星からやってきたというタコのような宇宙人を拾う。
全ての物事が幸せに見えるハッピー星人はまりなの暗い家庭背景にポジティブな解釈をし、まりなは呆れながらも匿い続けるのであった。
ハッピー星人の影響か、次第に物事がポジティブに進むまりなの人生、小学校の同級生東と恋仲になり、家で酒浸りの母親も明るくなった。
 
その少女が現れるまでは。

転校生の名前は「久世しずか」
まりなの父を誑かし、まりなの母をあんなひどい状況に追いやった女、その娘が引っ越してきた。
彼女のせいでまりなは全てを失った。東も、母親も、何もかも。
「ちゃんと殺しておくべきだった。小4の時、きっちりと、久世しずかを」
過去の因縁、憎悪、事切れた母親の傍らで、まりなは後悔する。

「わかったっピ!殺せばいいんだっピね!」

かくしてハッピー星人は過去に戻り「久世しずか」を殺す旅に出る。
まりなちゃんをハッピーにするために。

タコピーの原罪が本来の時間軸から、タコピーとまりなちゃんが出会う所から描かれていたら、自分はしずかちゃんを「悪」として読んでいたと思う。
確かに、タコピーの原罪を2話目、3話目と読むにつれてまりなちゃんのバックボーンが明らかになり、彼女にも事情があるのだなとはなった。
でもまりなちゃんはあくまで「悪」側の人間だ。
しずかちゃんに「悪いことをした奴」「悪役」、父親と母親がそもそも悪い。家庭環境のせいで出来上がった「悪」。そのせいでしずかちゃんとチャッピーは何度も死んだ(タコピーのせいだけど)

でも、もしも1話からでなく時系列に沿って12話から読み始めていたら?
しずかちゃんがここまでまりなちゃんから奪ったその行為は許しがたい。
聞くところによればば、まりなちゃんがしずかちゃんを虐めていたのが原因だ。
しかしそれは、まりなちゃんの母親がしずかちゃんの父親を誑かしていたからだ。
まりなちゃんは「しずかちゃんの母親の行いが原因でおかしくなっていた」「悪いのはしずかちゃん側である」

かくして自分はタコピーの追体験をさせられたのだと感じた。

「誰が悪いのか」ではない「どうやって善悪を判断したか」が問題だ

ここまでなら、物語としてはよくある話だ。
悪役にも事情がある、正義だと思っていた側もまた視点を変えれば悪である。様々な媒体で描かれた議題である。
でもタコピーの原罪を13話まで読んだ時、さらに踏み込んだものを感じた。

「なぜこいつが善で、あいつが悪だと思った?」

1話から読んだらしずかちゃんが善、まりなちゃんが悪(と言い切れない事情が描かれてはいるが、少なくともタコピーから見たらそうだ)
12話から読んだらまりなちゃんが善、しずかちゃんが悪。

タコピーは、最初に優しくしてくれた方を「善」としているだけなのだ。

しずかちゃんがパンをくれたからしずかちゃんが善、しずかちゃんを虐めるまりなちゃんが悪で、殺されて当然だ。
まりなちゃんがパンをくれたからまりなちゃんが善、まりなちゃんを苦しめるしずかちゃんは悪で、殺さなければいけない。

タイトルにもなっている原罪、キリスト教的解釈として『知恵の実を食べたことで善悪の判断が出来るようになった』があるという。
タコピーはまさにそれ、事象に対して「良い」「悪い」を勝手に決め、行動している。しかも、記憶を失い立場が変われば正反対の行為を行っている。

タコピーが愚かだとか、芯がないとかそういうことを言いたいのではない。
「善悪なんてインプリンティング(刷り込み)程度のものなのだ」と思わせる力をこの作品から感じたのだ。

善悪の判断に絡められたさらにえげつないこの作品の仕込み

善悪なんて最初に誰に優しくされたかで変わる。
13話で現れたように見えるそれは、この作品の奥底で、最初から読者を見つめていたではないか。

親だ。

しずかちゃんもまりなちゃんも東君も、誰もかれも自分の親を悪だと責めなかった。
それは、彼らは最初に優しく接してもらったから。
自分に最初に優しくしてくれた存在=自分の親は「善」なのだ。
しずかちゃんを窮地に追いやっている原因が母親の姦淫にあるとしても、まりなちゃんの家庭の問題は両親の姿勢に原因があるとしても、東君が母親から愛を注がれないのは彼女の育て方に問題があるとしても、誰も自分の親は責めずに「他に原因がある」と我慢し、他者を攻撃し、自分を責めた。
「善悪は最初に誰に優しくされたかで決まり、それを覆すことは容易ではない」なんて、タコピーの原罪1話目からずーっと描かれていたわけである。

聞きかじった程度だけど、虐待を受けた方は「親が悪い」という認識にどうしても到達しにくいと聞いたことがある。
どんなひどい仕打ちを受けても、親ばかりが悪いとは言えない、自分にも非があると思ってしまう。
そんなものなのかと思っていたが、タコピーを読んだら否定できなくなった。僕がこの作品を1話から読んだ時から、しずかちゃんを善と見てしまっていたという現実に。
そういう方たちを外から見て笑う人もいるだろうが、その笑う人だって善と信じたものが狂ったときにおかしいと思えるだろうか。
親じゃなくても他でもだ。
「家族」でも「宗教」でも「友人」でも「会社で優しくしてくれる上司」でもいい、物心ついたときからお世話になっているものが急におかしくなったり、金を無心してきたら、疑ったり断ることができるだろうか。
タコピーの原罪は、「ほらね」と言わんばかりに突き付けてきた。

おわりに

もしも12話から読んだら印象変わるなと思いゾッとし、この作品の奥底から感じたものにゾッとした。

考察でもなんでもない、ただの一個人の感想に過ぎないのだけど、どうしても書かずにはいられなかった。

作者のタイザン5さんがそこまで考えていない、深読みのしすぎかもしれない、今週の展開は全く変わるかもしれない。

それでも、どこかに自分が感じた気持ちを残したくてしょうがなかった。
だから「善し」としてnoteに書き残すこととする。



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