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Twitterが好きだったのだ

玉ねぎを切っていて、なんとはなしに目の近くを指で触った。
その瞬間ツーンと目鼻を襲う刺激。
あわわわ、やってしまったと思わずまた指で目頭を触り、更にツーン。
まったく私ときたら、どうしてこうもそそっかしいのだと、泣きながら手と顔を洗ってしばし考える。こういうドジな話は、誰かに語りたくなるなと。

家族や友人に話してもいいが、Twitterに投稿してみる。
「玉ねぎを切っている最中に目のへんを触った。目が、目がぁああアア」
Twitter民の反応は早い。フォロワーさんが14万人もいれば、誰かが見ているものだ。
「ムスカ」「ムスカだ」

ネットから離れた人間関係で、こうしたリアクションはまず望めない。
「目が、目がぁああアア…って。あ、これはムスカの物真似でして。…そうなんです、ええ。スタジオジブリアニメのですね…天空の城ラピュタってご存じですか。その登場人物なんですけども。え?ご覧になったことがない?あ、そうでしたか…へへ…」
冗談が滑った上に、その解説までするという情けない事態になるのだ。
生き恥か。

Twitterにはオタクが多い。サブカルチャーと相性がよいのだ。
加えて、スマホの小さな画面及びPCの画面には、生活を便利にする小さなアイデアだの学術的な専門知識だのが表示された。美しい絵や見事な工芸品を鑑賞できたり、国際社会で鎬を削る政治家の演説や日常生活に疲れた市井の人の溜息、自然災害の被害を伝える報道や社会問題、芸能人の出演情報まで、ありとあらゆる情報が流れてきていた。
その情報の濁流の中から、自分が好きなものを掬い取る。そして、同じものを愛でる他者と盛り上がったり、時には気の合わない者と大喧嘩したりしながら居心地のよいネット住居を築いた、この10年ほど。

2022年10月に、イーロン・マスク氏がTwitter社を買収してから状況が変わった。個人的には、長年居続けたTwitterに課金して支えること自体には抵抗はなかった、むしろやらせてくれと思っていた。
顔を合わせたことはなくとも呟きを読みたい相互フォロワーさんも多くいることだし、町内会の会費を払うようなものだと。
しかし彼の進めた改革は(あれが改革と呼べるものかは疑問だが)めちゃくちゃだ。
それまで本人確認の上でつけられていた公式認証バッジを削除し、Twitterへの課金の証に変更した。読みたくもない呟きを「おすすめ」と称して表示し続ける、自分の呟きに寄せられたリプライに何の関わりもない別人の呟きをくっつけるなど、ユーザーの自由を奪う蛮行ばかりで使いづらくて仕方がない。
私は課金する気持ちをすっかり失ってしまった。

そして2023年7月1日、突然全ユーザーの投稿閲覧回数をなんの予告もなく制限した。ミスでも不具合でもなく、一時的とはいえ仕様だという。
せめて課金している個人・法人に前もって知らせていれば、商品宣伝やプロモーションにTwitterを利用しているアカウントは対策を取れたろうに。

Twitterはこどもっぽい大金持ちイーロン・マスク氏の独裁国家、独占オモチャになってしまった。

これまでは、Twitterが以前のような形に戻ってくれることに一縷の望みを賭けて、どんなに使いづらくなろうとも残っていた。
が、そろそろ限界だと思う。
長年のおつきあいある相互フォロワーさん達であの場に残っている人がいるが、しかし皆さんそれぞれに引っ越し先を探し移住を始めている。
どうしても投稿を読みたい人があそこにいる限りは、私もまだ閲覧するだろうが、引っ越しが完了した後はわからない。

私はマストドンとBlueSkyにアカウントを取り、フォロワーさんとの交流の場所を、そして文章を綴る場としてはnoteを確保した。noteに月額使用料を払うのは全く苦ではない、なにしろ使い勝手が良いのだから。

これからは玉ねぎを切ってる最中目を触ってしまった時に、投稿する場所がTwitter以外にあるのだ。Twitterほどバズらなくとも、14万4700人フォロワーがいなくとも、別に構わない。
自由な言葉を金持ちの気まぐれで奪われるよりはマシだ。

イーロン・マスク、バルスでもくらえ。




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